管長日記「父母の恩」解釈20241130

仏教一般についての、法話と経典解説といった話。
『父母恩重経』という、なんともわかりやすい題目のお経。偽経だそうだ。だが、親を大切にすることは、インドの経典にもあったかと思う。
お経とは釈尊が言ったことが書かれたものとするなら、インド限定ということも理解できる。釈尊の概念は凄い発見で、現在も通用するので、それを正統とするのはわかる。
ただ、大乘経典というのはどうだろうか。
また、インドで書かれたものだけを正統なものとする、という発想自体、所有主義、商業的主義、権威主義といったものだろう。他の土地でも、優れた思想家、文筆家、學者はいくらでもいるだろう。
自分の国で作られたものは、価値があるという気持ちは分かるが、単に、それ故に、一番良い、というのも間違いだろう。

構成:
1.『父母恩重経』の書誌的説明
2.『父母恩重経』の概要
3.坂村真民「母念」、森信三のことば、お寺での修行
4.色養

色養とは恩への態度、つまり親孝行である。
老師は、最後に「孝行にもいろいろあるものです」という。
「親の恩」というのは、言葉以前の原始的な経験と思うので、言葉以前のところとして受け取りたいと思う。

■1.『父母恩重経』の書誌的説明
「修行道場で、修行僧達に講義をしていて、『父母恩重経』について語りました。」

年間のカリキュラムのようなものは決めているのだろうか。回数とか知りたいものだ。
他にもいろいろな方々を招いて、話を聞いているようだし、修行はつらいかもしれないが、教育サービスという観点では、修行僧はお得かもしれない。

『父母恩重経』の、岩波書店『仏教辞典』での解説
「まずはじめに「中国で撰述された偽経」と書かれています。偽経というと、偽のお経のように思われますが、「中国や朝鮮・日本でつくられた経のこと」を言います。
ですから「サンスクリット本その他から翻訳された経」ではないのです。
サンスクリットなどの原本から翻訳されたものを「真経」とか「正経」といいました。
「偽経」とは「仏教の伝統的立場からは百害あって一利なしと見なされてきた偽経であるが、難解な仏教教理に縁のない庶民が仏教に何を期待したかを具体的に研究することができる点では、偽経はかけがえのない価値を有する。」
『父母恩重経』もまたその偽経であり、更に「父母の恩は天に極まりがないほど広大で重いが、子はその報恩の義務があり、それには7月15日に盂蘭盆(うらぼん)を行い、本経を書写して世人にひろめ、自らも受持読誦せよと説かれる。孝思想を取り入れつつ中国人社会に仏教帰依を説いている。偽経との理由で経典目録から排除され、軽視されたにもかかわらず大衆の間に流布した。
1900年に発見された敦煌文書の中に何点もの写本が含まれており、再び陽の目をみることになった。その中には丁蘭など中国の孝子名を記す最古層のテキストや本経に関する変相図や講経文なども発見されている。
本経は日本でも流布してきたが、その経文に相違する個所があるものの内容的には同じである。」
丁蘭というのは、二十四孝にも出てくる親孝行の人物であります。

■2.『父母恩重経』の概要
「『父母恩重経』には「父母の恩、重きこと天の窮まりなきがごとし」という言葉があり、そのあと父母の十恩という、十の恩を説いてくださっています。」

第一には懐胎守護の恩です。
 母親は子を胎内に受けてから十ヶ月の間、苦悩の休む時がないために、他の何もほしがる心も生まれず、ただ一心に安産ができることを思うのであります

第二に臨産受苦の恩です。
 陣痛による苦しみは耐え難いもので、父も心配から身や心がおののき恐れ、祖父母や親族の人々も皆心を痛めて母と子の身を案ずるのであります。

第三に生子忘憂の恩です。
 無事に出産すると、父母の喜びは限りないものです。それまでの苦しみを忘れ、母は、子が声をあげて泣き出したときに、自分もはじめて生まれてきたような喜びに浸るというのであります。

第四に乳哺養育の恩です。
 花のような顔色だった母親が、子供に乳をやり、育てる中で憔悴しきってしまうのであります。

第五に廻乾就湿の恩です。
 霜の夜も、雪の暁にも、乾いた所に子を寝かせ、湿った所に自ら寝るというのであります。

第六に洗灌不浄の恩です。
 子がふところや衣服に尿するも、自らの手で洗いすすぎ、臭いのや汚れたのをいとわないのであります。

第七に嚥苦吐甘の恩です。
 親は不味いものを自ら食べて、美味しいものは子に食べさせるということです。

第八には為造悪業の恩です。
 子供のためには、止むを得ず、悪業をし、悪しきところに落ちるのも甘んじるのであります。目連尊者のお母様が餓鬼道に落ちていたというのは、この我が子を思うが為であります。

第九に遠行憶念の恩です。
 子供が遠くへ出かけて行ったら、帰ってくるまで四六時中心配してくださるのであります。

第十には究竟憐愍の恩です。
 自分が生きている間は、子供を守るためには、如何なる苦しみを一身に引き受けようとし、死後も、子を護りたいと願うのであります。

■3.坂村真民「母念」、森信三のことば、お寺での修行

 母念
母念とは
母を思うことです
父母恩重経には
母の乳を飲むこと
一百八十斛とある
母の乳が
手足の爪となり
体を作ってゆくのです
中国上海にも
母念の碑が建つという
ありがたいことです

森信三先生、「これまで親の恩が分らなかったと解った時が、真に解りはじめた時なり。親恩に照らされて来たればこそ、即今自己の存在はあるなり。」

「森信三先生の高弟である寺田一清先生から、「父母の恩の有無厚薄を問わない。父母即恩」という西晋一郎先生の言葉を教えていただいたことがあります。」

「親の恩を思えばこそ、修行に励まなければと思うのであります。幸い修行道場に来ている者のほとんどは、お寺の子ですので、親の跡を継ごうと思っている方ばかりです。親を思う気持ちの強い子ばかりなのは有り難いことであります。今修行している時には、この修行に打ち込むことが一番の孝行であります。」と、老師はお寺における親への恩に対する態度について言及する。

■4.色養
親への孝行には「色養」という言葉もあります。

「親の顔色を見、其の心を察して事えること。一般に、常に和悦の顔色を以て父母に奉養すること。」(諸橋轍次『大漢和辞典』)

『論語』「論語」為政第二08
「子夏、孝を問う。子の曰わく、色難し。事あれば弟子其の労に服し、酒食あれば先生に饌す。曾ち是れ以て孝と為さんや。」
子夏問孝。子曰、色難。有事弟子服其労、有酒食先生饌。曽是以為孝乎。

岩波文庫の金谷治先生の訳を参照しますと、
「子夏が孝のことをおたずねした。先生はいわれた、「顔の表情がむつかしい。仕事があれば若いものが骨を折って働き、酒やごはんがあれば年上の人にすすめる、さてそんな〔形のうえの〕ことだけで孝といえるかね。」(金谷治『論語』岩波文庫)

顔の表情ー親の前でのやわらいだ顔つき。心の中に本当の愛情があってこそできる。それでむつかしいといった(新注)。

「親の前ではいつも穏やかな表情でいることが孝行だという教えなのです。食べ物などを差し上げることも大事ですが、親の前でいつも穏やかな表情でいることが難しいのです」と老師は纏める。

■漢訳経典
短いお経なので、是吽文
(CBETAより)
[1]佛說父母恩重經

如是我聞。一時佛在王舍城耆闍崛山中。與大菩薩摩訶薩及[2]聲眷屬俱。亦與比丘比丘尼優婆塞優婆夷。一切諸天人民及天龍鬼神。皆來集會。一心聽佛說法。瞻仰尊顏。目不暫捨。佛言。人生在世。父母為親。非父不生。非母不育。是以寄託母胎懷身十月。歲滿月充。母子俱顯生墮草上。父母養育。臥則蘭車。父母懷抱。和和弄聲。含笑未語。飢時須食。非母不哺。渴時須飲。非母不乳。母中飢時吞苦吐甘推乾就濕。非義不親。非母不養。慈母養兒。去離蘭車。十指甲中食子不淨。應各有八斛四㪷。計論母恩。昊天罔極。嗚呼慈母云何可報。阿難白佛言。世尊云何可報其恩。唯願說之。

佛告阿難。汝諦聽善思念之。吾當為汝分別解說。父母之恩昊天罔極。云[3]何若有孝順慈孝之子。能為父母作福造[4]經。或以七月十五日能造佛槃盂蘭盆。獻佛及僧得果無量。能報父母之恩。若復有人。書寫此經。流布世人。受持讀誦。當知此人報父母[5]恩。父母云何可報。但父母至於行來。東西隣里井竈碓磨。不時還家。我兒家中啼哭。憶我即來還家。其兒遙見我來。或在蘭車。搖頭弄腦。或復曳腹隨行。嗚呼向母。母為其子曲身下就長。舒兩手拂拭塵土。嗚和其口開懷出乳。以乳與之。母見兒歡。兒見母喜。二情恩悲親愛。慈重莫[6]復。二歲三歲弄意始行。於其食時非母不知父。母行來值他座席。或得餅肉。不噉輟味懷挾來歸。向[7]其與子。十來九得恒常歡喜。一過不得憍啼佯哭。憍子不孝。[8]必有五㰅。孝子不[9]懷。必有慈順。遂至長大。朋友相隨。梳頭摩髮。欲得好衣。覆蓋身體。弊衣破故。父母自著新好綿帛。先與其子。至於行來。官私急疾。傾心南北。逐子東西。橫上其頭。既索妻婦得他子女。父母轉疏。私房屋室共相語樂。父母年高氣力衰老。終朝至暮不來借問。[1]惑復父孤母[2]寡。獨守空房。猶如客人。寄止他舍。常無恩愛。復無濡被寒。苦辛厄難遭之。甚年老色衰。多饒蟣虱。夙夜不臥。長[3]呼歎息。何罪宿愆生此不孝之子。或時喚呼。瞋目驚怒。歸兒罵詈。低頭含笑。妻復不孝子。復五㰅夫妻和合同作五逆。彼時喚呼。急疾取使。十喚九違。盡不從順。罵詈瞋恚。不如早死。強在地上。父母聞之。悲哭懊惱。流淚雙下。啼哭目腫。汝初小時非吾不長。但吾生汝。不如本無。佛告阿難。若善男子善女人。能為父母受持讀誦書寫父母恩重大乘摩訶般若波羅蜜經一句一偈。一逕耳目者所有五逆重罪悉得消滅。永盡無餘。常[4]得見佛聞法。速得解脫。阿難從座而起。偏袒右肩。長跪合掌。前白佛言。世尊此經云何名之。云何奉持。

佛告阿難。此經名父母恩[5]重經。若有一切眾生。能為父母作福造經燒香請佛禮拜供養三寶。或飲食眾僧。當知是人能報父母其恩。帝釋梵王諸天人民一切眾生聞經歡喜。發菩薩心。㘁哭動地。淚下如雨五體投地。信受頂禮佛足。歡喜奉行。

[6]佛說父母恩重[7]經

■『父母恩重経』の解釈、偈頌
父母恩重經變經文偈頌という、偈頌集がある。お経を項目的に順に整理して、偈頌をつけた文書だが、解説ともなっている。

ここに、十の恩の言葉が、項目として出される。
懷胎守護恩、臨產受苦恩、生子忘憂恩、咽苦吐甘恩、推乾就濕恩
乳哺養育恩、洗濯不淨恩、為造惡業恩、遠行憶念恩、究竟憐憫恩

この文書も短いので全文を置く。

父母恩重經變經文偈頌

整理者 陳明光

〔題解〕

《父母恩重經變經文偈頌》,中國人所撰佛教文獻,作者不詳。刊刻在南宋僧人趙智鳳主持鐫刻的父母恩重經變龕。父母恩重經變龕,位於寶頂山石窟大佛灣北岩中部,圖文並舉。情節連貫地刻繪出父母撫育兒子成長的「十恩圖」。

全國石窟群中,刻變像與變文並舉的《父母恩重經變》僅此一例。龕刻經偈頌文,與安世高、鳩摩羅什先後譯的《佛說父母恩難報經》均大異。石刻「十恩圖」頌雖然多處提及慈覺禪師宗[A1]賾,但所言又浸透儒家倫理觀念,是研究該典籍發展變化的珍貴資料。

主建者趙智鳳五歲出家,自幼奉母至孝。他營造的寶頂山石窟造像內容,充滿儒家孝道倫理觀念。南宋昌州刺史宇文屺詩碑序讚頌:「寶頂趙智宗(鳳),刻石追孝,心可取焉」。[1]

〔錄文〕

投佛祈求嗣息

投佛祈求嗣息

賜紫慈覺大師□宗賾頌曰:

古佛未生前,疑然一相圓,釋迦猶□會,迦葉豈能傳。
父母同香火,求生孝順兒,提防年老日,起坐要扶持。
父母皆成佛,綿綿法界如,爾時心願足,方乃證無餘。
有得非為得,無功始是功,一輪千聖外,原[1]是舊家風。
懷胎[2]守護恩

第一懷胎守護恩。禪師頌曰:

慈母懷胎日,令身重若□,母黃如有病,動轉亦身難。
臨產受苦恩

第二臨產受苦恩。慈覺頌曰:

□□慈親苦,□人眼淚□,□知恩力重,□取出胎時。
慈父聞將產,空惶不自持,□生都未□,□耳皺雙眉。
生子忘憂恩

第三生子忘憂恩。慈覺頌曰:

初見嬰兒面,雙親笑點頭,從前憂苦事,到此一時休。
咽苦吐甘恩

第四咽苦吐甘恩。慈覺頌曰:

□□兒子吃,□□自家餐,不□知恩少,他時報德難。
推乾就濕恩

第五推乾就濕恩。慈覺頌曰:

乾處讓兒臥,兒身熟□睡,仰推慈母□[1],諸佛亦何偏。
乳哺養育恩

第六乳哺養育恩。慈覺禪師宗賾頌曰:

乳哺無時節,懷中豈暫離,不愁脂肉盡,惟恐小兒饑。
洗濯不淨恩

第七洗濯不淨恩。慈覺大師頌曰:

小兒□□□,襁[2]褓□時[3]乾,懷□無□孩[4],慈心不□□。
兒身多穢污,洗潔□□□,父母年需時,誰供一勺湯。
為[1]造惡業恩

第八為[2]造惡業恩。古德頌曰:

養兒方長大,婚嫁是尋常,筵會多殺害,罪業使誰當。
遠行憶念恩

第九遠行憶念恩。慈覺頌曰:

乳下為兒時,三年豈離位,如何千里外,□家不回□。
□□□□□,出必□□□,恐依門廬望,歸來莫太遲。
究竟憐憫恩

究竟憐憫恩。頌曰:

百歲惟憂八十兒, 不捨作鬼也憂之。 觀喜怒常不犯慈顏,
非容易從來謂色難。
大[3]藏報父母恩德經

大[1]藏《報父母恩德經》□:

佛告阿難曰:有善男子、善女人,欲得報父母恩德[2],為於父母□寫大乘,為於父母說讀誦大乘[3],為於父母聽□□□□。

贊曰:

□…□[4]。
大藏佛言為於父母供養三寶

大藏佛言:為於父母供養三寶,為於父母□施修福。

贊曰:

佛法僧三寶,□□妙福田,□□酬罔極,□□定無邊。
□□真可念,□□更堪憐,□□如諸聖,□□即敬田。
大藏佛言為於父母□悔罪德

大藏佛言:為於父母□悔罪德,為於父母持齋、持戒□等。若能如是,□曰孝子。若不[5]持此行者,終是地獄之人、不孝之子。

贊曰:

欲□無窮孝,當求出世因,曾日不到處,須問釋迦文。
大藏佛言三千條律令不孝罪為先

大藏佛言:或後兒子及其長大,翻為不孝。尊親共語,應對㤶𢘸。拗眼烈睛,欺凌伯叔。打罵兄弟,毀辱親情。無有禮儀,不遵師範。棄諸勝友,朋逐惡人。習已性成,遂為狂計。不崇學藝,□遂異端。無賴粗顏,好習無益。鬥打竊盜,觸犯鄉閭。飲酒樗蒲,奸非過法。帶累弟兄,惱亂爺娘。晨去暮歸,尊人憂念。

贊曰:

三千條律令,不孝罪為先。天網無逃處,常應悔在前。
非為妨孝養,恃戲破家產。未必罹憂患,慈親亦惱懷。
刑法

刑法:諸罵祖父母、父母者絞,毆者斬。

佛告阿難不孝之人墮阿毗獄

大藏經云:佛告阿難,不孝之人,身榜命終,墮阿毗獄。其地獄縱廣八千由旬,四面鐵城,其地亦鐵,鐵為羅網,熾火洞燃,猛烈焰爐,雷奔電爍,烊銅燒鐵,流灌罪人,銅狗鐵蛇,恒吐煙焰,炮燒煮炙,雙節焦然,歷劫受殃,無時間歇。更得入諸小獄中,頭戴火盆,其身爛壞,腸肚寮亂,骨肉縱[1]橫,千生萬死。

贊曰:

父母如憂念,乾坤定不容,人間遭霹靂,地獄飲烊銅。
佛戒語

惡友熏習,造作非禮,生遭王法,死入阿鼻。
佛偈戒語

知恩者少,負恩者多。
假使熱鐵輪,於我頂上旋,終不以此苦,退失菩提心。
〔錄文完〕

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