管長日記「仏光国師の漢詩」解釈20241020
昨日の管長日記で、日曜説教のあとに白駒妃登美(しらこまひとみ、「株式会社 ことほぎ」代表)ご一行様と歓談したという話があった。「怨親平等」についての話をしたということであったが、元寇の戦没者供養ということで円覚寺が建立されたのだから、その御開山仏光国師無學祖元の話をしたのだろう。無學祖元といえば漢詩が有名で、特に「臨刃偈」と遺偈が有名だ。そのような事もあってか漢詩を紹介したという話。禅の文化といえば、漢詩、墨蹟、禅画、あとはお茶、庭園、建築といったところだろうか。
構成
1.3つの仏光国師の漢詩
2.臨剣の偈(臨刃の頌)
3.お別れを告げる詩(告別の偈?)
4.遺偈(辞世の句)
遺偈はよく知られているものではなかった。ちょっと調べたい。
■1.3つの仏光国師の漢詩
[臨刃の頌]
乾坤 孤筇を卓つるに地無し。
喜得す人空 法亦空なることを
珍重す 大元三尺の剣。
電光影裏 春風を斬る。
乾坤無地卓孤笻。
喜得人空法亦空。
珍重大元三尺劍。
電光影裏斬春風。
[告別の偈]
世路艱危、故人に別る。
相看て手を握って頻りなることを知らず。
今朝宿鷺亭前の客。
明日扶桑国裏の雲。
世路艱危別故人。
相看握手不知頻。
今朝宿鷺亭前客。
明日扶桑國裏雲。
[遺偈]
諸仏凡夫同に是れ幻。
若し実相を求むれば眼中の埃。
老僧が舎利 天地を包む。
空山に向かって冷灰を撥くこと莫れ。
諸佛凡夫同是幻。
若求實相眼中埃。
老僧舍利包天地。
莫向空山撥冷灰。
なお、よく知られている遺偈はこちらだろう。wikipediaにも載っている。
来たるも亦前ならず、
去るも亦後ならず、
百億毛頭に獅子現じ、
百億毛頭に獅子吼ゆ。
來亦不前。去亦不後。
百億毛頭師子現。
百億毛頭師子吼。
■2.臨剣の偈(臨刃の頌)
朝比奈宗源老師『しっかりやれよ』(筑摩書房)解説
「開山も元が侵略して来たものですから、真如寺を出て南に逃れ、今の福建省の雁山の能仁寺という寺に避難しておられた。ところがその寺へもやがて元の兵が乱入したらしい。すると寺の者たちは皆逃げてしまったが、師、一榻に兀坐―開山一人だけ坐禅して動かなかった。そこで元の兵隊がこの坊主横着な奴だと思ってでしょう、白刃をもって開山の首を斬ろうとした。
そしたら少しもおどろかないで、この偈を説かれたというんです。
乾坤無地卓孤筇 これは大そう痛快な詩です。天地の間に杖一本立てる所もない。
喜得人空法亦空 人空の人というのは主観、法というのは客観界、私から見れば皆さん方を含めてこうして私を取り巻くあらゆるものが法であります。
嬉しいことにはその法もなければ、これがこれだというものもない。
これは私がいつも言う悟りの境地ですよ。そういう境地から見れば、
珍重大元三尺剣 珍重というのは、ご苦労さんということです。
ああ、大元の兵隊さん、三尺の大だんびらを振り上げてわしの首を斬るというが、それは、
電光影裏斬春風 お前さんたちがぴかぴかする刃を振り回して、わしの首を斬ることは、ちょうど春風の中で剣舞するようなものであって、ごくろう千万であると、こういう意味で、実に小気味のよい詩であります。」
最近になって駒澤大学の小川隆先生から「珍重」は「さらば」という別れの言葉と教わりました。そうしますと、「さらば、大元三尺の剣が私の首を斬ろうとも、あたかも稲光のする間に、春の風を切るようなものだ」という意味になります。こちらの方が臨場感があってよろしいように感じます。
珍重というのは、語録の上堂や示衆での話が終わったときの老師の言葉。
詳しくは管長日記第1006回「珍重」2023/10/9に書かれる。
この漢詩について、朝比奈老師は、「まぁ、開山という人は、前にはお母さまに仕えて娘のように優しくしていたかと思えば、こういう場合に臨めば毅然としてですね、叱咤して三軍を退けるような気概のあった人で、ここらが、私が開山を好きな所であるし、後に日本に来て、北条時宗の師匠になっても、日本の武士たちとぴったり呼吸の合った所以だと思います。ともかくこれは、詩そのものが一つの歴史であり、時と人とがぴしゃりと嵌る所に嵌った、 たぐい稀な作品です。」と称賛されています。
そうだろう。今、武士などいない世の中でも、緊張感がなんともカッコいいと思う。
但し、老師はちょっと注意を入れている。
「仏光国師は、ご自身の修行をすませて三十歳の頃から、三十六歳にお母様がお亡くなりになるまで、おそばに仕えて孝養を尽くされたのでした。
そんなお優しい一面もあれば、元軍に囲まれても微動だにしないという峻烈な一面もあるということなのです。」
このように言いたくなる気持ちもわかる。
■3.お別れを告げる詩(告別の偈?)
同じく、『しっかりやれよ』より。
「「衆に辞す」 ですから、皆にお別れを告げるのがこの詩であります。
世路艱危別故人 これは今日の韻からいうとちょっと韻を別にしておりますが、昔は通韻といいまして、共通して使ったと見えます。
まさに自分の国は亡びてしまおうとしているこの時勢にです、なじみ深い人たちとここでお別れをするというのです。
相看握手不知頻 手を握って、覚えず強く握って、しきりなるを知らずですね。
今朝宿鷺亭前客 宿鷺亭とはその時開山が居られた天童山にあった建物です、いまこうして宿鷺亭の前にいるが、明日は日本の空の一片の雲となるであろう。
こういう軽い表現が詩というものには好もしいですね。」
「実によい詩であります。この時のことを伝記にはこう書いてあります。
僧行士俗涙を垂れて別れざるはなし。坊さんも、坊さんでない人も、みな涙を流して開山の出立を見送られた。こうして日本においでになるのであります。」
SATで原文を確認する。
佛光國師語錄卷第九
明年大勢定。復旋里訪環溪於天童。留請掛牌首衆。越歳本國平將軍。
遠聞師道。虛建長法席。遣使具疏敦請。使至。慨然受之。環溪以無準法衣授。
以表信。師披衣陞座。拈香。爲無準嗣。別衆説偈云。
世路艱危別故人。相看握手不知頻。
今朝宿鷺亭前客。明日扶桑國裏雲。
六月初登舟。月盡到岸。時弘安二年也。八月二十一日。平將軍率衆迎入于建長。
將軍親稟戒法。執弟子禮。鼎剏圓覺禪寺。請師開山。
「虛建長法席」とあって、これを受けた形のようだ。師匠の法衣を受けて、法を嗣ぐ。
なお、無學祖元(1226-1286)の師匠は無準師範(1178-1249)。
■4.遺偈(辞世の句)
諸佛凡夫同是幻。 諸仏凡夫同に是れ幻。 仏様といおうと迷っている人といおうと同じように幻にすぎない。
若求實相眼中埃。 若し実相を求むれば眼中の埃。 何か少しでも真実となるものを求めようと思っても、そんなものは目の中の埃のようなもの。
老僧舍利包天地。 老僧が舎利 天地を包む。 私の骨はこの天地いっぱいにある。
莫向空山撥冷灰。 空山に向かって冷灰を撥くこと莫れ。 焼いた後の灰をかき回して骨を拾うようなことをしてくれるな
仏光国師は「自分の骨はちっぽけなものではなく、この天地いっぱいを包んでいるのだから、骨を拾うようなことをするな」と言われたのでした。
老師は、「良寛さんは「形見とて何か残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉」という歌を残しました。」と良寛さんを挙げている。佛光国師の見方として、一理あるかもしれない。
■遺偈について
遺偈が2つあることになって、少し気になる。仏光国師語録巻十を確認してみる。
至元二十三年丙戌弘安九年庭前桂橘忽夏枯。師曰。吾將逝矣。九月三日。
手書別諸方。至夕擧偈竟。端坐而逝。後三日葬其骨闍維無骨。
璵塔銘序中可見建長之後山。壽六十一。僧臘四十九
明云。聞在日東開大法門。廣誘來學。正當盛時。奄然遷化。所有機緣法要。
遠隔鯨波。惜乎不及見之。玆因其徒彌陀長老。慧通來訪。語次欲聞大略。
故述而歸之。如日本有大手筆之士。能發濳德之幽光亦美事也。
大德戊戌大元成宗大德二年去師之化。一十三年仲冬下澣。
一日慶元路昌國州龍峯普慈禪寺住持。用濳覺明嗣物初觀狀。
芝云。夏休庭桂與橘。俄爾萎枯。衆意疑愕。九月旦茗曾兩序。備示出世始末。
及手書訣別檀越隣封道舊。卽集衆。諄複訓厲。以法道爲己任。至三日晩需湯。
沐浴更衣端坐。索筆書偈云。來亦不前。去亦不後。百億毛頭師子現。
百億毛頭師子吼。寘筆而逝。龕留三日。容貌如生。越七日闍維。遵治命也。
函遺殖塔于寺山之麓。世壽六十一。僧臘四十八。度弟子以心印心。以器傳器。
三百餘人。拔其尤者。
建長高峯日、長樂一翁豪平生提唱語錄。刊行于世。戸曉家知久矣。師姿禀英偉。
度量寬弘。以造道自專。以任法自力。周旋諸大老門庭。罔不鍼投芥輥心契理融。
固其造詣之優。發而爲用者大。機鋒峭拔。旨意淵微。以自然智。籠罩古今。
以文武火。煆煉學者。希跡鼻祖載道東趨。道化風行。無遠不被。縉紳泰仰。
禪衲景從。致若絢緣戢化致若已下脱誤洞徹去來。了無滯凝。所謂觀人之操履。
必於死生之際觀之。師得之矣。古杭南山淨慈禪寺住持。
賜佛鑑禪師法姪比丘如芝嗣虛堂愚謹狀。
璵云。一日定中見東山下瓜瓞聯綿而盛。其時高峯在東山。師貽書與之曰。
吾法道自足下盛大矣。後果然。次年丙戌夏。庭前桂橘樹枯。師曰。吾將逝矣。
八月二十八日。特爲入室。勸勉諸人。又云。幷屬景愛寺尼如大。竭力分化。
今開山眞如。正脈塔院是也。初三日九月齋前。書偈。先示辭別之意云。
一切行無常。生者皆有苦。五陰空無相。無有我我所。又云。其徒有問。
師滅後。有舍利否。偈云。諸佛凡夫同是幻。若求實相眼中埃。老僧舍利包天地。
莫向空山撥冷灰。沐浴更衣。言咲自若。至人定。索筆書偈。燼餘惟灰而已。
衆函灰瘞于建長寺山之麓。建塔院。曰正續。勅諡佛光。塔曰常照。~
以上のように、遷化のことを伝えた人が4人いるとわかる。「來亦不前。去亦不後。百億毛頭師子現。百億毛頭師子吼」は芝さんの話で、「諸佛凡夫同是幻。若求實相眼中埃。老僧舍利包天地。莫向空山撥冷灰」は璵さんによる。
高峰顯日、仏国国師(1241-1316)は偈と関係がないのが残念だ。