②不思議体験✨ 10〜20歳代
2歳から10歳まで父の転勤で神戸の近くに住んでいました。海辺で川も近く🏞️海と川の境目の生き物を観察するのが好きでした🦀🐟🐚
兄が11歳離れていますが、私が幼稚園くらいから離れて京都の祖父母の家に行きました。
なのでほぼ一人っ子育ち、両親もそんなに社交的でなかったので人とどう接していいのか分からなかった😅
小学6年の秋に父の定年で京都へ帰りました。祖父母の家ではなく新居。
中学時代は絵ばかり描いていて、クラスの瓦版や卒業文集の挿絵を頼まれて、絵が上手な子として認められていたのは良い記憶です☺️
未来の学校の絵を描いたのを覚えていて、ツリー🌲型だったんです❗️
どれだけ先の未来なのか?プレシイの時代かも⁉️
母親も美術は推してくれていたので、高校は美術コースのある女子校へ行きました🎨
2年の時だったか母が糖尿病になり、その後合併症で入退院を繰り返すことになりました。
看病と家事を学校から帰ってからしていました。
もともと身体が弱い上に心身疲労困憊で修学旅行は行けませんでした。
父は定年で自宅にいて趣味を楽しんでいました、私も一緒に音楽聴いたり🎼🎵
不思議系の本やテレビ📺番組、丹波哲郎さんの霊界物語や、デニケンやオーパーツの本、矢追純一さんのTVなどを観て(知ってる人いますか?親世代かも笑)ますます不思議ちゃんに磨きがかかって行きました😆
それがあったから母の看病などを乗り切っていけたのかなと今では思っています😌
どうも父方は不思議ちゃん系のようで?あまり交流はなかったのですが、祖母や伯母は滝行していたとか後に聞いて、そういう流れはあるのかと…
ちなみに私は滝行したことないです、のちにわかるのですが過去生でやり切ったようなので…
美術系短期大学へ入学。遠かったので兄の住んでいる私が産まれた本家(幼児のころ体外離脱で行ったところ)に下宿しました。
母の看病や家事から解放されて、楽しい日々を過ごせた2年間でした。母のお世話はどうしていたんだろう?父がなんとかしてくれていたのかな…
その頃はUFO🛸を探すのが趣味?で双眼鏡を持ち歩いていました🤭
何度か見ましたよ、半透明の楕円形ばかりでした✨金属製のとか他の形は見たことないです。後にプレシイのシップだったことが分かりました👩🏻🦳
当時は全然プレシイのこと知りませんでしたが、縁があるものを見せられるのかなと今では思っています。
プレシイって?という方へ
300年後の未来に生まれ変わった私の名前で、メッセージを受けて記録していました(30代の頃)
天日矛YouTubeチャンネルさんで動画にしていただいています。
短大を卒業して20代になり、ヨーガを本格的に始めました🧘
自転車で🚲行ける距離に、当時有名な佐保田先生(帰天)のヨーガ禅アシュラムがありました。
丁寧にインド原点そのままを教えてもらい、瞑想時に光が見えるようになりました🌟
ここらあたりから神秘体験や、不思議なご縁が繋がって行きます…
神秘体験❗️
20代の終わり頃だったか?
寝ていた時、北の空から一つ目👁️🗨️こんな形で線の色はオレンジぽく光っていて、中央の目のような所から光線が体に伸びてきた!
寝ている上にもう一つ半透明の体があって、それが光に当てられて溶けた…
布団に白い液体が流れて、ビックリして飛び起きた😱ら、なにもなかった…
最近になってトトさまに聞いたら、なるほどという答えをいただきました🐦
一つ目といえばなにかとヤバイ系の象徴のように思われますが、元々はエジプトの神の象徴ですし、もっと古く辿れば天御中主、一なる創造の源でもあります。
人が勝手に意味づけをして善悪を作り出しているとつくづく思います。
以前、南風さんにも聞いたところ「ポータル」だと。
なるほど異次元からの光だったのは間違いないです🌟
友禅彩色をずっとしていましたがご時世で会社が倒産して💦
その後、家の近くにあった仏像彫刻研究所が、成田山の不動明王5メートルだったか巨大な!木像を製作していて、彩色のアルバイトを募集してたのです❗️
美術学校出てるので採用されました。
不動明王様との深いご縁をこのきっかけで、後々知ることになりました。
🌟さて、前回書いていた守護霊と繋がる本で、自動書記を始めたのはこの頃だったと思います20代後半?
この辺はスピリチュアルな目覚めが勢いを増していたので、いつ何を?と年代が朧げです💦
その方法は、覚えている限りでは…
『利き手でない方でペンを持って✍️守護霊様いつも有り難うございます、繋がりますようにと語りかけながら、名前やメッセージを手を通して書かせてください。』
というようなことで、落書きみたいに📝手が勝手に動いてふにゃふにゃと線を引く感じになります。
電話をしている時に何気なくメモに落書きするような感じです📝え?なんだこれいつのまにこんなの書いてた?という、ありませんか?
繰り返していくと取り留めもない線が、少しずつ字のようになってきて、やがて簡単な返事「はい」「いいえ」のやり取りができるようになり、ついに守護霊様の名前が出てきました❗️
“かるなぼんとる”
なんじゃそりゃ〜😅
何者?どのような存在ですか?とか聞いていくと、「とり」「れいちょう」とか書かされる…
「鳥」「霊鳥」⁉️
ガルーダみたいなの?と、人間やないんや💦と私は驚きました😮
そしてしだいに字だけでなく、絵も描けるようになってきて、このような姿が出てきたわけです🐦✨
これは最近描いたものですが、HPの顔にしています🐦♪当時は線だけでした。
「霊鳥」は仏教やヒンズー教などでは天使のような感じでよく出てきますし、珍しくはないものの、なんで自分の守護霊が人間でないの❓と不思議でした🤔
変なものに取り憑かれては困るというのもありました、当時はまだまだ理解に乏しかったので。
それで守護霊ワークはいったん終えて、現実生活が超忙しくなる結婚子育ての30代に突入します!
【不思議体験シリーズ】しばらく続きます、前回初回のはこちら