RKS47ノート三輪南1「播隆上人名号碑」 7 ヤブさん(薮下浩) 2023年12月16日 20:39 RKS47ノート三輪南1「播隆上人」 令和5年12月14日 ヤブ 次の石碑見てください ズボ これも石碑 ヤブ 溝口というところに、長良川のそばにお墓があるんです。そのお墓の入り口にあるんですけれども、これも南無阿弥陀仏と書いてあるんです ズボ 書いてありますね ヤブ さあこれは誰でしょうか ズボ 字が硬い。なんか四角ばってる感じはしますね ヤブ これは実は、槍ヶ岳への開山って分かりますか?始めて登った人 ズボ 分からない。あっ!槍ヶ岳の映画になった人ですか?名前は分からない ヤブ そう、播隆上人、映画になりましたよね ズボ 映画になりましたよね 確かね ヤブ その人もやはり南無阿弥陀仏と書を残してるんですよ ズボ もう一回アップしてみましょう その方が岐阜へみえた訳ですね ヤブ やっぱり通過しとるんでしょうね。その人が書を残していてそれを元にして石碑にしてある ズボ なるほどね ヤブ 播隆さんの石碑は三輪南には1つしかないんですけれども、芥見の旧街道沿いに確 か1つありました。天保3年の建立です。 ズボ ブーさんが、これからは不意に立っている石碑にも目がいってしまいそうです。そうでしょう、僕の古墳と一緒ですよ。山見たら古墳に見えるんですから、今度は石碑ですよ、石碑見たら目がいくようになる ※前人未踏の3,180メートルの高峰―――。僧・播隆が初めて槍ヶ岳を望見したのは、文政6年(1823)6月のこと。飛騨山脈の霊峰・笠ヶ岳登山を試みた彼は、ひときわ高くそびえる槍ヶ岳を眺め、その霊感に打たれ魅せられた。 天明6年、越中に生まれた播隆は、生涯のほとんどを一介の苦行僧として過ごした。混濁の世俗を捨て仏門に入 ったはずの彼だが見たものは、やはり俗界同様のみにくい 風潮がみなぎる宗門の内情であった。深山幽谷での修行に入った播隆は、やがて槍ヶ岳開山の悲願を抱くに至る。 岐阜県岐阜市柳沢町9にある卍播隆山正道院、境内左側に播隆上人の供養塔があります。 ※前人未踏の3,180メートルの高峰。僧・播隆が初めて槍ヶ岳を望見したのは、文政6年(1823)6月のこと。飛騨山脈の霊峰・笠ヶ岳登山を試みた彼は、ひときわ高くそびえる槍ヶ岳を眺め、その霊感に打たれ魅せられた。 天明6年、越中に生まれた播隆は、生涯のほとんどを一介の苦行僧として過ごした。混濁の世俗を捨て仏門に入 ったはずの彼だが見たものは、やはり俗界同様のみにくい 風潮がみなぎる宗門の内情であった。深山幽谷での修行に入った播隆は、やがて槍ヶ岳開山の悲願を抱くに至る。 いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #槍ヶ岳 #ふるさとの宝物 #RKS47 #三輪南 7