青春18きっぷの旅 金沢へ

はじめに

青春18きっぷの2日分を使って、金沢方面へ行ってきました。行ったのは3月7、8日で、ちょうど北陸新幹線の敦賀延伸一週間前でした。今回、このタイミングで向かったのには理由があります。3月16日に金沢敦賀間が新幹線で接続されるのに合わせて、元来その2点を結んでいたJRの在来線が第三セクターに移管されるのです。青春18きっぷで金沢を訪れることができる最後の機会ということで、今回向かいました。

北陸新幹線開業間近の敦賀駅

一日目


一日目の道のり

大阪から敦賀へ

JR京都線、琵琶湖線、北陸本線と乗り継いでいきます。米原、敦賀駅付近までは新快速が利用できますが、北陸本線は各駅停車のみです。
今回の場合、新快速長浜行きで長浜まで行き、近江塩津行き、敦賀行きを乗り継いで敦賀まで着くことができました。スマホの乗換案内に従わず、乗れそうな列車に乗り続けた結果、乗換階数を2回も増やしてしまいました。


長浜駅近くのオサカナラボにて


近江塩津駅前にて 実物見たのは初めて

敦賀から金沢へ

敦賀駅到着後、北陸本線へ乗換。敦賀駅は新幹線駅増設のため、要塞のようないで立ちになっています。開業後は大阪方面からくる特急と新幹線を立体的に接続するらしいです。そこから数駅乗り継ぐとすぐに福井駅に到着しました。

福井駅では次の電車まで一時間弱時間があったので、少し観光しました。昼ご飯で駅前ビルにはいっているラーメン屋さんへ行きました。醤油ラーメンが人気の店のようでしたが、何を注文するか迷っていたので、前の若い夫婦が選んでいたつけ麺を私も注文しました。

その後、福井県庁や有名な恐竜のオブジェクトを見た後、再び電車に乗りました。福井県庁ってほんとにお堀の中に建っているんですね。



お堀の中の福井県庁


これだけでどれだけ豪雪地帯なのかが分かる

そこから約二時間電車に揺られていると金沢駅に到着しました。本来このお旅を計画したときは富山まで行く予定でした。しかし、当日、それも福井から金沢へ移動している中で、大変なことに気が付きました。金沢富山間はすでに第三セクターのIRいしかわ鉄道の運営になっていました。IRとJRを見間違えたために、その道中にて富山行きの計画は頓挫してしまいました。しかしあきらめきれずIRいしかわ鉄道のホームページを見ていると、なんとJR七尾線とは無料で接続をしていることが判明しました。
夜まではまだまだ時間があったので、急遽、能登方面へ行ってみることにしました。

金沢駅近くにて 災害派遣の緊急車両

七尾方面へ

金沢駅でIRいしかわ鉄道に乗り換え、そのままJR七尾線に接続します。車窓滋賀、福井の田園、住宅街から変わって、山間の集落の様を呈してきました。そのまま電車に揺られること一時間半、18時ごろに終点七尾駅に到着です。本当は和倉温泉まで行きたかったのですが、タイミングが合わず、七尾駅までとなりました。七尾線はワンマンの折り返し運転なので、乗ってきた電車で帰らなければ次の電車は一時間後になります。そのため、金沢行きが出発するまでの約15分間で七尾駅周辺を観光することにしました。
電車で能登半島の中能登を通ったあたりから屋根にブルーシートを張った民家がっぽつぽつ出てきた印象でした。七尾は特に地震の被害が大きかった珠洲市や輪島市と比べれば被害は少ない方だろうと思っていましたが、それでも想像以上の被害がそこには広がっていました。
駅のホームは割れめくり上げられ、市街地へと続くストリートもタイルが剥がれたり、アスファルトが隆起したりしていました。全壊した建物も複数あり、被害の大きさを物語っていました。七尾港の様子も見たかったですが、時間がなくかないませんでした。
約15分後に折り返し、金沢駅に到着。これで一日目の行程は終了です。


JR七尾線からの車窓


七尾駅のホーム


一日目の総移動距離

二日目

この日は朝5時スタートです。金沢駅から数駅のところに小舞子海岸という名所があることを知ったので、そこで日の出を見ることにしました。日の出の30分前ぐらいについたのですが、薄暗く、冷たい海風が今まで感じたことのないような恐ろしい雰囲気を醸し出していました。

6時半ぐらいまで海岸に滞在した後、再び電車に乗り、福井方面に進んでいきました。

早朝の小舞子海岸
兵庫の舞子と似ていたからついた名前らしい


小舞子駅に合った除雪機 無人駅

福井駅の駅そばで朝食を済ませ、福井駅も新幹線開業に合わせて周辺の再開発がされているようで、商業施設や幹線道路がやり替えている様子が印象的でした。その後、一時間ほどで福井を出発し、敦賀へ行くことにしました。

敦賀駅の改札を出て、正面の商店街をひたすら進んでいきます。この商店街、構造がすごく面白く、片側2車線なのですが歩道と車道の境目に駐車場のようなスペースがあります。そのほとんどのスペースに車が止まっていました。よくある車を縦向きに止めるパーキングスペースのようなものではなく、横向きにがっつり駐車するスタイルです。とても新鮮な光景でした。

その通りをひたすら歩き、15分ほどたったころで敦賀港に到着しました。敦賀港は19世紀から日本の玄関口として機能していたそうでした。その当時は航空機はまだなく、遠くへ行く移動手段としては船か電車のみです。敦賀港は船でウラジオストクと結ばれており、そこから鉄道でヨーロッパの各都市と接続されていました。そのため、当時ヨーロッパへ行くためには敦賀を経由する必要があり、松岡洋右が国際連盟脱退を宣言した際にも敦賀港が利用だれたそうです。このような理由から敦賀港にはその当時の賑わいを示す資料館がいくつもありました。

停泊中の海上保安庁の船


敦賀鉄道資料館はそのうちの一つです。上記の理由から、敦賀には大きな貨物港もあり、国鉄も貨物駅を設置していました。その当時の建物を利用したところに作られているのですが、湖西線の成り立ちや関西地方の鉄道事情について、丁寧にまとめられた資料館でした。


当時の運航ルート


敦賀赤レンガ倉庫というものもありました。赤レンガ倉庫といえば横浜ですが、敦賀にもあるそうです。この倉庫はもともとニューヨーク・スタンダードが石油などを保管しておくために建てられたそうですが、今は改装されてレストランや資料館となっていました。今でも当時の面影を残しています。 


社會ドーダンタス育紐(ニューヨークスタンダード会社)という文字がうっすら残る

赤レンガ倉庫を見たあと、敦賀駅に戻りました。12時13分発の新快速に乗って大阪への帰路につきました。これにて今回の旅は終了です。

二日目の移動距離


さいごに

はじめこの旅を立てたときの目的は富山に「富山ブラックを食べといいtといったものでした。しかし途中で富山にいけないことが分かり急遽予定を変更し、電車内で計画を練り直したものになっています。そのためスケジュールもかつかつになってしまい、移動がメインの旅になってしまいました。しかし、気になっていた七尾にも行くこともでき、敦賀観光も楽しむことができました。これにて今回の旅の記述を終えたいと思います。


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