管長日記「布薩は坐禅」解釈20241116
「第二日曜日の午後は一般の方と布薩を行うようにしています」と本日の冒頭である。定期的にすることと設定している。このようなイベントは、日曜説教、イス坐禅だと思う。坐禅会や写経も円覚寺は定期的に行っているが、日常的なところだろう。功徳林は年1なのではなかろうか。夏期講座も毎年やっている。年1ならお寺の行事(花祭り、涅槃会、舎利講、それと祖師方の法要)も多い。イベントだらけなのだが、老師が日記で、毎月採り上げているのは、イス坐禅と布薩の会だろう。
法話と言った「いい話」ではないのだが、定期的に体を話を聞くと、日々のちょっとした体操の振り返りとか、試してみたくなることもあって、ありがたいものだ。
昨日は、還暦、古稀という日記のタイトルだったが、健康の維持、強化は重要だ。仏教以前といえるのだが、禅だと日常的に体を動かすことが良いとされているように思う。禅は教えとともに、修行とよばれる禅堂の生活方法も学びたいところだ。調身調息調心も日常的としたい。
布薩も結構体を使うようだが、基本的な態度を決める思いを得る、定着させるのに特に有効なのだろうと思う。今日のお話のように、坐禅との類似はその通りだと思う。
構成:
1.布薩会の開催状況
2.布薩会の実施内容:体操
3.布薩会の実施内容:布薩
4.礼拝の仕方
5.布薩と坐禅について
項目5.は、実は5,6行のところなのだが、重要な見解だろう。
最後に、「毎月の布薩もこれで定着してきたように思っています。ご参加くださる方には感謝しています」とあり、なるほどと思うところもあった。
■1.布薩会の開催状況
今年の1月から初めて、今回で11回目。
11月10日午後実施、60名参加でこのくらいの人数がちょうどいい、とのこと。50名はリピーターで、5回以上の参加が4割。
■2.布薩会の実施内容:体操
つま先立ち、足踏み、腰・股関節・足首の運動。
布薩では27回の礼拝を繰り返す。足の裏の指圧、足指を回す、足の裏を拳でたたく。
■3.布薩会の実施内容:布薩
布薩は「ウポーサタに相当する音写」、もともとは「火もしくは神に近住する意」。
「婆羅門教の新月祭と満月祭の前日に行われた儀式を仏教に取り入れたもの」
「発展段階に応じて内容や表現に相違が見られるに至った」、
「半月に一度、定められた地域(結界)にいる比丘達が集まって、波羅提木叉を誦して自省する集会。」
「のち、月に6回、六斎日(ろくさいにち)に在家信者が寺院に集まって八斎戒を守り、説法を聞き、僧を供養する法会が盛んになり、これも<布薩>と称するようになった」
「月ごとの十五日、三十日に寺々に布薩をおこなふ。鑑真和尚の伝へ給へるなり」
(『仏教辞典』岩波書店)
波羅提木叉とは戒の条文のこと。
もともとは新月と満月の前日に実施。六斎日というのは毎月の8・14・15・23・29・30日。
その日に八斎戒を在家の方も守る。八斎戒は、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の五戒に「装身具をつけず歌舞を見ないこと」、「高くて広いベッドに寝ないこと」、「昼をすぎて食事をしないこと」の三つを加えたもの。
「在家の方も布薩の日にはお寺の参ってこの八斎戒を守ったのでした。」
すべての宗派のお寺が、これをやっていてくれたが、近くの歩いて5分で行けるのだが、、、
今日の日記は、実施項目が書かれていた。重要な参考資料だろう。
(一般の方の布薩)
般若心経を唱和します。
南無釈迦牟尼仏と唱えながら三回礼拝します。
南無観世音菩薩と唱えながら三回礼拝します。
南無三世三千諸仏と唱えながら三回礼拝します。
これで九回の礼拝となります。
そして懺悔文を一回唱えて礼拝し、三回繰り返します。
そして三帰依を三回繰り返します。九回の礼拝になります。
おそらく、南無歸依佛、南無帰依法、南無帰依僧とやって、このまとまりを3回
三聚浄戒を唱えて、十善戒を唱えます。
第一不殺生 すべてのものを慈しみ、はぐくみ育て
第二不偸盗 人のものを奪わず、壊さず
第三不邪婬 すべての尊さを侵さず、男女の道を乱すことなく
第四不妄語 偽りを語らず、才知や徳を騙(たばか)ることなく
第五不綺語 誠無く言葉を飾り立てて、人に諂(へつら)い迷わさず
第六不悪口 人を見下し、驕(おご)りて悪口や陰口を言うことなく
第七不両舌 筋の通らぬことを言って親しき仲を乱さず
第八不慳貪 仏のみこころを忘れ、貪りの心にふけらず
第九不瞋恚 不都合なるをよく耐え忍び怒りを露わにせず
第十不邪見 すべては変化する理を知り心を正しく調えん
「誓いの言葉」を唱えて三拝し、
最後に四弘誓願を三回繰り返して三拝して終わります。
終わると、三分黙想します。
今まで読んだ戒にもとる行いがなかったか反省し、これから戒にもとる行いがないように心に誓う。
■4.礼拝の仕方
呼吸に合わせてゆっくり丁寧に礼拝します。
まず立って合掌し、息を吐きながら股関節から九十度曲げます。
そして息を吸いながら体を起こします。
それから息を吐きながら両膝を床に着きます。
この時に膝を痛めないように座布団の上に膝をつくようにします。
膝に不安のある方はまず手をついてから膝をつくようにします。
膝をついて、つま先を立てたままで、一息息を吸い込みます。
そして吐きながら両方の肘と額を床につけます。
そこで手のひらを上に向けて、息を吸いながら手のひらを耳の高さまで持ち上げます。
そのてのひらにお釈迦様のおみ足をいただくのです。
それから息を吐きながら、手のひらを床に伏せて、更に息を吐き尽くします。
吐き尽くしたら、吸いながら体を起こして、吐きながら立ち上がります。
これを繰り返すのです。
足で床を踏みしめて立つときに腰も自然と立ちます。垂直方向の運動がなされます。
それから体を床につけて、水平方向にもなります。水平方向と垂直方向と交互に繰り返しながら体が調ってゆきます。
それに呼吸を合わせて、両手を持ち上げる時には尊いお釈迦様のおみ足を恭しくていただく気持ちです。
毎回呼吸を言葉で伝えながら、ゆっくり丁寧に礼拝を繰り返します。そうしますと自然と体が調ってくるのです。
1回あたり30秒かかる感じか。ゆっくりやると2,30分かかるだろう。
■5.布薩と坐禅について
「修行道場で長年暮らしていて、とても違和感を持っていたのが礼拝を粗雑にすることでした。修行道場では何でも早くすることをよしとしますので礼拝もバタバタと行うのです。これでは尊いお釈迦様のおみ足をいただく敬虔な気持ちにはなれません。これはなんとかならないかと思い続けていました。」
「師家として指導するようになってまず改めたのが、礼拝を丁寧にすることでした。毎朝の朝課でも皆と一緒に丁寧に行うようにしています。そうして礼拝を繰り返してとても体が調うのを感じました。」
この実践はちょっと感動的かもしれない。
「そうして布薩をおこなってしみじみ感じたのは、布薩の礼拝で体が調い、呼吸に合わせて行いますので、呼吸も調い、お釈迦様のおみ足をいただく敬虔な気持ちになり、更に戒の条文も読んで心も調うです」というように、布薩のプロセスを評価して「坐禅はこの体と呼吸と心を調えるものですから、布薩は実に坐禅になっているのです」。
これは「坐禅」ということば、語彙の認識が明らかになるところだろう。
「体と呼吸と心を調える」という概念の内包性はひとつの判断基準になるだろう。