我為法來、非為衣來

我、法の為に來たる。衣の為に來たるに非ず。

六祖壇經で、五祖弘忍より衣を授かり、六祖慧能は逃げたが、道明上座が追いついた。その時のやり取りにある蒙山道明のことば。なお、六祖壇經では恵命である。
もともと五祖弘忍に参じていたが、この問答で悟り、六祖慧能に師を請うが、兄弟弟子ということで落ち着いた。

宗鑑法林より。

因みに大庾嶺に至り六祖盧行者に趁う。祖は衣を石上に於いて置く。師、之を舉すに動かず、乃ち曰く、「我れ法の為に來たる。衣の為に來るに非ず。願わくは、行者開示せん」。祖曰く、「善を思わず、惡を思わず。正恁麼時に、那箇(いずこ)や、是れ明上座の本來の面目」。師、大悟す。作禮して曰く、「上來、密語は密意の外にあり、更ち意旨は別に有り否(や)」。祖曰く、「我れ今、汝が為に說く者、即ち密に非ず也。汝、若し返照せば密が在り、汝に邊ず」。

ちなみに、法林音云~と著があるが、この法林音というのは、『宗鑑法林』を編纂した集雲堂、即ち性音ということのようだ。(『宗鑑法林』に集雲堂編とある。)迦陵性音(1671-1726)は清代の、臨濟宗楊岐派の禅僧である。

《宗鑑法林》卷7:
袁州蒙山道明禪師(五祖忍嗣)
因趁六祖盧行者至大庾嶺。祖置衣於石上。師舉之不動乃曰。我為法來。非為衣來。願行者開示。祖曰。不思善。不思惡。正恁麼時。那箇是明上座本來面目。師大悟。作禮曰。上來密語密意外。更別有意旨否。祖曰。我今為汝說者即非密也。汝若返照。密在汝邊。

法林音云。行者深無去就。被箇孟八郎輕輕一拶。便自立地放尿。如今二千年來。大庾嶺頭底衣鉢不知還在否。致今無限無限衲僧。箇箇瞠開眼睛。單單祇要見本來面目。真堪笑煞。

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