管長日記「坐ることが楽しくなる」解釈20241119

イス坐禅の会も回数が進み、やはり参加者とのコミュニケーションの会になってきた感じがする。参加者もリピーターが多いのか、なかなか質問も良い感じ。なにより、この日記での老師の語りに、なにやら解放感というかストレスフリーな感じがしている。言いたいことを言っている、というか気を使っていない、というか仏教らしい緊張感が無い。これも偏見かもしれない。しかし、話に坐禅、止観的な意識の使い方を言っているように思うので、日常以前、修行未満といった感じか。

構成:
1.今回の開催について
2.今回の体操の工夫
3.お話、パリオリパラ柔道金の広瀬さん
4.御朱印事業ホトカミの吉田さんの話
5.質問
6.足を組むこと、吉田さんからの引用
7.感想、まとめ

あったことを、結構直接に話しているので、まさに日記となっている。
これはこれでいいが、しかし法話や禅仏教の講座のような話は欲しい。

■1.今回の開催について
「イス坐禅の会も、毎回楽しみになってきました。開催する側の私も、次に何をしようかとワクワクしながら考え工夫します。おそらくご参加の皆様も楽しみにして来てくれているのだろうと察します。もう第十八回となります。」

この始まり方は、イス坐禅の界の報告をするスタートである。

■2.今回の体操の工夫

(1)「今回は、足踏み、つま先立ちから始めました。これだけでも体が温まり、姿勢も調ってくるものです。」

(2)「そのあとは、末端からで、指をゆるめることをしました。これは、数日前に藤田一照さんから教わって、とても効果的だと感じましたので、そのままやってみました。終わった後の感想にも、手をほぐすことだけで全身が温かかくなってきて不思議だと言ってくださっていました。」

(3)「そうして最近思いついた体操を行いました。これは腰のまわりをほぐすのが目的であります。骨盤を両手で掴んで、左右に動かしたり、前後に動かしたり、そして回したりします。

「簡単な動きです。私の場合、どんな体操でも、誰でも簡単にできるということを大事にしています」とうのは正直なところだろう。そして、パターンの中に、ちょっと足すだけで、体中の運動になる。

(4)「これで股関節周りがほぐれてゆくのですが、欲を出して、一緒に首も体操するようにしました。腰の反対の方向に首を傾けるだけです。これだけで首の体操にもなります。それに、手を持ち上げたらどうだろうかと、思ってやっています。手を持ち上げて、手と首を同じ方向に動かします。腰と反対の方向に、首と手を上げるだけです。これで海の底に生えた昆布やわかめが、波にゆらゆら揺れている感じになるのです。これは腰回りも首も肩甲骨もほぐれていくので、我ながらよい体操だと思っています。」

腰の運動と同時に首の運動もしてしまうということ。むしろ全身のストレッチのような感じだろう。

(5)足指ビー玉運動
「それから、足を調えるようにしました。今回ビー玉を足の指で掴むことをやってみました。これで足の指の感覚がはっきりするようになります。単に指をぐるぐる回すのもいいのですが、やはり主体的になにかをしようとする時の方が、はっきりと意識がされるものです。指で小さなビー玉をつかまえようとすることで、末端の指先までがしっかりしてきます。」
おもしろい。

(6)「そして足の裏の三点を押して刺激をしました。こちらはテニスボールを使ったり、タオルを結んでそれを踏んでみたりして行ってみました。」

(7)「それから腰をゆるめ、お腹もゆるめるワークを行い、目をゆるめるようにして腰を立ててみました。仙骨や座骨をしっかり確かめるだけで腰が立ってきます。」

「一回目の坐禅まで小一時間掛けて体をほぐして調えてゆきましたので、坐禅は実に心地よく坐ることができます。皆さんがとてもよく坐れていることがこちらにも伝わってきます。毎回楽しみにしている、森の中にいる感覚が生まれます。都会の会議室で自然もなにもないのですが、みんな一人一人が一本の木になったようで、森林の中で坐っているように感じるのです。」

このことはいつも書いてある。もともと修行僧がいっぱいいるので叢林と「林」を入れていると聞いたことがあるが、いよいよ「森」の中となってしまった。

■3.お話、パリオリパラ柔道金の廣瀬さん

「楽しみ、其の中に在りという話であります。以前にも紹介した廣瀬順子さんとの出会いであります。廣瀬さんが楽しむということを大事に柔道をしているという話を伺って、楽しみ其の中に在りという論語の言葉を紹介しました。」

そこから、新しいことばを考えたようだ。
「そこから仏道修行も楽しむ事は大事だと思って、「楽道」道を楽しむという話をしました。しかし、楽をしようというのではなく、少々たいへんなことでもなんとか工夫していると楽しみを見いだせるものです。楽しんでやっていると楽になってくるのです。楽になってくるとまた楽しくなってきます。よい循環ができてきます。」

おっしゃることはその通り。ただ「楽道」は、検索すると店の名前とか多く、ちょっとよろしくない。もう一つ欲しい。

■4.御朱印事業ホトカミの吉田さんの話

「毎回ホトカミの吉田亮さんも参加してくださっています。吉田さんが初めて参加してくださったのは昨年の十一月ですので、もう丸一年となります。
今回も参加した感想を、なんとその日のうちに、noteに投稿してくれていました。
https://note.com/samurairyo/n/ncf287d...」
このリンクは不完全だった。

https://note.com/samurairyo/n/ncf287de3f083
【イス坐禅1周年】自分の身体も労われるようになりました
♡5
吉田 亮@ホトカミ運営代表が神社お寺の明るい話題をお届け!
2024年11月12日 22:48

引用は、「初参加が昨年23年の11月15日で、ちょうど参加し始めて1年が経ちました。いまふと、なぜ参加し続けているのか、振り返ってみたのですが、自分の身体や感覚の変化を感じるのが楽しいからです。いや、もっと素直に言うと、「疲れにくくなった」「回復しやすくなった」という現実のメリットも大きいです。パソコンでの仕事が多いので、座っている時間が長いですが、イス坐禅を始めてから、坐っている苦痛がなくなりました。」

そうだろう。というか、固まってきたということに気付いて、足を微妙に動かすなどして、固まらないように修正を入れやすくなったのではなかろうか。

■5.質問

「最後に質問の時間を設けると、あるご婦人の方が質問してくれました。それは足が床に着かない場合どうしたらいいかという質問です。その方はイスでは足が床につかないらしく、その日は、なにか足がつくようなものを床の上に置いて参加されていました。」

「これは申し訳ないことをしたと反省しました。てっきり足が床に着くことを前提に足で踏むということを行っていました」と、確かに前提としているところは、一度見逃すと、ずーっとそのままになる。

「足が着かない場合は、もちろん足の下になにかを入れて踏むように出来ればいいですし、足が着かないなら、足の付け根がイスの座面についていて、そこから腰を立てるようにします。いろんな方がいらっしゃることに配慮が足らなかったと反省しました。」
今まで問題とならなかったのは、各自が言うまでもなく調整していたのだろう。逆に、敷物を導入したご婦人は工夫した功績があるだろう。敷物にこだわってみることもできるだろう。

■6.足を組むこと、吉田さんからの引用

「また逆にイスが低い場合、足を交差して坐ることもできますと説明しました。このことについては吉田さんが書いてくれています。」

「吉田さんが、三井記念美術館の「バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」の特別展に行かれたそうです。残念ながら、この特別展はもう終わっています。そこで脚を交差して坐っている弥勒さまを見つけられたというのです。インド出身2体、中国出身1体と合計3体もあったと書かれています。この脚を交差して坐るのもいいものです。両方の足で床をおして腰を立てる感覚が得やすいのです。ともあれ、どんなイスでもどんな状況でもなんとか工夫して腰を立てて坐ろういう気持ちが大事なのです。この意欲が腰を立たせてくれるのです。」

上級かもしれない。腹が少し圧迫されるだろう。姿勢も真っ直ぐにはしずらい。しかしこれはこれで工夫だし、そこで「気持ち」「意欲」を試せるか?

■7.感想、まとめ
「また毎回イス坐禅をすると、疲れがとれる、夜がぐっすり眠れるというお声をよくいただきます。今回いただいた感想の中には「睡眠時間が普段よりだいぶ少なかったのにすっきり起床でき、通勤途上の足取りが軽く、歩く速度もはやく…具体な体感が続いた」というお声もありました。」

日常において、無理に固まった姿勢をしなくなって、コリがなくなる、といったことだろうか。
確かに、1週間瞑想会やリトリートなどで一日中瞑想していると睡眠時間が少なくなる、というのは聞いたことがある。

「このイス坐禅を日常にできるようになると、ほんとに体が調い、心も調って元気になることができます。まさに坐ることが楽しくなってくるものです。」

老師自身のストレスがなくなっているようだ。

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