管長日記「穴があったら」解釈20241217

坂村真民の詩の朗読会で5人で詩を紹介、朗読したときの話。冒頭が「穴があったら入りたいと思うことがあります。先日は、そんな思いを深くしたのでした」。なにか失敗してしまったようだ。その内容は書かれていないのだが、体調的な不調、もしくは時間がないことによる準備不足のようだ。4人の方々との比較、相対なので、詩の朗読会の水準が特に高い開催だったのかもしれないが、登壇、人前での話については実績No.1の老師なので驚く。
詩を並べて、順に発表すること、また読み方みたいなところの工夫もあるようだ。ということは詩の間の有言無言の解釈を入れ、また句と句の間に歌的な工夫があるのかもしれない。
構成:

■1.朗読会「真民まつり」開催

十二月十一日坂村真民先生のご命日に、東京の麟祥院で、村上信夫さんの企画で「真民まつり」という朗読会が開催されて、行ってまいりました。

八日まで臘八の修行をしていて、十一日というと体力がもつかどうか心配でしたが、どうにか務めてきました。しかし、これがさんざんな結果となって帰ってきました。

元NHKエグゼクティブアナウンサーの村上信夫さんと、言のはかたりの木村まさ子さん、真民先生の本を数多く出版されてきた編集者の斎藤りゅう哉さん、そしてヴィオラ演奏者の山寺明子さんと私の五人でした。

山寺さんはヴィオラの演奏をなされましたので、朗読したのは四名であります。四人がそれぞれ十編の真民詩を選んで朗読しました。

はじめに、真民先生の代表作「念ずれば花ひらく」と「鳥は飛ばねばならぬ」を皆で数行ずつ読んで朗読しました。事前に一度リハーサルをしただけですが、どうにかうまくゆきました。

4人で主催者側で、イベントを進めていくような感じ。ちょっとした舞台といった要素もあるのかもしれない。

■1.一番目、斎藤さんの朗読

あの村上さんが、斎藤さんの声は素晴らしいと絶賛されるだけあって深くていいお声なのです。
斎藤さんは、晩年の真民先生に出会って、何度もお住まいにもでかけ、詩集を何冊も出版されています。
また百万部を超える稲盛和夫さんの書籍も編集なされるなど、出版の業界ではとても高名な方でいらっしゃいます。
うかがうと今年出版社をおやめになってフリーになっておられるのでした。
真民先生の詩に対する思い入れも深いことが、朗読からも十分に伝わってきます。

稲森和夫『生き方』の企画編集をした方のようだ。坂村真民と稲森和夫を並べると違和感もあるが、通じるところもある。明るい、といういうか、肯定的な感じがある。あと理屈っぽくない、といった感じか。尤も人一般のことでもあり、生き方みたいなところで興味を持ったのだとは思う。

「すべては光る」
光る
光る
すべては
光る
光らないものは
ひとつとしてない
みずから
光らないものは
他から
光を受けて
光る

「みめいこんとん」も朗読、最後が「念じてください」でした。

念じてください
日に
月に
星に
手を合わせて
念じてください
木に
石に
地球に
額をつけて
念じてください
病いに苦しむ人たちのために
貧しさに泣く人たちのために
痩せ細りゆく難民たちのために

念じてください
少しでもお役に立つことのできる
人間になることを
そして生きてきてよかったと
自分に言える一生であるように
二度とない人生だから
かけがえのないこの身だから

■3.村上信夫さんの朗読

これもはうさすがというほかありません。
村上さんは、『天を仰いで』という詩集から詩を選ばれました。西澤孝一坂村真民記念館館長の編集された本です。これは真民先生ご自身が自らを励まし勇気づけるために書かれた詩を集めています。

老師、「圧巻は、「しっかりしろしんみん」の朗読でした。これは真民先生八十九歳の詩です。」

以下に、詩の朗読会の特徴が表現される。

しっかりしろ
しんみん

とこの言葉が、五回繰り返されます。

そのあとで、

どこまで書いたら
気がすむのか
もう夜が明けるぞ

しっかりしろ
しんみん

で終わるのです。

「しっかりしろ
しんみん」が

合計六回出てきます。

これを村上さんは見事に分けて表現されました。

まるで一幕の舞台を見ているかのようでした。

そしてしばし全員で鼎談がありました。いつもながら村上さんの軽妙で見事な司会であります。それぞれが真民詩への思いを語ったのでした。

そのあとヴィオラの演奏があって、木村まさ子さんの登壇でした。これがまたお見事というほかありません。

■4.木村さんの朗読
今回のチラシのプロフィールには、木村さん紹介
「ことのは語りとして講演で全国を回り、 朗読会にも力を注いでいる。
いのちをいただくことを意識して食べること、 子どもの心に届く言葉を親が語りかけること、自尊心を育むことが、いかに大切か伝えている。 NPO法人「エフ・フィールド」理事として、「いのちの授業」の活動にも協力。 また一般社団法人 「三月のひまわり」顧問として、東日本大震災の被災地支援にも尽力。 真民さんの詩に、「あたたかく見守り包み込む母の想い・信念」を感じ、「今、ここをどう生きるか」と問いかけられているような深い想いを抱いている。」

「朗読会」というのはイベントの一形態、ジャンルというように考えた方がよさそうだ。考えてみれば、歌、演劇といった、誰でもできるようなことを、できないように智慧を出して訓練し技として、イベント形態や開催方法、収益化の工夫してビジネスになるということだ。

最近のYoutubeなどもそのチャンスを広げているようだが、さて、どうだろうか。逆に朗読会といっても、ちゃんと人が集まるというのも、なかなかの事なのではないだろうか。

さて、
「はじめに「坂村真民」という詩を村上さんとお二人で朗読されました。これがまた真民先生ご夫妻がそこにいらっしゃるかのように感じられるものでした。そのあと「母の歌」「われに母あり」という母の詩を、思いを込めて朗読されました。「タンポポ魂」を朗読されると、力強く咲くタンポポが目にみえるようで、「風」の詩を朗読されると、風が吹き渡るように感じられるのです。」

そして「朗読の世界というのは、こういうものかと深い深い感動に浸っていました。」

この1文が、日記解釈のヒントであろう。

■5.老師の番

「とっさに思ったのが、穴があったら入りたいでした。斎藤さん、村上さん、そしてヴィオラの演奏があって、木村さんの朗読と、今素晴らしい世界に浸っているので、ここで私が朗読したらこの雰囲気を壊してしまうと思ったのでした。しかし、麟祥院の本堂に穴があるわけではありません。このまま帰ろうかと思うほどでした。」

「致し方無く、十編の詩を用意しましたが、もう恥ずかしくなって三つを省略し七つにとどめて終わりました」というのは、朗読している途中で、もう続けられたものではない、ということだろう。

「すごすご」帰ってきた次第であります、と。

「夜遅く、朝も早いので、深い後悔と共に目が覚めました。
翌朝の百八礼拝は懺悔の拝となりました。
還暦を迎えて新しい年の抱負を何にしようかと考えていましたが、目が覚めて思いました。
でしゃばるな、引っ込め、穴があったら入っておれ
これを来年の抱負にしようと思いました。
村上さん、木村さん、斎藤さん、山寺さん、素晴らしい方々でした。
出会いには心から感謝します。
そしてまた素晴らしき方に接して、我が朗読の拙さが身にしみたのでありました。
それでもまあ、どうにか元気に務められたのでよしとしておきます。」

何も心配するほどのことではない。まだ、老師は元氣だ。

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