管長日記「心の荒みは諸悪の根源」解釈20241226

「心の荒み」という心の問題か、と思いきや、始めは道徳的な話だったが、終盤に来て話が一貫していた。このテーマは昨日の、日本を美しくする会相談役の鍵山秀三郎の話の続きものではあるのだが、掃除といえば仏教(周梨槃特や禅門の作務)の法話的でもあり、道徳というので儒教、儒教といえば今北洪川といった感じもあって、とても整っている印象だった。そのなかで「(鍵山先生の)お姿を思い起こします」と鍵山秀三郎の人間性を軸とした話であった。論は「心」と「荒み/きれいにすること」について一貫している。

最近、老師は、疲れている、忙しすぎる、と動画で言っていた。最近の老いの話もそのようなことを感じさせていた。うまく調えて頂ければと思う。

今日の法話は、老師の「語り」が非常に充実している、と感じた。

構成:
■1.食品会社の危機への応援
■2.「百萬典経 日下之燈」、「朽木糞牆」
■3.今北洪川老師『禅海一瀾』の講義
■4.「心の荒み」

■1.食品会社の危機への応援
最近朴の森で講演会でのこと。
老師は、「(日本を美しくする会の方々は、)各自それぞれお掃除に励んでいらっしゃるのですが、皆さんに共通していることは、日本を美しくする会の創始者であり、相談役である鍵山秀三郎先生を心からお慕いしているということです。」
この食品会社の社長さんの話が印象に残ったという。

「その会社で食中毒が出てしまい、しばらく営業停止になったそうです。そんな時に鍵山先生から電話があり、いつ店が再開するか聞かれたそうです。そうしてどうにか店を再開したときには、多くの方が店の前に並んでいたそうなのです。多くの方が応援してくれていたのです。そして驚いたのは、その行列の先頭に立っていたのが、鍵山先生だったというのです。鍵山先生は都内にお住まいであり、そのお店は西日本ですから、とても遠いのです。鍵山先生が「わざわざに価値がある」と仰せになっていることを思い起こしました。」

老師は、「鍵山先生をお慕いするのは当然であります」という。
仕事というつもりであっても、印象にのこるだろう。そのような行動ができる人格ということだろう。

■2.「百萬典経 日下之燈」、「朽木糞牆」

「鍵山先生は、よく御講話で今北洪川老師の『禅海一瀾』にある言葉を使ってくれています。それは、「百萬典経 日下之燈(ひゃくまんのてんきょうにっかのとう)」という言葉と、「朽木糞牆(きゅうぼくふんしょう)」という言葉です。」

この言葉との出会いについて:
「戦争で私が岐阜県の山奥に疎開をしましたときに、高等学校で国語と漢文を担任された先生から教えていただいたのが最初です。佐光義民先生というお方で、授業前によく今北洪川老師の話をされました。岩波文庫から出ている『禅海一欄』もいただいて、私にはとても全部は理解できませんでしたが、読んでいくと、「あっ」と思う言葉がぽつーん、ぽつーんと飛び出してきます。なかでも、「百萬典経 日下之燈」(太陽の下で蝋燭に火をつけても何の役にも立たないように、百万本のお経を読んでも知っているだけでは役に立たない、の意)と「朽木糞牆」(朽ちた木を彫刻したり、腐った壁を塗り替えたりすることができないように、精神の腐敗した人は教育しがたい、の意)という言葉はとても大事だと心に留めておりました。」(『二度とない人生を生きるために いつでもどこでも精一杯』)

「百萬典経 日下之燈」とは、今北洪川老師が、はじめ儒教の学問を修めていて、それこそ諸子百家の書物を読み尽くして、禅の修行に挑まれ、悟りを開いたときに思わず発した言葉です。今まで学んで来た書物に書かれていたことなど、この自己本来の心の素晴らしさ、それを体験した喜びに比べたら、太陽の下で灯した蝋燭の火のようなものだということです。
「朽木糞牆(きゅうぼくふんしょう)」は『論語』にある言葉です。洪川老師が、いくら何年修行しても悟りを開かないと朽ちた木も同然だと自ら慨嘆された言葉です。」

原文「宰予、昼寝ぬ。子の曰わく、朽木は雕るべからず、糞土の牆はぬるべからず。予に於いてか何ぞ誅めん。」(宰予晝寝、子曰、朽木不可雕也、糞土之牆不可杇也。)
「宰予が〔怠けて〕昼寝をした。先生はいわれた、「くさった木には彫刻できない。ごみ土のかきねには上塗りできない。予に対しては何を叱ろうぞ。」(金谷治『論語』岩波文庫)
■3.今北洪川老師『禅海一瀾』の講義
「今から十年前二〇一四年に人間学塾中之島で初めて講演した時に、私は今北洪川老師の『禅海一瀾』を講義しました。その時には、鍵山先生がわざわざ聴講に来てくださっていました。今もそのお姿を思い起こします。」

本当に老師の印象に残っているようだ。この行動力なのだろう。

■4.「心の荒み」
鍵山先生より、日めくりカレンダー『良樹細根』(PHP研究所)の言葉を老師が書いたという。朴の森の鍵山記念館で販売されており、懐かしく思い起こしたという。

日めくりカレンダーで、三十一の言葉が書かれており、一番初めの一日の言葉が「心の荒みは諸悪の根源」、『鍵山秀三郎一日一話』(PHP研究所)に、「心の荒み」について書かれる。

「「心の荒みは諸悪の根源」会社を創業したころ、私たちの業界は大変荒んでおりました。当然、その業界で仕事をしている社員の心も荒んでまいります。そこで、この荒んだ社員の心を穏やかにするためにはどうしたらいいか。熟慮の末、始めたのが掃除でした。この取り組みは間違っていなかった。いまでもそう確信しております。」

「 心の荒み:仕事そのもので、人の心が荒むようなことはありません。荒みはほとんど、人と人との人間関係から生ずるものです。心を荒ませないためには、人に対して親切にすることです。そして、身の回りをきれいにすることです。人を喜ばせることに心を砕き汚いところをきれいにすれば、不思議と心が落ちつき、心の荒みは消えていくものです。」

「わが身に引き受ける:世の中をよくするための一つの具体的な方法は、各人が体験してきた辛い思いを、自分自身で消化できる人間になるように努めることです。人に押されたら押し返すのではなく、押されっぱなしで自分の中におさめていく。周囲にけっして伝播させない。そういうふうに一人ひとりがわが身に引き受けていけば、世の中は必ずよくなるはずです。」

老師は、「鍵山先生の強い信念がある、鍵山先生の人となりをよく表している」という。

・荒んでいる業界で仕事をしている、荒んだ社員の心を穏やかにするために掃除をする
・人を喜ばせることに心を砕き汚いところをきれいにすれば、不思議と心が落ちつき、心の荒みは消えていく
・各人が体験してきた辛い思いを、自分自身で消化できる人間になるように努める(一人ひとりがわが身に引き受ける)
このように、行為に落とし込んでいる点が、行動力のある人格と相応して噓がない。実業家、経営者という枠におかれる人だと思うが、それを基礎とした、思想家、さらには教育者のような印象を、筆者は持った。

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