老僧即今在甚麼處
「老僧は即ち今、甚麼處か在る」
慧忠国師(675-775)は六祖慧能法嗣。
次のように解説される。六祖下の五大宗匠と書かれている。
唐代僧。俗姓冉,世稱南陽慧忠國師。博通經律,法受雙峰,是禪宗六祖惠能門下的五大宗匠之一,與菏澤神會共同在北方弘揚六祖禪風。聞六祖慧能大師之名,即踰嶺叩謁,獲其心印。大曆十年在黨子谷示寂,年壽當在八十以上。師與行思、懷讓、神會、玄覺等四人並稱為六祖門下之五大宗匠。
五燈会元のはじめのエピソードは、有名だと思う。この心のテーマは徳山の方が有名かもしれない。
《五燈會元》卷2:
南陽慧忠國師者越州諸暨人也。姓冉氏。自受心印。居南陽白崖山黨子谷。四十餘祀不下山。道行聞于帝里。唐肅宗上元二年。勑中使孫朝進賷詔徵赴京。待以師禮。初居千福寺西禪院。及代宗臨御。復迎止光宅精藍十有六載。隨機說法。時有西天大耳三藏到京。云得他心通。肅宗命國師試驗。三藏纔見師便禮拜。立于右邊。師問曰。汝得他心通那。對曰。不敢。師曰。汝道老僧即今在甚麼處。曰。和尚是一國之師。何得却去西川看競渡。良久。再問。汝道老僧即今在甚麼處。曰。和尚是一國之師。何得却在天津橋上看弄猢猻。師良久。復問。汝道老僧只今在甚麼處。藏罔測。師叱曰。這野狐精。他心通在甚麼處。藏無對
南陽慧忠國師者、越州の諸暨人なり。姓を冉氏という。自ら心印を受け、南陽白崖山の黨子谷に居る。四十餘祀、山を下らず、~機に隨って法を說く。時に西天の大耳三藏有り京に到り、他心通を得ると云う。肅宗、國師に試驗せ命む。三藏纔ち師に見え、便ち禮拜し、右邊し立つ。師問うて曰く、汝他心通を得る那。對えて曰く、不敢。師曰く、汝道え、老僧即ち今、甚麼處に在りや。曰く、和尚是れ一國之師、何を得て却って西川に競渡を看に去く。良久し、再び問う、汝道え、老僧即ち今、甚麼處に在りや。曰く、和尚是れ一國之師、何を得て却って天津橋上に弄猢猻を看て在る。師良久し、復た問う、汝道え、老僧只だ今、甚麼處に在りや。藏罔測す。師叱って曰く、這の野狐精。他心通、甚麼處に在らん。藏無對。
ここのところ、正法眼藏の心不可得で取り上げられる。なお心不可得の前半では周金剛王の徳山の話。
マタ大證國師ノトキ。大耳三藏。ハルカニ西天ヨリ到京セリ。他心通ヲエタリト稱ス。唐ノ肅宗皇帝。チナミニ國師ニ命シテ試驗セシムルニ。三藏ワツカニ國師ヲミテ。スミヤカニ禮拜シテ右ニタツ國師ツヒニトフ。ナンチ他心通ヲエタリヤイナヤ。三藏マウス。不敢ト。國師イハク。ナンチイフヘシ。老僧イマイツレノトコロニカアル。三藏マウス。和尚ハ。コレ一國ノ師ナリ。ナンソ西川ニユキテ。競渡ノフネヲミル。國師ヤヤヒサシクシテ再問ス。ナンチイフヘシ。老僧イマイツレノトコロニカアル。三藏マウス。和尚ハ。コレ一國ノ師ナリ。ナンソ天津橋上ニユキテ。猢猻ヲ弄スルヲミル。國師マタトフ。ナンチイフヘシ。老僧イマイツレノトコロニカアル。三藏ヤヤヒサシクアレトモ。シルコトナシ。ミルトコロナシ。國師チナミニ叱シテイハク。這ノ野狐精。ナンチカ他心通。イツレノトコロニカアル。三藏マタ祗對ナシ。
この後に、長い心についての論となる。
おそらく、「イハユル佛道ニ心ヲナラフニハ。萬法即心ナリ。三界唯心ナリ。唯心コレ唯心ナルヘシ。是佛即心ナルヘシ。」ということなのだが、これを、徳山の金剛経の話とは異なる感じで、長く長く説く。
そして次のように終わる。
天帝釋。アルトキ國師ニトフ。イカニシテカ有爲ヲ解脱セン。國師イハク。天子。修道シテ有爲ヲ解脱スヘシ。天帝釋カサネテトフ。イカナランカンカコレ道。國師イハク。造次心是レ道。天帝釋イハク。イカナランコレ造次心。國師ユヒヲモテサシテイハク。這箇ハ是レ般若臺。那箇ハ是レ眞珠網。天帝釋禮拜ス。オホヨソ佛道ニ身心ヲ談スルコト。佛佛祖祖ノ會ニオホシ。トモニコレヲ參學センコトハ。凡夫賢聖ノ念慮知覺ニアラス。心不可得ヲ參究スヘシ
慧忠国師は、よく帝釋天と会うようだ。碧巌録第18則にも、「我在天帝釋前。見粟散天子。如閃電光相似。」(我れ天帝釋の前に在って、粟散天子を見る。閃電光の如くに相い似たり。)とある。