管長日記「本日成道会」解釈20241208
「本日成道会」というタイトルを見た時、あれ、今日は臘八示衆第七夜では無いのか、と焦った。それは無くてほっとしたが、成道会としても、釈尊の悟りとしてもいくらでも話は作れるだろう。
しかしここは第七夜だ。この一週間は白隠臘八示衆をじっくり楽しめた。
構成:
1.本日は成道会
2.白隠『臘八示衆』「第七夜」原文
3.臘八示衆第七夜、九族生天亦眞實不虚矣
4.臘八示衆第七夜、昔播州有一女人~永得脱地獄苦矣
5.臘八示衆第七夜、又甲州有良山和尚者~最後まで
6、山本玄峰『無門関提唱』大法輪閣、「臘八示衆(第七夜)」(p.94-107)
やはり、原文を確認しながら読めたのは嬉しかった。
老師の意訳は、かなり原文に忠実なものだ。この一週間の白隠臘八示衆についてまとまったものとなっていると思う。
さて、白隠禅師の臘八示衆以外にも、臘八示衆というものはあるのだろうか。ひとつ通してみると、そんなことも気になるものである。
■1.本日は成道会
「本日は成道会であります。」
気合が入っている!
成道会とは、「釈尊の成道を祝って行われる法会のこと。わが国では、釈尊は12月(臘月)8日に成道したと伝えられているため、成道会を<臘八会(ろうはちえ)>ともいい、この日に行われるのが普通であるが、南方仏教ではウェーサク祭として、5月の満月の日に誕生・涅槃(ねはん)などと一緒に祝われている。」(『仏教辞典』岩波書店)
「南方の仏教では、十二月八日ではないようなのです。」
「円覚寺では例年午前十時から法要を勤めますが、今年は第二日曜日の日曜説教と重なった為に、十時二十分から始める予定であります。」
考えてみれば、老師は、朝から準備などで色々忙しいのだろう。
この一週間の締めくくりみたいな感慨もあるのだろうか。
■2.白隠『臘八示衆』「第七夜」原文
「さて白隠禅師の臘八示衆の第七夜を読んでみます。」
東嶺圓慈『五家參祥要路門』
第七夜示衆曰。一子出家。九族生天。夫出家須要眞出家。所謂眞出家者。
憤起大誓願。勇猛精進直斷命根。豁然法性現前。是謂眞出家。
九族生天亦眞實不虚矣。昔播州有一女人。當懷胎之夜。自發願曰。
此兒若男子。必當令出家。其夜夢有一老人來告曰。吾此家九代已前祖也。
死而墮冥府受無量苦。而今依恃汝勝願力。永得脱地獄苦矣。
又甲州有良山和尚者。匡徒領衆。臘八依例與衆禪坐。
一夜其亡母携刀來直刺腋下。大叫一聲吐血悶絶矣。山良久蘇。
次日俄與衆別行脚。一鉢三衣風喰露宿。尋師訪道。經年禪定頗熟。欲入三昧。
時亡母復來現。纔擧眼即隱去。他日深入三昧。恰如海湛然。亡母來復告曰。
吾始入冥府。鬼卒皆敬曰。是出家母也。都無苦惱。豈思及公壯獄卒皆曰。
將謂是出家母也。却是俗漢母也。鐵棒鐵枷呵責不可言也。其恨徹骨。
是故先夜來刺汝。然而汝悔出寺行脚。中來見公。生滅念猶未盡。故隱去。
今定慧殆明。吾苦患亦盡矣。特得生天下。故來告謝而已。以茲觀之。
汝等咸皆有父母。有兄弟。有眷屬。以生生數之。則豈惟千萬人哉。
悉皆輪迴六道受無量苦。待汝等成道者。猶如大旱望雲霓者也。
如何悠悠坐見之而不發大願乎。光陰可惜。時不待人。勉旃勉旃
■3.臘八示衆第七夜、九族生天亦眞實不虚矣
「第七夜示衆に曰く、一子出家すれば九族天に生ずと。夫れ出家は須く真の出家を要すべし。所謂真の出家とは大誓願を憤起し、勇猛精進にして直に命根を断ずれば豁然として法性現前す。是を眞の出家と謂う。九族生天も亦眞實にして虚しからず。」
「第七夜示衆曰。一子出家。九族生天。夫出家須要眞出家。所謂眞出家者。
憤起大誓願。勇猛精進直斷命根。豁然法性現前。是謂眞出家。
九族生天亦眞實不虚矣。」
「一人の子が出家すると、その九族が皆天上界に生まれるというのです。」
九族:「高祖父・曽祖父・祖父・父・自己・子・孫・曽孫・玄孫にわたる9代の親族。(用例)一子出家すれば九族天に生ず」(『広辞苑』)
「洞山禅師の語録に、経に曰くとしてこの言葉が出ていますが、どの経典にあるのか分かりません。出家しても単なる出家ではなく、あるいは形だけの出家ではなく、真の出家でなくてはならないと言います。真の出家というのは、大誓願をおこして勇猛精進して、煩悩の根を断ち切って豁然として仏心仏性が目の前に露わになるのがそうだというのです。
そういう真の出家ならば、九族が天に生じることも偽りではないと白隠禅師は仰せになっています。」
「辭北堂書」という短編のことのようだ。漢字の並び的にそんな感じ。
《筠州洞山悟本禪師語錄》卷1:
辭北堂書
伏聞諸佛出世。皆從父母而受身。萬彙興生。盡假天地而覆載。故非父母而不生。無天地而不長。盡沾養育之恩。俱受覆載之德。嗟夫一切含識。萬象形儀。皆屬無常。未離生滅。雖則乳哺情至養育恩深。若把世賂供資。終難報答。作血食侍養。安得久長。故孝經云。雖日用三牲之養。猶不孝也。相牽沈沒。永入輪回。欲報罔極深恩。莫若出家功德。載生死之愛河。越煩惱之苦海。報千生之父母。答萬劫之慈親。三有四恩。無不報矣。故經云。一子出家。九族生天。良价捨今世之身命。誓不還家。將永劫之根塵。頓明般若。伏惟父母心開喜捨。意莫攀緣。學淨飯之國王。効摩耶之聖后。他時異日。佛會相逢。此日今時。且相離別。良非遽違甘旨。蓋時不待人。故云。此身不向今生度。更向何時度此身。伏冀尊懷莫相寄憶。
■4.臘八示衆第七夜、昔播州有一女人~永得脱地獄苦矣
「昔播州に一の女人あり。懐胎の夜に当って自ら願を發して曰く、此の児若し男子ならば必ず當に出家せしむべし。其の夜夢に一の老人有り。来り告げて曰く、吾は此家九代以前の祖なり。死して冥府に堕して無量の苦を受く。而今汝が勝願力に依恃して永く地獄の苦を脱するを得たり。」
「昔播州有一女人。當懷胎之夜。自發願曰。此兒若男子。必當令出家。其夜夢有一老人來告曰。吾此家九代已前祖也。死而墮冥府受無量苦。而今依恃汝勝願力。永得脱地獄苦矣。」
「播州にある女性がいて、懐胎の夜に願いをおこしてこの生まれてくる子が男の子なら、出家させようと思ったのでした。すると夜に一人の老人が夢に現れました。その老人は九代以前の先祖で、死んで冥府に落ちて無量の苦しみを受けていたそうです。それが、その女性が素晴らしい願いをおこしたから、地獄の苦しみから脱することができたというのであります。生まれて来る子を出家させようと願うだけで、大きな功徳があるのです。」
■5.臘八示衆第七夜、又甲州有良山和尚者~最後まで
「それから次に良山和尚の話が出てきます。こちらは内容を意訳して紹介します。」
「甲州に良山和尚という方がいました。大勢の修行僧を指導していたのでした。ある年の臘八で、いつものように、修行僧たちと共に坐禅していました。すると、ある晩亡くなった母が現れて、なんと刀を持って、良山和尚の脇の下をぶすっと刺したのでした。良山和尚は大声を上げて叫び、血を吐いて悶絶しました。しばらくしてよみがえりました。」
「又甲州有良山和尚者。匡徒領衆。臘八依例與衆禪坐。一夜其亡母携刀來直刺腋下。大叫一聲吐血悶絶矣。山良久蘇。」
「思うことがあって、次の日には良山和尚は皆と別れて修行の旅に出ました。一鉢三衣で風に吹かれ、露に乗れながら行脚していました。すぐれて師を訪ねて旅をしながら、禅定もとても熟してきました。三昧に入ろうとしたら、亡くなった母がまた現れました。あ、母だと思って目をあげると母は隠れてしまいました。ある日また、深く三昧に入っていました。あたかも、海が湛然と水をたたえているように静かな深い禅定でした。そこで亡き母が現れて言いました。」
「次日俄與衆別行脚。一鉢三衣風喰露宿。尋師訪道。經年禪定頗熟。欲入三昧。時亡母復來現。纔擧眼即隱去。他日深入三昧。恰如海湛然。亡母來復告曰。」
「自分は初め冥府に行った時には、鬼達は、皆この方は出家の母だといって大事にしてくれたので、何の苦痛もなかったのでした。ところがしばらくすると、鬼達は、なんだ出家の母だと思っていたら、とんでもない俗人の母だといって、鉄の棒や鉄の枷で責めてきました。その苦しみに耐えかねて恨みが骨に徹しました。そこで先日の夜あなたを刀で刺したのですと言いました。しかし、あなたは今までの自分を後悔して行脚をしました。そしてしばらくしてあなたを見ても、まだ生滅の念が残っているのが見えたので、隠れたのですと言います。今は、禅定も智慧も殆んど明かになりました。私の苦しみもこれで消えました、天上界に生まれることができるようになりましたと言って御礼を言われたのでした。」
「吾始入冥府。鬼卒皆敬曰。是出家母也。都無苦惱。豈思及公壯獄卒皆曰。將謂是出家母也。却是俗漢母也。鐵棒鐵枷呵責不可言也。其恨徹骨。是故先夜來刺汝。然而汝悔出寺行脚。中來見公。生滅念猶未盡。故隱去。今定慧殆明。吾苦患亦盡矣。特得生天下。故來告謝而已。」
茲を以って之を觀る(以茲觀之)、と入っている。
「そんな話をして白隠禅師は、「あなたたちには皆それぞれ父母がいるし、兄弟があり、親戚がある、生まれ変わりのご縁を思うと、その眷属は千万人にとどまらないというのです。その間六道に輪廻して限り無い苦しみを受けてきたのです。あなたが仏道を成じることを待つのは、旱天に慈雨を望むようなものだといいます。どうしてこんな話を聞いて悠々とかまえて、大願をおこさずにいられようか(汝等咸皆有父母。有兄弟。有眷屬。以生生數之。則豈惟千萬人哉。悉皆輪迴六道受無量苦。待汝等成道者。猶如大旱望雲霓者也。如何悠悠坐見之而不發大願乎)」、と説かれます。
「光陰惜むべし。時人を待たず(光陰可惜。時不待人)」です。しっかり務めてほしい(勉旃勉旃)と願われています。」
「こういう輪廻の話は今理解するのは難しいかもしれません。しかし自分の命は自分一代だけで出来たものではないことは確かです。父母のみならず多くの方のおかげをいただいて生きているのですから、おろそかにしてはいけません。」
■6、山本玄峰『無門関提唱』大法輪閣、「臘八示衆(第七夜)」(p.94-107)
山本玄峰『無門関提唱』(p.98)では、黄檗希運、施餓鬼、関山国師、石川いしえさん、と多くの話を出している。
最後のところで「わしは臘八も三十回もやっておるが、お前らのように利口ではないし、目は悪いし、~(苦労してきたが)、どうやら今日こうして、寝てばかりおって、こんな偉そうなことをいうたりして、どうもこれで摂心もおしまいである。みんな今晩はゆったりと風呂にでも入って、そうして明日はほんとうの成道会をしていただく。どうぞシンから噓のないように、真実のうちに真実をもって、りくつでも何でもなく、ほんとうに気持ちがよかったというようにして、帰っていただくように、特に頼んでおきます」とある。
臘八摂心は一週間のイベントなので、結構参加した弟子たちにも言ってしまえるような感じかもしれない。
また摂心は12月7日で終わって、翌日の12月8日に成道会、という構成のようだ。この場合、11月30日の夜に開始となるだろう。