管長日記「僧堂の修行」解釈20241105
昨日、「僧堂修行について」というタイトルで曹洞宗総合研究センターでの講演の話であった。今日はその内容をより整理して、老師の言いたいこと(と思う)を伝えるための回としたような内容である。
「心」と生活、体についての意見という印象があり、それは「厳しさ」と合理性の考慮ということ。もちろん、前提に「心」がある。
「柔軟に対応することが大事かと思っています」という〆であり、それを工夫している、ちおうことを意味する。そのために、前半のまとめの部分をよく聞いておく、見ておくことは大切なことだろう。
構成:
1.老師講演内容のまとめ(老師自身の要約)
2.睡眠と早起きについて(曹洞宗の新井一光先生(曹洞宗総合研究センター研究員)発表)
■1.老師講演内容のまとめ(老師自身の要約)
要点を整理する。
(1)南嶽禅師と馬祖禅師の問答より、修行というのは特定の姿形にとらわれるものではなく、大事なことは心。心は見たり聞いたり歩いたり、動いたりして活動している心であり、その心こそが仏である。。
(2)心が仏でありますから、外に仏を求める必要はない。その心は、体の中に収まっているようなものではなく、心の中で私たちは寝たり起きたり活動している故に、私たちの活動のすべては仏の営みになる。
(3)その教えを受け継いで、黄檗禅師「一切の人は全体まるごと仏である」、臨済禅師「仏法は造作の加えようはない。ただ平常のままでありさえすればよい」と説いたが、ただなにもしないでそのままでいれば良いのではない。
臨済禅師は修行生活の苦労の末に、戒律に則った暮らしと、坐禅、看経、作務が、修行であると気付いた。
(4)宋代になって看話禅「特定の「公案」に全意識を集中することで意識を臨界点まで追いつめ、そこで意識の爆発をおこして劇的な「大悟」の体験を得させようとする」(『語録の思想史』より)方法が開発され、日本に伝わった。
栄西禅師は戒を重視、厳しい修行(清規)を実施。これは、厳格な清規のもとに、坐禅し看経し作務をして、その中で公案を工夫する修行である。
(5)更に鈴木正三は「日常の畑仕事や掃除や庭木の剪定など、ひたすら一心に打ち込んで行えば、みな仏道になる」と説く。これは、作務に打ち込んで修行するという今の修行道場の暮らしとなった。
(6)一方、「本来仏であるから、決して厳しい修行によって何か特別なものになるのだという思いを抱いてはならない」という思想は否定される。盤珪禅師の「仏になろうとするより仏のままでいる方が造作がない」という教えが該当する。
修行の目的は、少なくとも指導中の段階においては、悟ことという一瞬のことではなく、生活すべて、生きていることにある、という感じ。
悟る、ということはイベントみたいなものか、もしくは現在の僧堂修行では、悟ればよい、というものではないということなのだろう。
老師「この基本をしっかりおさえておけば、現実の様々な問題に柔軟に対応することができると思っているのであります。」
■2.睡眠と早起きについて(曹洞宗の新井一光先生(曹洞宗総合研究センター研究員)発表)
明治の終わり頃に、『僧堂教育改良論』という論説中
「形式にのみに止って宗門の発達せざるは、其一大原因たるものは早起に失し、徒らに身心を疲労し、太切なる昼間に於て、正しく業務を執ること能はざるのには非ざる乎と察せらる」
(睡眠も大事なことで、無駄な時間では決してない、修行したり仕事をするのと同じこと)
度を超えた早起きは「乱起暴起」だとも。
寝る時には、徹底してよく眠り、昼間はしっかり眼を覚ましてはたらき、修行に励む。早起きも午前四時が昔からのよい時間である。
『正法眼蔵随聞記』(講談社学術文庫の山崎正一先生の現代語訳)
「私が大宋国の天童山景徳禅寺にいたころ、如浄老師が住持であられたときだが、夜は十一時まで坐禅し、明けがたは午前二時半から三時には起きて、坐禅したものだ。住持の如浄禅師も、みなの者と共に僧堂の中で、坐禅されたものだ。それは一夜も、欠かされたことがない。
その間、僧たちは多く居眠りした。如浄禅師は、その間をまわってゆき、居眠りしている僧をみると拳骨でなぐったり、あるいは、はいている履をぬいで、それで打ち恥ずかしめ、眠りをさまして、はげましたものだ。」
「亡くなった私の師匠天童如浄和尚が住持の折のことだが、僧堂でみなみな坐禅しているとき、居ねむりをしている者がいると、浄和尚は自分の履で打ちすえ、ののしり叱ったが、僧たちは、みな打たれることを喜び、有難がったものだ。」
「厳しい苛烈な修行であったことが察せ」るが、老師も思い当たるところがあるようで「私などもこのような修行に憧れて努力してきたつもりですが、残念ながら大半は居眠りばかりしていたと今は慚愧の思いであります」という。
現場的に「自ら求道心をもってこのような古人の行履にならって行おうというのはいいのですが、これを無理に強要するのは難しいと思います」というが、これは上1.(6)に近いものだろう。
「明治の終わり頃にも、もう少し合理的に考えたらどうかという論説もあったことは興味深く思いました。昔から、僧堂の修行はどうあるべきか、いろいろ考え、論じられて今日に到るのです。」
確かに、唐代~宋代、そして鎌倉、室町、江戸、明治からの現在という期間である。「心」のことはそんなに変化しないと思う。時代に合わせる、といったことではなく、方法論自体がストレートに進化して欲しいと筆者は思う。