漢文仏典について(4)

漢文の読解は、歴史的に始めのころは日本語として通用するように工夫され、徐々に漢文の構文的な性質により形式化が進んだのであった。しかし、それだけでは済まない。漢文を訓読で日本語とできることは、日本語となってしまった訓読漢文を、日本人が自由に、日本語として考える事ができる、ということになる。構文といった形式的なことではなく、日本語で解釈し、発想してしまうということである。

末木文美士は、親鸞を例に挙げる。親鸞の思想の中核は、『大無量寿経』に説かれる阿弥陀仏の第十八願である。至心・信楽・欲生の三心が備わることが必要とされるが、親鸞は、それは凡夫には不可能という。

《佛說無量壽經》卷2:
諸有眾生聞其名號信心歡喜,乃至一念,至心迴向願生彼國,即得往生住不退轉,唯除五逆、誹謗正法。

これを「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。心を至し回向したまえり。かの国に生まれんと願ずれば、すなわち往生を得て不退転に住す。唯五逆と誹謗正法とを除く」と読む。

このところの「心を至し回向したまえり」というのを、一文としているところが恣意的といえるだろう。敬語としてあり、つまり阿弥陀仏の行為(願い)としているところである。この文には主語がない。前の文とつながっていて、「諸有眾生」が主語だと考えたくなるが、それは、そもそも衆生にはできないことだと言いたいのであろう。阿弥陀仏の回向の力によって、衆生にそれが可能になった、と。衆生とすればその阿弥陀仏のはたらきを受け取るのみであり、「他力」思想に適合する。

親鸞は、その部分を独立した一分として、主語を変えて、「阿弥陀仏至心迴向」と見ているのだ。勿論、そう書かれていない。もとの漢文を分けて、禅語を句点(。)で区切ってしまっているのだが、これは漢文を日本語に、もしくは自身の思想によって解釈して、それが通用したということである。確かに、句点、読点の入れ方で意味や強調するところ、ニュアンスが変わるのだが、文法的に決定的な規則はない。

このようなやり方は、中世の本覚思想の文献になると、間違いとかではなく、恣意的に行われるようになった。例えば、「一心三観」は「一(ひらける)心に三観なり」、「心を一(もっぱら)にして観を三にす」、「心を一(わけ)て観を三にす」という三つの読み方が提示されるが、明らかに読み手側の意図だろう。書き手に意味上のこだわりがあれば、説明するところだろうし、そうでなければ、原文の文脈における適合で解釈すべきだ。

このことは、日本語の特徴であろう。また、このような特性故に日本人の平均的な態度ができあがってきたような感じさえする。そもそも話す言葉はあっても、書く言葉(方法)がなかった日本の精神的な特徴といえるのかもしれない。どうだろうか。

参考:末木文美士、日本仏教史、新潮文庫、1996

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