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第七章|「最強少女に懐かれた話」ハタガミ|第36回後期ファンタジア大賞 一次選考落選
第七章 最強少女に裏切られる話
三人は帰宅した後、いつものように夕食を食べて就寝する。
しかし幸一だけは、研究室へ来ていた。
「……またこいつを使うことになるとはな」
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埃を被った部屋の中でも、特に長年放置していた棚がある。そこには、大量の分厚いファイルが入っていた。幸一の研究の記録だ。
ファイルの中には、写真で【特別】な変化などを細部まで映されており、レポートに小綺麗な文字で、【特別】な力の数々の分析と対処法が事細かに書かれている。
幸一はその中で、人体発火現象と書かれたファイルを手に取る。
長机にある埃を被った資料をどけて、そのファイルを開く。
対策して止めるのではなく、ミリアムの【人体発火】を完全に治療するとなれば、それなりの時間と労力が必要だ。一週間というリミットもある。
幸一は黙々とそのファイルをめくり、そこにある情報を頭に叩き込む。
(……昔調べたときには、ミリアムはいなかったからな。想像上でしかなかった情報を、色々と更新する必要があるな……)
幸一はファイルの中にある、対処法の欄を読む。
そこには想定できる限りの、人体発火現象を病気として発症した者への対処だ。
そのファイルの情報と、今までの分析を交えながら、幸一は考察する。
(確かに肉体を燃焼させるには莫大なエネルギーが必要だ……つまり人体発火現象には特別な栄養……あるいはエネルギーが使われている――……精神性発汗における、アポクリン腺から分泌される汗は燃料として使われる。つまり必要な栄養の一つは、このアポクリン腺にある栄養ってわけだ――……治すには発火を止めるのは絶対条件だ。体表温度の急上昇も防がなくちゃいけない――……痛覚……筋肉痙攣……? ……――……皮下脂肪の中にある金属、機械構造ではない以上、その金属が何らかの形で摩擦を起こしていることは確実……――……皮下脂肪を減らせば発火そのものを止められる? いや危険すぎるな……――……つまり今の肉体を維持したまま人体発火現象のみを完全に阻止する……)
チョコレートを取り出して、バリボリと嚙み砕き、砂糖まみれの紅茶で流し込む。
幾つもの資料を人体に関わる情報を調べながら、要点をメモに走り書きする。
頭に思い浮かぶ思考の軌跡を、そのままメモへと落とし込む。
そしてひと段落すれば、それらをまとめて清書する。
電子機器の扱いに長ける幸一だが、研究では一切パソコンを使わず、大量の紙とペンだけを使うアナログな手法は、深い思考を繰り返す幸一に合っていた。
常に頭の中を整理しながら、考察を重ねるその姿は、普段の幸一の見る影も無い。
深い思考の海に沈み、ペンを走らせながら、とっくに冷めた紅茶で喉を潤す。
……どれくらい時間が経っただろうか。
(……ふぅ……もしエヴァの言っていたことが本当だと仮定するのなら……多少はやりようはあるか……つっても完全に治療薬には、程遠いがな……)
集中が途切れ、思考が止まり大きく伸びをしていると。
「……先生?」
「……ん?」
ノックが聞こえて扉を開けると、ティーセットを持った響子が入ってくる。
「珍しくご自分で紅茶を入れていらしたので……お代わりはいかがですか?」
「悪い。起こしちまったか」
「いいえ、少し早起きしただけですよ」
「あん……?」
幸一は時計を見る。時刻は早朝の五時過ぎ。
「……やれやれ」
いつになく熱中して、時間を忘れていたようだ。
徹夜をしてしまったという実感から、疲労感が押し寄せる。
「行き詰っているようですね。……完成しそうですか?」
響子は少し心配そうだ。
「……いや、正直かなりキツい。俺も色々と【特別】な人間を見てきたが、流石に金属を入れた身体を治す方法なんて……危なっかしくて、手探りも出来ねぇや」
珍しく弱気な幸一に、響子は目を丸くする。
「……あん? なんだよ?」
「……いえ、そんなに真剣になられていたとは思わず」
真剣、という言葉に幸一は気まずそうに視線を落とした。
「……もう少しだけ考える。朝食を用意しといてくれ」
幸一はもう一度伸びをしながら、くたびれたように大きなあくびをする。
「……かしこまりました」
響子はそれだけ言って、研究室を出た。
(先生……本気なのですね……)
一週間という期限において、並々ならない覚悟で臨んでいる幸一に、響子も精一杯サポートするよう覚悟を決めた。
気合を入れてリビングのキッチンへ向かうと、食卓にミリアムが座っていた。
「あら、起きていたの?」
「はい、なんか……寝付けなくて」
「そう。昨日は疲れたでしょう? 休んでいていいんですよ?」
響子は幸一に付きっきりで世話をしようと考えており、ミリアムの教育もこの一週間は響子が肩代わりしようと考えていた。
「……いえ、大丈夫です」
何かがおかしい。
「そう言えばキョーコ。……この一週間は、どこかに遊びに行けますか?」
ミリアムは無邪気な笑顔で聞いてくる。
「……ごめんなさい。先生はこの一週間、とても忙しいから難しいと思うわ」
「……そう、ですか……」
ミリアムは少し目を細める。
(……?)
やっぱり何かおかしい。響子の超人的な感覚は、その異変に気づくことが出来た。
「もしかして……私を治すっていう話と関係あるんですか?」
「えぇ、その通りです。先生が治療薬を開発するために、今頑張っているの。……苦戦しているようだから……」
「……別に無理をしなくても……私は……」
遠慮がちなミリアムの言葉に、響子が安心させるように笑いかける。
「別に無理をしているわけじゃないわ。……先生は、今までもこんな風に色んな人を治してきましたから……私も、そう……」
「キョーコも……?」
「私だけじゃありません。アメリアも、ノアも……あなたのような【特別】な人を、先生は何度も救ってきたのです……。だからきっと、今回も上手く行くはずです」
響子の言葉にミリアムは、ひとかけらも嬉しそうにはしなかった。
「……そう、ですか」
ミリアムは俯いて、何かを言おうとするが途中で止めて、席を立つ。
「朝食が出来たら、呼んでください」
「……えぇ」
とぼとぼと歩くミリアムの背に、響子はやはり違和感を覚えていた。
アメリアの性格を知る響子は、医務室で何かミリアムが強い言葉をぶつけられたのかと少し心配になる。
(……まぁ、子供の悩みに大人が踏み込むものでもないでしょう……)
そう結論付けて、響子は幸一のサポートに集中する。
幸一は研究に悪戦苦闘している中。
「ふぅ……」
行き詰まり、少し休憩しようと幸一は研究室を出る。
「あ、センセー……」
リビングでミリアムと会う。
「……ココアですか?」
「あぁ、頼む」
ミリアムは響子に習い、砂糖とミルクを大量に入れたホットココアを作る。
「どうぞ。……センセー?」
「……あぁ、サンキュー」
遅れた反応を返す幸一は、明らかに疲労が溜まっていた。
目の下には大きなクマができており、今にも瞼が落ちてしまいそうだ。
「センセー……私を治すおつもりですか?」
「まぁな。……安心しろ、絶対に完成させるからよ」
眠気を感じる弱々しい口調だが、その言葉だけは強い意思が込められていた。
「……できるんですか? 前は無理って言っていたじゃないですか」
「……あぁ、あれ嘘だ」
幸一はあっけらかんと告げた。
「え?」
「いやまぁ、確かに今も行き詰っているし、超キツイ。けど不可能じゃねぇよ。可能性はいくらでもある。……なんでそんなことが分かるかって?」
ミリアムの疑問を、幸一が先んじて拾う。
「よく勘違いされるんだが……薬はな、人体の機能を操作するものだ。機能を増強したり抑制したり……元々備わっているものを操作しているにすぎない」
幸一は一度ココアを飲んでから、結論を告げる。
「逆に言えば、人体に備わったものなら、何だって操作できる。それが平凡な機能だろうが、【特別】な機能だろうがな」
「……だから、人体発火現象を止められると?」
「可能性は十分にある。……もし本当に、お前自身に備わった機能ならの話だがな」
ミリアムは驚愕しながらも、酷く動揺する。
「……センセーは……何者なんですか?」
そして、絞り出すように問う。
「あん? ただの薬剤師だよ」
「……嘘、ですよね」
妙に食い下がるミリアムに、幸一は戸惑う。
「ノアさんが言っていました。……センセーは色んな人を救ったと。……センセーは色んな人に信頼されています。ただの薬剤師じゃ、そんなことはあり得ません」
それはずっと感じていた、当然の疑問だった。
響子はこの上なく優秀だ。軍人として優れていたことも、よく分かる。
ではなぜそんな響子が幸一のメイドなどをやっているのだろうか?
響子だけではない。アメリアやノアといった【特別】な力を持つ存在。それに比べて、幸一はあまりにも平凡だ。あれほど信頼される能力があるとは、とても思えない。
「……軍用薬剤師」
「へ?」
ぽつりと幸一がこぼした、聞き馴染みのない言葉にミリアムは首を傾げる。
「あ、いや……まぁ、昔のことだ」
はぐらかす幸一にミリアムは怪訝に目を細める。
「……それより、お前こそどうしたんだ?」
どうやら幸一は断固としてその秘密を話すつもりはないらしく、話題を変える。
「へ?」
「今まで、薬学に興味なんてなかっただろう? ……何かあったのか?」
その言葉に深い意図などない。
だが、ミリアムにはその言葉が深く胸に突き刺さった。
「……いえ」
故に、反応が遅れた。観察力の鋭い幸一は、すぐにミリアムの嘘に気付いた。
「……まぁ秘密の一つや二つ、あっても構わねぇさ。ただ、何かあったら響子に言えよ」
だが特に言及することもなく、幸一は再び研究室へ向かう。
「……はい」
幸一が去ったあとも、ミリアムはリビングを動けなかった。
(……やっぱり、信じるなんて……できないよ……!)
血が滲む程に歯を食いしばって、耐えていたからだ。
ミリアムが悶々とした想いを抱えながら、リミットは迫る。
幸一は研究室に籠り、疲労を溜め込みながらも開発を進めていた。
(……取り敢えず、後は調剤だけだな……)
構想を作り上げて、今ある材料だけで出来る限りの実験を繰り返す。
そうして一週間が経ち、開発は調剤の構想段階まで進んだ。
「はぁ……」
集中が切れてきたので、再びコーヒーを飲んで一息つく。
「上手く行きそうですか?」
そばにいた響子が、静かに問いかけた。
「何回目だよそれ……まぁ、何とかな……だが、材料の調達が面倒だ」
「手伝いますよ。……もう何日も寝ていないのですから、少しは休んでください」
「……そうだな」
そう言って、幸一は必要な材料をメモに並べていく。
「……では、行ってきますね」
響子を見送った幸一はオフィスチェアに深く座り直して、静かに目を閉じた。
ここ数日、ずっと研究室で思考と実験を繰り返していたので、瞼が重たい。
響子が出て行き、たった数十秒で幸一は寝息を立てる。
それをドア越しに感じ取った響子が、再び研究室に入る。
「……根詰めすぎですよ」
タオルケットを膝に掛ける。それだけして、響子は研究室を出た。
「キョーコ……どこかへ行くのですか?」
何気ない行動だが、ミリアムはそれを見ていた。
「えぇ。少し買い物にね。すぐ戻るけど……あなたも来ますか?」
「……いえ、センセーをお守りします」
まるで忠犬のような勇ましい言葉に、響子はつい微笑んだ。
「ふふっ……じゃあ、お願いするわね?」
響子は意気揚々と屋敷を出る。
ミリアムは響子を見送ってから、研究室へ向かった。研究室は響子でさえも、幸一の許可無くしては入れない場所だ。故にミリアムが無断で入れるのは、こんなときくらいだろう。幸一が寝ていることを確信して、幸一の側へ音を立てずに忍び寄る。
規則正しい寝息は、愛おしい程に無防備だった。
(……センセー)
ミリアムはこの数日間、幾度となく本心を言おうかと迷っていた。
幸一と響子がミリアムについて、肉体における危険性を知ったように、ミリアムは自身の精神における危険性を知った。それは正しく、呪いのようなものだった。
(……私、嘘を吐きました)
まるで悲劇のヒロインのように幸一と響子に語った、これまでの自分の人生。
それには決定的な嘘が込められていた。
(認めたくなかったけど……私……楽しかったんです……)
両親を自分の手で焼き殺してしまったときに、確かに得たあの快感。テロ行為で幾度となく政府の要人を殺したときも。証拠隠滅のため、その場にいる無関係の人々の命を絶ったときも。ミリアムは確かに感じていた。自分ではどうすることもできない。
だから、怖かった。
(……私、二人を守ります……)
ミリアムは馬鹿ではない。故に自分の本心を告げたならば、必ず幸一や響子が自分の為に動いてくれることを理解していた。だがそうなれば、二人の安全は保障できなくなる。
……本当は二人の優しさに、甘えたかった。
ミリアムは研究室に散らばる治療薬の資料を手に取る。
(ありがとうございました……安全な場所も、おいしい食事も、知識もくれて……穏やかな世界を教えてくれて、綺麗な服を買ってくれて、髪の毛も伸ばさせてくれて……)
ミリアムは静かにその資料をまとめると、研究室を出る。
もう『ソリッド・シールド』カリフォルニア支部への道は覚えた。
(……私、二人と出会えて……幸せでした……)
ミリアムは庭に出て、手に持っていた資料を【人体発火】で燃やした。
これ以上、自分の為に時間を使わせるわけにはいかない。
呪われた自分は【人体発火】の力を使って生きるしかなかったのだ。
(……さようなら……!)
そして、逃げるように駆け出そうとしたとき。
「……?」
音が聞こえた。それは何かが高速で飛来する音。
(……小型ミサイルっ!?)
ミリアムがそれを視認した直後。
大爆発が起きた。
「っ……がはっ! げほっ……センセー……!」
窓ガラスが弾け飛び、地面が激しく揺れ、轟音が鳴り響く。
爆風に外塀まで吹っ飛ばされたミリアムは、すぐに起き上がり幸一の身を案じる。
「……!」
小型ミサイルの直撃により、屋敷のほとんどは吹き飛んだ。
だが煙が晴れたとき、研究室だけは無事だった。研究室と思われる場所は、不自然に直方体の金属が露出しており、中に被害が及んでいないことが分かる。
研究室は防音だけではなく、シェルターとしての役目があったのだ。
「……久しぶりだな。ファースト」
「っ!?」
そのコードネームに、ミリアムは硬直する。
装備を施してライフルを構える男たちが、続々と速やかに庭から侵入する。
ミリアムは心臓が暴れ始めるを感じながら、声の方向へ振り返ると。
「……この屋敷の情報を報告しろ。ファースト」
大柄なスキンヘッドの黒人が、そこには立っていた。装備の上からでも分かる程に肉体は鍛え上げられており、僅かに露出している顔や腕にはいくつもの古傷がある。
(……やっぱり、見間違いじゃなかった)
ほんの数瞬だがミリアムは、服屋でこの男と視線を交わしていた。
ミリアムの元上司にして、『衛星特攻兵団』のボス。
エディ・クレイである。
「ん……? おわぁっ!? な、なんだ……!?」
突如の轟音から、激しく揺れる研究室の中で幸一は目を覚ました。
「あだっ! ぐっ……地震か……!?」
椅子から転げ落ちて、背中を強打しながらも机の下に隠れる。
そして揺れが収まるのを待ってから、机から出る。
「……何だと?」
そして、異変に気づいた。
(研究資料が、全部消えている……!)
ここには幸一の許可なく入ることは、響子であっても許されない。
(鍵は開けていたから、響子なら入っていてもおかしくはねぇが……資料が消えているのはおかしいだろ……。……取り敢えず出るか……)
驚愕しながらも、幸一は研究室を出ようと、扉に手を掛ける。
「あん? お、重い……! ふんぬっ……!」
異様に重たい扉を、無理矢理こじ開ける。
「……なっ……!? ……嘘、だろ……」
扉の隙間に広がるのは、瓦礫の山と舞い上がる煙。屋敷は原型を失っており、完全に崩落している。だが、その遠くに見える他の住宅は何事もないかのように無事だ。
この屋敷だけが破壊されているという、人為的なこの状況にようやく幸一は、自分が緊急事態に陥っていることを自覚する。
(爆破されたのか……!? 一体誰が、何のために……!? いや、それよりも……!)
幸一は焦った様に扉をなんとか開けて、外へ出る。
「……ミリアム……!」
もしミリアムが自室で休んでいたのならば、ミリアムの生存は絶望的だ。
幸一は過呼吸気味になりながら、辺りを見渡す。
「ミリアム!」
声を震わせながら、舞い上がる煙の中でミリアムを探していると。
「……センセー」
背中から声が掛けられる。
「っ!? ミリアム……!? 生きて――
……後の言葉は、発砲音にかき消された。
ずきり、と襲い来る痛みに腹部を見る。
「……は?」
右の脇腹から、血が吹き出ていた。訳も分からず、膝から崩れ落ちる。
倒れながら、横目で後ろを見ると。
「……サヨウナラ」
拳銃を構えたミリアムが、カタコトの日本語で別れを告げていた。
その光景から、ミリアムが自分に発砲したことを理解しながら、幸一は意識を失った。
「……マジ、かよ……」
「仕留めたか?」
「はい」
崩れ落ちた幸一を見て、ミリアムは銃口を下げる。
「よし、今すぐここを離れるぞ。……本当に、あのメイドは最大の脅威なんだな?」
「はい。キョーコは私より強いです……遥かに」
断言するミリアムの口調に、エディは通信機を取り出した。
「……総員、撤退だ。ファーストは回収した」
短く告げて、エディたち『衛星特攻兵団』は大型車に乗りこむ。
ミリアムも車に乗り込み、その場を去る。残ったのは、瓦礫の山と倒れ伏した幸一のみ。
「……はぁ……はぁ……!」
そんな絶望的な状況へ、響子は遅れて駆けつけた。
「なっ……!?」
その光景に驚愕しながら響子は、静かに拳銃を構えて周囲を警戒する。
優れた感覚から、倒れている幸一を見つけるのに時間はかからなかった。
「……先生!」
急いで響子は幸一を抱き起し、研究室のベッドに寝かせて、扉を閉めて鍵をかける。
(……撃たれたようですね……しかし、脇腹なのは幸いでした)
響子は研究室にある救急セットから、幸一の応急手当をする。
「先生っ! 先生っ!」
素早く手当てを終えてから、肩を揺らして必死に呼びかける。
「……ん、あん……? あれ、響子……? うっ!?」
体を起こそうとして痛みが走り、幸一は顔を歪める。
「……良かった……」
「そうだ……思い、出した……」
「爆発音が聞こえて戻ると、屋敷が崩壊していました。無事なのはここだけです。先生は腹部を撃たれて倒れていました。……そして、ミリアムがいません」
響子は超人的感覚で、微かな呼吸音や匂いなどでミリアムを探していた。仮に生き埋めになっていたとしても、血の匂いを辿れるはずだ。だがミリアムは見つけられなかった。
「……時間がねぇから、手短に伝えるぞ」
幸一は自分の身に起きたことを告げた。
研究資料が全て無くなっていること、何者かに屋敷を爆破されたこと、そして――
「俺は、ミリアムに撃たれたんだ」
「え……?」
響子は驚愕しながらも、思い当たることがあった。
「……まさか」
「あぁ、恐らく『衛星特攻兵団』だろう。ミリアムは連中に連れて行かれた。……だが、だとすれば妙だな。ミリアムが俺を仕留め損ねたのもそうだが、何故かこの研究室が荒らされていない。【人体発火】に関する研究資料だけが消えている」
幸一の撃たれた場所は、右の脇腹……肝臓に当たる位置だ。
肝臓は三分の一が無くなっても再生する程に、人体で最も回復しやすい臓器。
最強少女兵と謳われたミリアムが、狙いを外すとは考えにくい。
「ミリアムは、【人体発火】の研究資料を盗んだ上で、先生を生かした……?」
「まぁ、あくまで希望的観測だ。ミリアムが裏切った可能性もある」
「……そんな……」
狼狽える響子とは反対に、幸一は冷静だった。
「それより響子、起こしてくれ。すぐにここを離れねぇと」
「……そうですね。彼らがまたここに来るかもしれませんし」
幸一は響子の肩を借りながら、長机の方へ向かう。
「いや、連中はここには来ねぇよ。どうせガラ空きの『ソリッド・シールド』へ向かっているはずだ。それを止めねぇと、死体の山ができる」
オフィスチェアに座り、一番下の棚を引っ張り出す。
そこにはいくつもの携帯注射器や、注射針などが保管されていた。
幸一はそれらを、ポケットやベルトの間に突っ込んでいく。
「響子、解毒薬を飲んでおけ」
「……かしこまりました」
響子は懐から携帯注射器を取り出して、首に打ち込む。
「後は……んっ」
幸一は痛み止めや気つけ薬、止血剤などを常備してあるペットボトルで流し込む。
「ふぅ……にっげぇ」
薬剤師のくせに、幸一はいつになっても薬の苦みに耐えられない。
そんないつも通りの幸一に、響子は少し緊張がほぐれた。
「……よし。んじゃ、さっさと出るぜ。警察に捕まっても面倒だ」
薬のおかげで、多少体を動かせるようになった幸一が、オフィスチェアから立ち上がる。
「どこへ向かいますか?」
「近くの公衆電話だ。取り敢えずエヴァと連絡を取りたい」
響子は扉に耳を当てる。
「……周囲に人はいません。特に罠の類も無いかと」
「まぁ、そうだよな」
響子が周囲を警戒しながら、二人は研究室を出た。
最寄りの公衆電話にたどり着き、コインを入れる。
「タクシーを捕まえておいてくれ」
「かしこまりました」
エヴァの携帯番号を手早く入力すると、ワンコールでエヴァは出た。
「俺だ」
「コーイチ!? 無事だったかい!?」
「あぁ、何とかな。……その様子じゃ、知っているのか?」
「いいや。ただ、こっちには何も無かった。嘘の情報を掴まされたんだ。そしてつい二時間前の話だ。君の最寄りの警察署が爆撃されたんだ。もしやと思ってね」
幸一は口早に告げる。
「俺達は襲撃を受けた。恐らく相手は『衛星特攻兵団』だ。ミリアムも消えた」
「……そうか」
「連中はガラ空きのカリフォルニア支部を狙うだろう。今すぐ連絡を入れておけ」
「それは大丈夫。既に入れてあるよ」
「よかった。……相手の狙いに心当たりはあるか?」
「分からない……確定していることは、僕ら『ソリッド・シールド』の打倒を掲げていることぐらいだ。テロ行為をするに当たって、僕らは最大の障害だからね。それと、ミリアムの回収も狙っていたはずだ。発信機は壊したが、生きているという情報は渡っていただろうし、何よりミリアムは人体実験の成果物だからね」
「……してやられたってことか……」
「あぁ、そうだ……行くのかい?」
エヴァの質問に、幸一は即答する。
「おう。……言っただろ。ミリアムは、俺が治す」
「そっか……だったら、伝えておくよ」
エヴァもその答えに覚悟を決めて、口早に告げる。
「残存敵戦力は確認できているだけで、二十八人」
「多いな」
「あぁ。でもほとんどが雑兵だ。武装したテロリストとはいえ、キョーコなら問題なく突破できるはずだ。問題はエディ・クレイだ。『衛星特攻兵団』のトップ」
「そういや言っていたな……生きているって」
「気を付けてくれ。彼は……アメリアと戦って生き延びた男だ」
「……そいつは、相当なバケモンだな。何者だ?」
「分からない。けど、嘘の情報を掴まされたことといい、ここまで鮮やかに事態が悪化していることから察するに、かなり頭が切れるんだろう」
「……厄介だな」
「それと、援軍は期待するな。あのレベルのテロ組織は、警察では対処できないし、アメリアもノアもこっちにいる。今からジェットで向かっても、半日はかかる」
「そうか……分かった。じゃあな」
「……死ぬなよ」
「おう」
幸一は電話を切って、振り返る。
「先生、こちらです」
既に響子がタクシーを待たせており、幸一は乗り込む。
響子は超感覚で幸一の電話の内容を聞いていたので、既に行き先は告げており、幸一が乗り込むと同時にタクシーは発進する。
幸一もそれを理解しているので、特に説明することもなく沈黙が訪れる。
「……先生、ごめんなさい」
そんな中、ふと響子が呟いた。
「あん?」
「ミリアムが出て行ったのは、私のミスです」
「……どういう意味だ?」
「実は一週間ほど前、先生が【人体発火】の治療薬の開発を始めたとき、ミリアムが隠し事をしていることに気付いていました。……あの場で問いただすべきでした。……申し訳ありません」
響子は心から謝罪する。
幸一はそれを聞いて、きっぱりと断言する。
「間違っちゃいねぇよ……お前は正しい」
「……そう、でしょうか」
「間違っているのはミリアムだ。……そんで、子供の尻拭いをするのは大人の務めだ」
「……」
「まぁ、やるしかないだろ。めんどくせぇけどな」
器用にタクシーの中でストレッチを始める幸一。
「……ごめんなさい」
そんな幸一に、響子は再び謝罪する。
「今度は何だよ?」
「私、先生に期待していました。私を救ったように……先生なら、ミリアムを救えるって……先生はもう、昔とは違うのに」
「あん? お前……エヴァの狙いにも気付いていたのか……?」
「はい。能力で最初から……。それに私も賛同したのです。……軽率でした」
響子は目を伏せて涙をこらえるが、自然と涙は零れ落ち、膝元のエプロンを濡らす。
「先生に託すということは先生が身を削るということ……! 分かっていたはずなのに!」
まるで叱られた子供のように、響子は声を殺して泣き始めた。
「……先生っ……どうか遠慮なく、逃げてください……! 私は――
幸一は手を伸ばす。
「……せん、せい……?」
「泣くな。馬鹿」
響子の頭に手を乗せて、くしゃりと撫でる。
「エヴァにも言ったけどな。……俺は自分で選択したんだ。それで起きる悲劇は、お前のせいじゃねぇよ。……俺の失敗だ」
幸一は、覚悟を宿した瞳で響子を見る。
「……せん、せい……」
いつもの情けなさとは程遠い姿に、響子は昔を思い出す。
かつて自分が救われたときも、こんな目をしていた。
「それにな、お前は俺に託したんじゃない」
「え?」
「お前は救おうとしていたじゃねぇか。自分と同じ境遇のミリアムを、なんとかして助けようと、俺をけしかけた」
「……それは」
「俺に押し付けたんじゃない。お前が、俺を使ってミリアムを救おうとしたんだ」
幸一は響子がミリアムを気に掛けていたことを知っている。
まるで年の離れた妹を可愛がるかのように、常にミリアムに気を配っていた。
きっと誰より、自分の手で救いたかったのだろう。見ず知らずの病人にさえ、治療費を立て替えるようなお人好しだ。自分と同じ境遇のミリアムを助けない訳がない。
「どうせ俺が行かなくてもお前は一人で、ミリアムを助けに行っただろう?」
「……そう、ですね」
「なら、俺は関係ねぇよ。……それより、そろそろ着くぞ」
幸一は外の景色を見ながら、告げる。
「エヴァの情報通りなら、お前だけでも十分突破できる」
目的地である、『ソリッド・シールド』カリフォルニア支部の近くにある路地裏。
そこで二人はタクシーから降りて、歩き出す。
「問題は連中のトップ、エディ・クレイだ。……勝てなくてもいい。俺がミリアムを連れ戻す時間を稼いでほしい」
「かしこまりました」
短い作戦会議を終えて、二人はカリフォルニア支部へ近づく。
「……やっぱ遅かったか」
散発的に聞こえる爆発音と銃声、けたたましい警報器の金属音が、テロ行為が既に始まっていることを告げる。門の両隣にいるはずの警備員は、既に死体だった。
「溶かされています」
「あぁ、ミリアムの【人体発火】だろう」
そして金属製の門は、溶かし崩されていた。
二人は門を潜って、ビルの中へ進んでいく。
「……先生」
入ると真っ先に、ライフルを携えた男が二人待ち構えている。
ヘルメット、コンバット、コンバットパンツ、長靴と完全武装しており、全て迷彩色であることから、軍隊の装備であることが伺える。
そして地べたには、縄で手足と口を縛られた職員たちがいた。
「おう。行ってこい」
幸一の指示に響子はナイフを構えて、片方の警備兵に音もなく近づく。
「……?」
気配を感じて、振り返ったときにはもう遅い。
装備の隙間を縫うように首の根元をナイフで裂く。
血を流しながら崩れ落ちるよりも早く、響子はもう一人の警備兵に振りかぶる。
「な、なんだおま――
その言葉の最中、響子の投げたナイフが首に突き刺さる。
怯んだ一瞬の内に響子は踏み込み、突き刺さったナイフを滑らせる。
音もない瞬殺劇に、幸一は呆れるようにため息をついた。
「えぐいな……」
敵を制圧したと思い、幸一が歩き出した瞬間。
響子が目にも止まらない速さで、幸一に向かって発砲する。
「ぬがぁっ!?」
幸一の後ろからは、うめき声が聞こえた。
「っ!」
幸一は旋回しながら、男に注射針を投げ飛ばす。
「うっ……き、さま……!」
太腿に命中。男はなんとか通信機のボタンを押そうとするが、指に力が入らない。
「なん……?」
男は理解が追い付かないまま倒れる。既に意識はなかった。
幸一が戦闘用に調剤した、即効性の麻酔薬を塗った注射針の投擲。
「あっぶねぇ……!」
なんとか敵を無力化して、幸一は額にべっとりと染み出す冷や汗を拭った。
「あ、ありがとうございます!」
「いえ……」
響子は人質となっている職員の縄をナイフで切る。
「先生……私が守りますから、あまり一人で動かないでくださいね?」
解放された職員は、口々に響子に礼を言って外へ逃げる。
「分かってるよ」
幸一は警備兵からナイフと拳銃を奪う。
(……妙だな)
幸一は今の攻防にある違和感を覚えていた。
(響子がいないときに屋敷を爆撃したってことは、響子の脅威を理解しているってことだ。……なのに弱すぎる。この調子じゃ人質は意味をなさない。精々ちょっとした時間稼ぎだ)
幸一がこの違和感の正体を考察している間に、響子は人質を全て解放した。
「ありがとう……! 本当にありがとう!」
「いえいえ」
「実は上の階にも、捕まっている人がいるんだ! だから頼む!」
「えぇ、分かりました。必ず助けます」
どうやら上の階から逃げてきたらしい職員が、外へ逃げるとき。
「あ、おいあんたっ」
「はい?」
幸一は手短に問いかける。
「ここに来た奴らの中に、子供は居なかったか? このくらいの」
しかしその職員は首を傾げる。
「……いや、見ていないよ。私も全てのテロリストを見た訳ではないと思うが……そんな子供がいた覚えはないな」
「……そうか、引き止めて悪かった。早く逃げな」
「あ、あぁ……! 二人とも、ありがとう!」
幸一はますます違和感が膨れ上がり、自分の想定に疑問を感じる。
(ミリアムは来ていない……? じゃあ何のためにミリアムを回収したんだ? いや、そもそもミリアムは……回収されたのか?)
「先生? 上へ行きますよ?」
響子が声を掛けるが、幸一は返事ができず冷や汗が止まらない。
(もし、もしもだ……もし本当にミリアムが裏切ったのなら……研究資料を盗んだのか? でもなんで俺をそのとき殺さなかった? ……いや、違うな……)
エヴァが告げていた。エディが切れ者だという情報が、幸一の焦燥を加速させる。
(エディ・クレイ……奴がミリアムと接触して……響子の情報を握っていたのなら――ここにミリアムはいない――別の場所に奴とミリアムはいる――現状唯一の脅威である響子が必ず足を運ばない場所――)
頭の中を爆走する思考の中で、幸一の脳裏に閃光のように浮かび上がる可能性。
(――研究室……!)
幸一は響子に詰め寄る。
「響子! ここは罠だ! 今すぐ屋敷に――
そのとき、まるで見計らったかのようなタイミングで絶叫が木霊する。
響子の研ぎ澄まされた聴覚は理解する。今、この場で……人質が殺さている。
「待て、響子!」
今にも駆け出そうとする響子を、幸一は呼び止める。
「その人質は罠だ!」
「だとしても! 見過ごせません!」
意見が対立して仲間割れする状況に、幸一は敵の策略に嵌められたことを悟る。
(クソッ! 何もかも掌の上かよ……!)
悪化していく事態に、幸一はため息をついた。
「……分かった。だが俺は屋敷へ戻る。お前もできるだけ早く来てくれ」
「はいっ!」
その返事と共に、響子は駆け出した。幸一も振り返って駆け出す。
(奴の狙いは俺の研究データ! だとするなら辻褄が合う! ……そしてなにより、ミリアムを俺や響子に接触させずにテロ行為を終えることができる!)
タクシーを捕まえる時間も惜しく、最寄りのレンタカーを借りて道を爆走する。
(……俺のせいだ……! 全部、俺の……!)
そうして『ソリッド・シールド』の兵士はおろか、アメリアやノア、そして響子すらも引き離され、完全に孤立無援の状態で幸一は屋敷へと戻るのだった。
これで第七章は終わりです。
これから佳境に入るのですが、私は何を間違えたのか、ここから響子の活躍を書いてしまったのです。読者に主人公の活躍を見せるのならば、視点は常に幸一にあるべきでした。
また、本当はミリアムを治すことが出来たと前述したにも関わらず、完全に治療するには時間がかかると少し矛盾したような書き方をしてしまいました。
薬でミリアムの能力を無力化することは簡単ですが、治療薬を作るとなると膨大な労力が必要になると書けば分かりやすかったかもしれません。
では。