管長日記「土地神さまのはなし」解釈20241128

11月24日「大いに学ぶ」での土地神が再度取り上げられる。碧巌録第97則、宗門武庫「廬山李商老」、禅門宝訓とかをあたっていて、なかなかの勉強をしたといったことだった。
宗門葛藤集にもこの話があるとして、再度取り上げている。

構成:
1.『宗門葛藤集』「洞山地神」
2.土地神さまと竈の神様
3.竈の神さまの登場する公案『碧巌録』96則「趙州三転語」
4.小川隆『禅僧たちの生涯』より2話

身近なところで、つい拝んでしまう、といった心理にかかわることなのではなかろうか。一般に拝むという行為は良いと思うが、状況を見直してみるのも時には必要かな。

■1.『宗門葛藤集』「洞山地神」

『宗門葛藤集』の第129則「洞山地神」である。
「洞山和尚が寺に住職されてからと云うもの、土地神が和尚の姿を見たいと思っても、一度も出来なかった。
ある日、 典座の前に米や麦が散乱していた。
洞山はそのとき瞋恚の心を起こした、
「常住の物をこんなに粗末にして何ということだ」。
土地神は始めて和尚の姿を一見することが出来て礼拝した。」

洞山和尚、一生住院、土地神覓他蹤跡不見。一日廚前拋散米面。洞山起心曰、常住物色、何得作踐如此。土地神遂得一見使禮拜。

これは『碧巌録』九十七則の頌の評唱にのみある話で、他の如何なる語録にもこの機縁を載せるものではない(『宗門葛藤集』注釈(1))

■2.土地神さまと竈の神様
「竈の神」:
「①かまどを守護する神。奥津日子命(おきつひこのみこと)・奥津比売命(おきつひめのみこと)を祀る。のち仏説を混じて三宝荒神(さんぼうこうじん)ともいう。」(『広辞苑』)

「三宝荒神」:「略して<荒神>とも。民家の代表的な屋内神で、火の神、竈(かまど)神として祀(まつ)られる。激しく祟(たた)りやすい性格をもつ一方、火伏せの霊験があるとされる。」(岩波書店『仏教辞典』)

■3.竈の神さまの登場する公案『碧巌録』96則「趙州三転語」

「嵩山の破竈堕和尚は、姓でも字でも呼ばれず、言行は伺い知れぬ。
嵩山に隠居し、ある日弟子たちを率いて山の村落に入ってゆくと、霊験あらたかな廟があった。
建物の中には一つの竈が安置され、遠近の者の祭祀が絶えることはなく、生き物の命を供え物のために煮て殺すこと甚だ多かった。
師は廟の中に入ると、杖で竈を三回叩いて言った、
「こらっ。お前は元々煉瓦や粘土が合わさってできたものなのに、霊妙なはたらきがどこから生じ、聖なるはたらきがどこから出てきたとて、かように生き物を煮殺すのだ」。
又三回打つと、竈は自ずと傾き崩れ、壊れてしまった。
しばらくして一人の青い服を着て高い冠をかぶった者が急に師の前に現れて、お辞儀をして言った、
「私は竈神です。
久しく、(自分の作った)業の報いを受けていましたが、今日先生に生も(死も)無い法を説いて頂き、ここを脱却して天上界に生まれました。
そこでこうしてお礼を述べにやって来たのです」。
師は言った、「お前が元々もっていた本性であって、わしがむりに言ったものではない」。
神は今一度拝して消えた。
おつきの者が言った、「我々は、長らく和尚に仕えていますが、指示を頂いておりません。
竈神はどういったそのものずばりの趣旨を得て、天に生まれたのでしょう」。
師は言った、「わしはただ奴にお前は元々煉瓦・粘土が合わさってできたものなのに、霊妙なはたらきはどこから生じ、聖なるはたらきはどこから出てきたのか、と言っただけだ」。
おつきの僧は誰も答えなかった。
師が言った、「わかるか」。
僧「わかりません」。
師「礼拝しなさい」。僧は礼拝した。
師は言った、「壊れた壊れた、崩れた崩れた」。
おつきの僧はにわかに大悟した。」
  (末木文美士『現代語訳 碧巌録』岩波書店)

《佛果圜悟禪師碧巖錄》卷10:96則頌評唱
嵩山破竈墮和尚不稱姓字。言行叵測隱居嵩山。一日領徒。入山塢間有廟甚靈。殿中唯安一竈。遠近祭祀不輟。烹殺物命甚多。師入廟中。以拄杖敲竈三下云。咄汝本塼土合成。靈從何來。聖從何起。恁麼烹殺物命。又乃擊三下。竈乃自傾破墮落。須臾有一人。青衣峨冠。忽然立師前設拜曰。我乃竈神。久受業報。今日蒙師說無生法。已脫此處。生在天中。特來致謝。師曰。汝本有之性非吾強言。神再拜而沒。侍者曰。某甲等久參侍和尚。未蒙指示。竈神得何徑旨。便乃生天。師曰。我只向伊道。汝本塼土合成。靈從何來。聖從何起。侍僧俱無對。師云。會麼。僧云。不會。師云。禮拜著。僧禮拜。師云。破也破也墮也墮也。侍者忽然大悟。

頌に破竈墮が入っており、この雪竇引用の説明としている。
木佛不渡火
  (燒却了也。唯我能知)
常思破竈墮
  (東行西行有何不可。癩兒牽伴)
杖子忽擊著
  (在山僧手裏。山僧不用人。阿誰手裏無)
方知辜負我
  (似爾相似。摸索不著。有什麼用處。蒼天蒼天。三十年後始得。寧可永劫沈淪。不求諸聖解脫。若向箇裏薦得。未免辜負。作麼生得不辜負去。拄杖子未免在別人手裏)

「なんとも痛快な話であります」と。
禅のはなしには迷信、思い込みを破る話は結構あって、そのようなことだろう。

■4.小川隆『禅僧たちの生涯』より2話

「土地神さまの話は、小川隆先生の『禅僧たちの生涯』にも二話取り上げられています。
こちらも紹介しましょう。」

(1)
「ある日、夜も更けて、百丈禅師は眠っていた。
ところが、ふと目がさめて、白湯が飲みたくなった。
だが、侍者もよく眠っており、 呼ぶわけにいかない。
すると、ほどなく、誰かが戸をたたいて侍者を呼んだ。
「これ、和尚さまが白湯をご所望じゃ!」
禅師は驚いた。
侍者は慌てて起き上がると、湯をわかして禅師のところにお持ちした。
「誰が湯をわかせと?」
侍者が事の次第を詳しく述べると、禅師はパチンと指を鳴らして言った。
「ああ、わしはまったく修行ができておらぬ。
修行ができておる者なら、人にも鬼神にも気取られぬはず。今日、土地神などに心の内をうかがい見られ、かくなる始末となろうとは…………」。」

(2)
「南泉禅師は、心の中で、明日は荘園の見回りにでも出かけるか、と思った。
すると、その夜、土地神が荘主(荘園の管理の僧)にその旨のお告げを与えた。
翌日、荘主は前もって仕度を整えて待っていた。
そこへ到着した南泉は、いぶかった。
「なぜわしの来ることが解った? このような仕度などして・・・・・・」
荘主、「昨晩、 土地神から、和尚さまが今日お見えだとお告げがございました」
南泉、「ああ、わしの修行はまったく無力だ。 鬼神に心の内をうかがい見られようとは!」
そこで一人の僧がたずねた、
「和尚さまはれっきとした善知識であられますのに、なにゆえ、 鬼神などに心をうかがい見られるのです?」
南泉、 「ええい、 土地神の前に、 お供えの飯をもう一膳足してやれ!」」

小川先生の解説:
牛頭禅師が四祖禅師に出会う前は、百鳥が花をくわえて供養にきていたが、見えて後はそれがふっつり途絶えたという話をもとに、
「禅宗以前の高僧伝の世界では、鳥獣から供養を受けることは禅定力を具えた高僧であることの証でした。しかし、唐代の禅僧たちの考えは逆です。鳥獣に感知されるような聖なる気象を発しているようでは、まだまだ本物でないのです。」

「牛頭禅師が四祖禅師に出会う前」つまり「牛頭未見四祖時如何」というのは、禅問答の定型句である。「如何是祖師西来意」、「如何是庭前柏樹子」みたいなもの。
この逸話は、四祖道信示牛頭法融とも。

「かつて、修行僧の頃、本山の宝物風入れの手伝いで、宝物の番をしながら、ひたすら坐禅に打ち込んでいたことがありました。
ふと気がつくと、手を組んでいる掌に賽銭が置かれ、誰かが私を拝んでいるのです。
そのときも拝まれるようではまだまだ修行が足りないと思ったことでした。
しかし、土地の神様や竈の神様を敬うことを忘れてはいけません。」

そうはいっても、拝まれてしまうかもしれない。
澤木興道老師は、子供の頃、坐禅していたら、普段はきついおばさんに拝まれた、といったことではなかったろうか。そんなことを思い出した。

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