ニートな吸血鬼は恋をする 第十三章
司と真紀の戦いは、一方的だった。
「はぁ!」
真紀は首から上を消し飛ばすほどの勢いで、司の顔面に殴りかかる。
「……遅いな」
次の瞬間。
真紀は、飛んだ。
「うあぁっ!」
真紀の体は遥か遠方で、バウンドしながら派手に転がる。
たった一発の蹴りで、真紀のあばら骨は完全に折られていた。
「う、ぐぅ……!」
真紀は諦めるはずもなく、果敢に立ち上がり司を見る。
「……君が何をしようと無駄だよ」
司はナイフを拾いながら余裕そうに呟く。
真紀はその事実をいやというほど痛感していた。
持ち前の格闘センスと全開の【心装】により、何とか致命傷を避けているとはいえ、今や意識を繋ぐのがやっとだった。
(……守る……んだ……! 絶対……!)
真紀は途切れそうな意識を、必死に繋ぎ止める。
だが、終わりは眼前に来ていた。
「……死ね」
司は真紀の心臓めがけて、ナイフを振り下ろす。
「……あ……」
真紀は死を直感して、体から力が抜けていく。
(……!?)
だがそれに気づいたとき、真紀は驚愕に目をむく。
「……? なn「メキメキメキっ……!」――っ!?」
司が振り向くときにはすでに、青い拳が顔面にめり込んでいた。
「……らあぁっ!」
それはまるで、獣のような声だった。
吹っ飛んでいく司を放って、愛人は真紀を抱き留めた。
「遅くなって、ごめん」
「なっ……!?」
真紀は言いたいことが山ほどあったが、それ以上の驚愕に開いた口が塞がらない。
(愛人……!? これが、愛人なの……!?)
この短い時間で何があったというのか。
伸びきった牙に加えて、全て真っ白になった髪。
いや、それだけではない。
(……何なの……この心素量は……!?)
吸血鬼である愛人は元々微々たる心素しか持っていなかった。人工心素で強化したとしても、真紀には遠く及ばなかった。
なのに今の愛人から感じる心素は、今の司にすら匹敵する。
「……大丈夫だよ、真紀ちゃん」
愛人は真紀を優しく降ろして言葉を掛ける。
「すぐに……すぐに終わらせるから」
「……う、うん」
愛人は警棒を拾ってから司を睨みつける。
「……何だい? その姿は……」
壁から出てきた司が歩きながら問う。
「さぁ? 俺にもさっぱりだ」
愛人は腰を低くする。
「けど……これならお前を倒せそうだ」
「……ふん」
司は立ち止まる。
「まさか、ノーライフキングになったつもりかい? 違うね。全く違う」
「……」
司は殴られた頬をさする。
「確かに君は凄まじい心素を手に入れたようだ。けど、それだけだ。今の君は常に冷静で理性的……かと思えば、野性的な力強さを持つ。……だが、感情的ではない」
「……」
愛人は俯いた。
目の前には、小さな石ころがある。
「今一度言おう。君のそれはノーライフキングではない。何せ……」
不意に、司はナイフを構えた。
司の片腕が、黄色く光りだす。
「僕より遥かに弱いのだからっ……!」
そして渾身の心素を片腕に【確心】させて、ナイフを投擲する。
一直線にナイフは愛人へ向かい。
それと同じ。
いや、それ以上の速さで石が司に飛んでくる。
「っ!? うっ!?」
咄嗟に司は【心装】を施した腕で石を防ぐ。
鈍い痛みが腕に突き刺さる。
「……なるほど。今のでも無理か」
対する愛人は、石を蹴っ飛ばした勢いを使ってナイフを軽々と避けた。
そして着地しながら冷静に分析する。
(恐らく【心装】と【確心】の合わせ技だろう。体の一部に分厚い【心装】を作り出してやがるんだ。だが、逆に言えばその瞬間、他の部分の【心装】は薄くなるってわけだ)
愛人は分析しながらも、作戦を立てていく。
「……やるね……」
一方で司は、暢気に腕の状態を見ていた。
「……だが、この程度じゃ、やはりノーライフキングとは言えないね」
司は走りだした。
その途中で、落ちていたナイフを拾う。
「はぁ!」
近接戦を仕掛ける司に、愛人は応戦する。
「っ!」
黄色いナイフを、青い警棒が弾く。
警棒が打ち上がった瞬間。
「ふっ!」
隙をついて、司はナイフを切り返す。
だが愛人はその手首を掴む。
「うりゃあっっ!!」
そして警棒を振りかぶる。
「ぐっ!?」
司はそれを、もう片方の腕で受ける。
直後。
「ぐおっ!?」
一瞬の内に、片足に【確心】した愛人に司は蹴り飛ばされる。
司は地面を滑りながら体勢を立て直す。
「……ちっ」
司は盛大に舌打ちをする。
「速いな。【確心】を一瞬で腕から足に……やはり真に警戒すべきは君だった。まさか僕とここまでやり合える未成年が存坐するとは……」
突然、司は豹変する。
「……ガキが。今この場で……殺してやる」
「っ……!」
それはどこにしまってあったのか。
何本ものナイフを司は指に挟んで構える。
「っ! 真紀! 離れろ!」
それを見た瞬間に、愛人が大声で叫んだ。
「ん!」
真紀は走り出す。
愛人は身構える。
「はあああああっっっ!!」
司は雄叫びを上げながら、それらを愛人に投げつける。
「っ!」
愛人は瞬きをする。
そして目に【確心】して、そのナイフの嵐を見切る。
「おぉ!」
愛人はそのナイフを全て弾いていく。
そして最後のナイフを弾いたときに気付く。
眼前に司がいない。
「っ!?」
愛人が見上げるのとほぼ同時に、頭上にいた司は愛人が弾いたナイフを蹴り飛ばした。
ナイフは愛人の首に飛んでいく。
「くっ!」
咄嗟に首を猛回転させた愛人はナイフで頬を斬られる。
「はぁっ!」 「うおおっ!!」
振り下ろされるナイフと振り上げられる警棒が衝突する。
「ぬぅんっ!」
競り勝ったのは司だった。
「うっ!?」
押し負けることを察知した愛人は全力で横に飛ぶ。
避けきれなかった斬撃が胸を掠める。
「……はぁ……はぁ……」
少し判断を誤れば死に繋がる。
そんな局面を何度も押し付けられ、愛人は肩で息をする。
「……ちっ。逃げるのは得意なようだな」
地面にできた小さなクレーターの中で、司は起き上がる。
愛人は冷や汗を垂らしながらもある確信を得ていた。
(……いける……!)
愛人は真紀のいる場所から離れようと歩き出す。
(実力は奴の方が上だ。それに俺のこの状態がいつまで続くかは分かんねぇ……が、少なくとも奴の人工心素が切れる方が絶対に早いはず……! これなら……!)
「……ん?」
司は首を傾げる。
「……貴様、まだ勝てる気でいるのか……?」
見ているだけで呑まれてしまうような濁った瞳で、愛人を凝視する。
その視線を振り払うかのように、愛人は警棒を握り締めて構える。
「……勝てるさ」
司は歩き始めた。
「……どうやら本格的に調子に乗っているようだな」
(……なんだ……?)
ゆっくりと歩いていた司は、不意に駆け出した。
一瞬で愛人の前に来て、ナイフを振りかぶる。
(速い! まだ上があんのか……!?)
愛人は警棒でそれを受け流す。
司はナイフを切り返す。
愛人はのけ反って斬撃を躱す。
「っ!」
司はさらに切り返す。
愛人はそれも警棒で受け流すが、既に司は次の斬撃を構えている。
「はあああああああっっっ!!」
(やべぇ、速すぎる……!)
愛人は何度もバックステップを踏み、体を捻り、警棒で受け流してなんとか直撃を避けるが、徐々にそれも追いつかなくなってくる。
二人はまるでダンスを踊るかのようにステップを踏みながら移動していく。
「くっ!」
そして愛人の身体に浅い切り傷ができ始めた頃。
「はぁっ!」
司は一際大きく振りかぶる。
愛人は対応が間に合わず、つい警棒を構えてしまう。
(やべぇ!)
愛人は司の斬撃を受けきることは出来ない。
力勝負で、ナイフを胸に押し込まれたら終わりだ。
愛人は全力で両腕に【確心】する。
「おぉっ!」
この戦いで何度も見た衝突。
黄色いナイフと青い警棒が激突する。
「っ!?」 「うおおおおっ!」
今度の勝者は、愛人だった。
(っ! 今だっ!)
押し負けた司は突き飛ばされる。
「全心素、解放……!」
間髪入れずに、愛人は司に突進する。
愛人は司の眼前で、警棒を何度も振るう。
「っ! ぐっ! がっ! ごはっ!」
その全てが的確に司の急所を叩き上げる。
まるで壊れた人形のように司は何度も警棒を打ち付けられる。
愛人はさらに踏み込んだ。
「おらぁっ!」
ドッッッ
青く光る警棒が、司に炸裂する、
「がっはぁ!」
斜め下に吹っ飛ばされた司は、何度も地面をバウンドしながら壁をぶち抜いて廃工場の外へ飛んでいった。
「はぁ……はぁ……」
「す、すごい……」
その決着を見ていた真紀は、ぽつりと呟いた。
「……へへっ……」
愛人は安心したように膝をつき、座り込んだ。
「……本当に、勝ったんだ……!」
真紀は傷口を抑えながら愛人を見る。
「あ、危なかったよ……。彼の人工心素が切れるのが、もう少し遅かったら、終わっていたかもしれない……本当に、危なかった……」
「そっか……」
真紀は傷口を抑えながらも、歩き出す。
「無理しなくていいよ。そこでじっとしておいて……あとは僕がやるからさ」
「……いい。これぐらいはさせて」
「……わかった」
真紀は司を現行犯逮捕するために、愛人から手錠を受け取った。
「……それより、何があったの? それ」
恐らく愛人の変化のことだろう。
愛人はゆっくりと話し始める。
「あぁ、これはね――っ!? 真紀ちゃん!」
それとほぼ同時に、ナイフが飛んでくる。
愛人は警棒を投げつけて、ナイフの軌道を変えた。
「……くっ……新堂、司……!」
愛人は立ち上がりながらも、呼吸を整える。
「な、なんで……!?」
真紀は驚愕に固まってしまう。
「……ふふふっ」
足音と、笑い声が近づいてくる。
「まさか……この僕がここまで後れをとるとは……本当に世界は広い」
空の注射器が音を立てて転がっていく。
「っ! あなたの人工心素の効果は切れたはず……」
愛人は平然と歩く司に疑問をぶつける。
「ん? あぁ……君は出来損ないだから、人工心素を使うと、反動で倒れちゃうんだね」
司が話す中、愛人は真紀の前に出る。
(奴が能書き垂れているうちに、下がれ……!)
真紀もその意図に気付き、二人から離れるため駆け出した。
しかし司は焦ることなく、能書きを垂れ続ける。
「僕は、元吸血鬼なんだ」
「……なんだって?」
「分からないかい? 単純な理屈さ。人工心素で増えた分の心素を、増えた分だけ使えばいい。的確にね」
理屈の上ではそうだ。
人工心素は心素を増やす。その増えた分だけを使うことが出来れば、人工心素をリスクなく活用できる。いや、それどころか心素を無駄なく使い、人工心素の効果時間を延ばすことも出来るだろう。
実際に司は、愛人よりも遥かに長く人工心素の恩恵を受けていた。
「……けどそんなこと……できるわけ……」
「僕は心素不適合症を克服したのさ。そして大量の心素を扱えるようになった。ここまで言えば、もう分るだろう……?」
「なっ……!?」
愛人は驚愕する。
つまるところ司は、吸血鬼のように増えた分の心素を正確に感知して、健常者のように増えた分だけ自由に心素を行使できるということだ。
司にとって人工心素は、メリットでしかないのだ。
「さて、この僕をここまでコケにしたんだ。覚悟はできているよね?」
「……くっ……!」
愛人は警棒を構えるが、その顔に余裕はなかった。
(クソ! 完全に油断した! まさか奴に人工心素のデメリットが無かったなんて!)
ありったけの心素をひねり出すが、もはや雀の涙ほどだ。
「ふん」
司は踏み込んでナイフを振るう。
愛人は警棒でそれを受け止める。
「ぐはっ!?」
だが、次の拳に反応できずに腹を打たれる。
愛人の身体がくの字に折れる。
「ふっ」
「ぐああああっ!」
蹴り飛ばされた愛人が、地面を転がる。
「……さっきの勢いはどうした? それとも……もうガス欠かな?」
司は余裕そうにナイフを弄ぶ。
「……まぁ、出来損ないにしてはよくやったほうだ。胸を張って……死ね」
もはや万事休す。
愛人は司を見る。
(……へへ)
司はナイフを構えて、近づいてくる。
もう凌ぐことすらできる気がしない。
(……胸を張れ……か)
そんな中、愛人は笑っていた。
(……やっぱり俺じゃ、無理だよな……ヒーローなんて……)
愛人はある安堵を感じていた。
遠くには真紀の心素が感じられる。
(……でも、二人を逃がすことならできた……)
実は愛人は、灯の血をほとんど吸っていなかった。
ほんの少し飲んで、辞めた。
その判断はやはり正しかったという安堵だ。
(……俺には、これくらいしか……できねぇ……はは……ほんと、よくやったよ……)
愛人は目を閉じる。
暗闇の中、思い浮かぶのは二人の少女の姿。
(……あばよ)
そうして、完全に諦めた愛人が、死を受け入れた直後。
それは起きた。
ドパァンッ
「……?」
愛人は薄目でそれを見る。
「言ったでしょ。必ず守るって」
愛人の前には、拳を振りぬいた真紀がいた。