又云、我宗は自力にもあづからず
鈴木大拙編校『盤珪禅師語録』岩波文庫p.93
盤珪佛智弘濟禪師御示聞書 下 三七
又云、我宗は自力にあづからず、他力にも預からず、自力他力を超えたが我宗でござる。其證據は、見どもが斯いふを皆こちらむいて聞ござる中に、後で啼すずめの聲、からすの聲、男の聲、女の聲、風の吹聲がすれば、それぞれの聲か、聞ふと思ふ念を生ぜずに居るに、此方へそれぞれの聲がわかれ通じ聞ゆるは、我聞にあらざるゆへに、自力にあらず。又是を人に聞てもらふて、役に立ねば、他力にあらず。すれば自力にも預からず、自力他力をこえたが、我宗でござるわひの。そふじやござらぬか、かくのごとく其不生で聞ば、一切事がこえて居ますわひの。其外の一切事も、皆まず其ごとくに不生で調ひますわひの。不生で働く人はどなたによりませず、皆一切事が不生で調ひますところで、不生な人はどなたでも、自力他力にあづからず、他力をこへて居ますわひの。