這一交這一交

這(こ)の一交(いっこう)、這の一交

《大慧普覺禪師宗門武庫》卷1:
顒華嚴。圓照本禪師之子。因喫攧有省。作偈曰。這一交這一交。萬兩黃金也合消。頭上笠腰下包。清風明月杖頭挑。富鄭公常參問之。一日見上堂左右顧視忽契悟。以頌寄圓照曰。一見顒師悟入深。因緣傳得老師心。江山千里離云隔。目對靈光與妙音。鄭公罷相居洛中。思顒示誨。請住招提。聞顒入境躬出迓之。臨登車。司馬溫公適至。問相公何往。鄭公曰。接招提顒禪師。溫公曰。某亦同去。聯鑣出郭。候於郵亭久之。忽見數十擔過。溫公問誰行李。荷擔者應曰。新招提和尚行李。溫公遂索馬歸。鄭公曰。要見華嚴。何故先歸。溫公曰。某已見他了。竟先還妙喜嘗見李儀中少卿言之。

顒華嚴。圓照本禪師之子。因喫攧有省。作偈曰。這一交這一交。萬兩黃金也合消。頭上笠腰下包。清風明月杖頭挑。

【訳】
顒華厳こと修顒は、圓照禅師・慧林宗本の法嗣であった。
彼は、若き日、つまづいて転んだ拍子に、ハッと気づく所があり、その境地を偈に詠んだ
この一ころび 一ころび
黄金万両にも値いする
われは今 頭に笠 腰に包みで 歩みゆく
明月も 清風も みな我が杖さきにかけながら

【訓読】
顒華嚴,圓照本禅師之子。喫攧に因りて省有り、偈を作りて曰く、
這の一交 這の一交
万両の黄金すら也(な)お合に消(ついや)すべし
頭上に笠 腰下に包
清風明月 杖頭に挑ぐ

圓照本(1020-1100)は慧林圓照、圓照宗本、慧林宗本。北宋の雲門宗の禅僧。天衣義懷の法嗣。(雪竇重顯―天衣義懷―圓照宗本)

顒華厳は、あだ名、『華厳経』に通暁していたため。
志言という禅僧が『法華経』をよく誦んでいたので「言法華」、投子義青禅師が『華厳経』に精通していたことから「青華厳」と呼ばれた。首山省念禅師も『法華経』をよく読まれていたので、「念法華」と呼ばれた。また徳山禅師は、『金剛経』を熱心に学んでいたので「周金剛」と呼ばれていたが、この「周」はお坊さんの名前ではなく、周氏という姓だったから。

「這の一交」は「ひところび」
『諸録俗語解』という書物に「「喫交」を「“喫攧(コロブ)”に同じ。“こける”なり」と解説

「頭上笠 腰下包」については「行脚の旅姿」
「清風明月杖頭挑」は、「天地いっぱいの我れが、天地の一切を我が物としつつ自在に闊歩するさま」

「清風明月 杖頭に挑(かか)ぐ」
智門禅師の問答の例あり。

《明覺禪師語錄》卷3:
舉。僧問智門和尚。如何是佛。云踏破草鞋赤脚走。僧云。如何是佛向上事。云拄杖頭上挑日月。師云。千兵易得一將難求。

僧、智門和尚〔智門光祚〕に問う、「如何なるか是れ仏?」
云く、「草鞋(わらじ)を踏破(ふみやぶ)りて赤脚(はだし)で走る」。
僧云く、「如何なるか是れ仏の向上(うえ)の事?」
云く、「拄杖(しゅじょう)の頭上(さき)に日月を挑(かか)ぐ」

仏とはと問われて、わらじを踏み破って跣で行くといい、仏のその上はというと、杖に日月を挑げる。無一物の境涯と、その更に上で無尽蔵の世界を説く。

蘇軾(蘇東坡)の詩

素紈不画意高哉 儻着丹青堕二来
無一物中無尽蔵 有花有月有楼臺

素紈(がん)画かざれば意高き哉
儻(も)し丹青を着ければ二に堕し来る
無一物中無尽蔵
花有り月有り楼臺有り

素紈という純白の絹地には無限の可能性がある。
人の意欲次第で高貴高尚な世界を描けるのである。
しかし赤(丹)や青で色を塗ってしまえば、
分別くさい二元的対立の世界に陥ってしまい、
人はああだこうだと批判しだす。
何物もないから万物の蔵する宝庫となる。
花もあれば月も楼台もあり、彩りは自由である。

※ 第1488回「ころんで気がつく」2025/2/2【毎日の管長日記と呼吸瞑想】より、小川隆「大慧『宗門武庫』」(勉強会@麟祥院)

いいなと思ったら応援しよう!