恩師の…

毎日、FBに記事をアップしている。
まだ雑貨さんなので、なんでも書いていいわけではない。
肝心なところはぼかして。
これは、私の日記、覚書。
後々、子どもたちが、「おかんこんなことかんがえてたんだ」とわかるように残している感じ。

だから、みんな受けするようには書いてないし、「いいね!」の数も全く頓着しない。

ただ、不思議なことに、何かがヒットして、コメントをくださったり、会いに来てくださったり。
遠隔でシンクロが起きたりしているらしいのだ。

そして、今朝。
もう秋のお彼岸に和歌山へ行ってから、10日以上も経って、和歌山城へ行った時の追記をアップした。
しかも、早朝に。

そして、お昼頃。
夫のiPhoneにメールが届いた。
私の恩師、夫の元同志の先生が今朝逝去されたというお嬢さんからのメールだった。

私のFBの記事には、昔、恩師が私にしてくれた「紀州の『てんてんてんまり…』という歌から、恩師がお嬢さんに『まり』という名前を付けた」という話だった。

恩師には昨春、電話を差し上げて、長い不義理をこっぴどく叱られた。
「お会いしたい」というと、

「もう長くないから、これから暑いので、それを過ぎたら会えるかな」とのこと。

まずは、夫に電話させると話して、電話を切った。すぐさま、夫にはその旨を伝えたが、夫は行動しなかった。
体調の優れない彼女に、あまり会いたくなさそうだった。

今夏、お嬢さんから、夫にメールが来た。件のまりさんだ。
「母が入院しました」
すぐさま、三河まで出発する準備をした。

すると、まりさんから、「体調がもう少しよくなるまで、母は会いたくないと言っている」と、彼女の頑固さを申し訳なさそうに話した。

1週間もせずに、まりさんは東京の仕事場に、私たちを訪ねてこられた。
お互いに職業人としての彼女と私人としての彼女の違い。知らないエピソードを話し合い、まりさんも色々と恩師の偉業に驚いていた。私にとっては、人生で一番尊敬し、また学生としてもとても大切にしてもらった恩義のある方である。

「もう少しよくなってから」と嘯いているのもわかりつつも、かすかな期待があった。
暑さも収まり、どうなさっておられるかなと昨夜もふと思い出した。

しかし、まさかであった。
お礼も言えず、最後に叱られて、先生との関係は肉体的には、完了した。

思えば、初対面の入学試験の時に、にこやかに微笑みかけてくださった。
たくさんの人生の教えをいただいた。

「そんなこと、なんでもないこと」と器の大きな女性だった。
今日もまた、「そんなこと、なんでもないことよ」と、私を叱咤激励してくれているようだ。

先生、ありがとうございました。
先生は若くして亡くなった後輩を「彷徨っていたら、待ってればいいのよ。私が連れて行ってあげるから。」といってらした。
その先生もご一緒かな?

「私は嘘をつかないから、閻魔様にお会いしてもなんともないわ」と仰っておられた。
私は
「閻魔様が『これから休憩を取るから、交替してくれ』と先生に頼まれそうですね」と答えた。
あちらへ行かれても愛されて、ご活躍の場はたくさんおありでしょう。
まずは肉体を脱がれて、安らかなお気持ちで、御一服なされますように。