管長日記「飛騨の高山で法話」解釈20241123
飛騨高山に法話をしに行った話。円覚寺との縁は比較的最近のようだが、山岡鐵舟との関係もあったという。宗猷寺というお寺、
wikipediaより。
宗猷寺(そうゆうじ)は岐阜県高山市にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は真龍山。金森可重の菩提寺であり、山岡鉄舟ゆかりの寺院としても知られる。聖観音菩薩が祀られており、飛騨三十三観音霊場6番札所となっている。
寛永9年(1632年)に飛騨高山城主金森可重の菩提寺としてその嗣子の金森重頼と弟の金森重勝を開基とし、安国寺から妙心寺92世南叟宗安禅師を招いて建立された。創建時は大平山新安国寺と称していたが、後に山号を金森重頼の法名、寺号を金森重勝の法名に因んで真龍山宗猷寺と改めた。飛騨国は臨済宗の寺院が少なく、高山の市街地においては時代による若干の変遷はあるもののほぼ唯一の臨済宗の寺院であった。江戸時代後期には山岡鉄舟の実父である小野高福が飛騨郡代として高山陣屋に赴任しており、山岡鉄舟は宗猷寺で禅を学んだと伝えられている。
検索すると、なかなかの大寺院、飛騨高山の駅から30分で、文化財のある名所である。
老師のお話では、結構大きなお寺という印象である。妙心寺派のお寺とはいえ、住職は円覚寺に修行に来ていたという。
構成:
1.宗猷寺と前回の法話について
2.山岡鐵舟との関係
3.茶人金森宗和のこと
4.当日の法話の状況
法話をお願いするお寺としても、円覚寺は色々と有名な所もあって、お願いしやすいのではなかろうか。人を集めやすいようにも思う。
■1.宗猷寺と前回の法話について
前回の法話は7年前の11月。
住職は円覚寺で修行をしたという。当時、既に副住職で家庭をもっていたが、住職就任にあたって再度の修行したという。
■2.山岡鐵舟との関係
「もともと鉄舟居士は小野家に生まれ、山岡家の養子になったのでした。
~
私が案内された部屋には、鉄舟居士の書がありました。
名前が小野髙歩となっていましたので、お若い頃の貴重な書であります。
そして本堂の前に、鉄舟居士の両親のお墓がございます。鉄舟居士がお建てになったのであります。そして鉄舟居士の大きな碑もございます。」
確かに、縁が深いと思う。山岡家も小野家もそれなりに大きな家だったのだろう。
■3.茶人金森宗和のこと
「宗猷寺は寛永九年(1632年)金森三代重頼(しげより)と重勝(しげかつ)の兄弟が、その父金森可重(ありしげ)の菩提を弔うために建立されたお寺です。
金森可重の子には金森宗和がいます。茶人であります。」
「江戸前期の茶人。宗和流の祖。飛驒高山の城主可重(ありしげ)の長男。名は重近。
父に勘当され京都に蟄居。姫宗和と呼ばれて公家風の茶で知られ、陶工野々村仁清を指導して御室焼を創始させた。」(『広辞苑』)
お茶というのは、武家の会合の文化だから価値があるような気がする。
■4.当日の法話の状況
「法話が午後三時からで、午後二時から観音様の法要が行われていました。
控え室にお経の声が聞こえてきました。
ここではかつて白隠禅師も七十四歳の頃のお見えになって、碧巌録を提唱されているのであります。
そのときに、お坊さん尼僧さん三百名も集まったということであります。」
白隠禅師年譜を読んでいるが、いろいろな禅僧老師が碧巌録を提唱していたようだ。
現代は、禅はマインドフルネス、坐禅瞑想ということで、多少注目されるが、禅の文化、とくに言葉の面でも面白いと思うのだが、なにかいい手はないだろうか。
「それから控え室の床の間には、釈宗演老師の達磨の画を掛けてくださっていました。大正三年にこの宗猷寺で書かれたものであることが、讃を読むと分かりました。」
見てみたい。
「在家の方の為に書かれたもので、今日私の為に、一時お借りしてかけてくださったのでした。」
珍しいものだと思う。
「法話の前のお経は、円覚寺でお唱えしている延命十句観音和讃でした。これを読んでくれているのも有り難くうれしく思いました。」
「今回は「仏心の中を歩む」と題して、私のこれまでの歩みを紹介しながら、朝比奈宗源老師が説かれた仏心の世界をお話しました。」
終わりに「仏心の中で微笑みを絶やさず生きよう」、小泉八雲『日本の面影』の言葉。
「相手にとっていちばん気持の良い顔は、微笑している顔である。だから、両親や親類、先生や友人たち、また自分を良かれと思ってくれるひとたちに対しては、いつもできるだけ、気持ちのいい微笑みをむけるのがしきたりである。そればかりでなく、広く世間に対しても、いつも元気そうな態度を見せ、他人に愉快そうな印象を与えるのが、生活の規範とされている。たとえ心臓が破れそうになっていてさえ、凛とした笑顔を崩さないことが、社会的な義務なのである。」
老師の感想は
・参加の皆さんがとても熱心
・法話を聞きなれている印象
・住職の教化が行き届いている様子
であり、嬉しく、有難かったと書かれる。