遊びに行くのは、まだ早い
最近、歳はいくつか、と尋ねられ適当に返す癖がついた。大きな嘘ではないけれど、あえて一つ大きく答えている。どうせ数か月後にはこの数字になるし。悪気はない。その方が学年もわかりやすくていいだろう。むしろ優しさ、のつもり。
お母さん、私は無事に二十歳を迎えてあと数か月でまた歳を重ねます。
あなたが病気を患っていると知ったとき、しかもそれが難病だと知ったとき、あなたが死んでしまうのでは、と初めて死への恐怖を感じたように思います。
それでも日常では元気に振る舞うあなたを見ていると、病気であることを忘れ、親子として喧嘩も言い合いもしました。後悔ですか?半分してるけど、半分していないです。私は人間ができていないので、喧嘩も、私が成長するための時間だったと良いように考えています。反対に、時間を無駄にしたとも感じます。
昨年、映画『余命10年』を視聴した後、感情移入しすぎたせいか、夢の中で母が余命宣言を受けたと報告されました。数字は「2」。大根役者かのように、私は膝から崩れ落ち、あなたを抱きしめながら、というよりかは消えていかないように願いながら、必死にすがりつき泣いていました。ただ反抗期の日々を悔やみ、あなたがいない日々を想像しようと試みては、想像しきれず、ひたすらに不安が押し寄せるばかりでした。冷静になった現在では、冒頭のように考えている、というわけです。
もし、正夢になるとしたら。
先月のお盆休み前、両親が家に遊びに来る少し前に夢を見ました。高校生の時、夢で刺されそうになったと部活動の練習前に騒いでいると友人がいい夢かもよ?と夢占いを調べることを勧めてくれたことがあります。あの日以来、気になった夢は調べることがお決まりになりました。そこでその日に見た夢を調べると、「大切な人が離れる」的な説明がありました。
まだ、いなくならない?あとそうだな、私が今のあなたの年齢になるまでは、せめて隣でドラマを一緒に観ていてください。
あなたは覚えていないかもしれないけれど、小学生の頃からほとんど毎日一緒にドラマを観ていました。反抗期の時期でさえ、同じ方向を向いていたのです。この俳優さん、最近よく見るよね。あ、この人、この前はいい役してたのに、今回はワルなんだね。そうだね、で終わってしまうような単発な会話。普段は苦手だけれど、あの時間だけはそうじゃなかった。
まだ、隣にいてくれる?私の方が先に祖父母のもとに遊びに行くことになるかもしれないけど。その可能性はゼロではないけど。自分があそこへ行くことよりも、あなたが先に歩き始めてしまうことの方が怖いです。
まだだからね。まだだよ。
お母さん、今期はどのドラマを観ますか?