管長日記「平四郎の話」解釈20241206

白隠臘八示衆第五夜まで来た。なるほど、一週間というのは短いのだが、長くもある。

構成:
■1.平四郎とは
■2.第五夜示衆、接心について
■3.第五夜示衆、平四郎の略歴
■4.第五夜示衆、滝の水泡と澤水法語
■5.第五夜示衆、三夜の坐禅
■6.第五夜示衆、白隠禅師に見えて公案を透過、發起勇猛憤志!

なるほど、臘八接心の5日目にふさわしい話だった。
イベントに応じた話というのはあるのだが、期間のあることなら、それに応じた工夫もあって当然だろう。そんなことを漢文から取れる良い例なのだろう。

■1.平四郎とは
「臘八示衆の第五夜は平四郎の話です。禅門で平四郎というと、鎌倉時代の真壁の平四郎と、江戸時代の庵原の平四郎とがよく知られています。ここでは庵原の平四郎の話であります。」

なお、鎌倉時代の真壁の平四郎とは、法身性西(1189-1273)という禅僧。円福寺(後の瑞巌寺)の開山という。
実はもう3年前、管長日記で2021.12.12と13の2日に亘り、鎌倉と江戸の平四郎の話をしている。

■2.第五夜示衆、接心について
「第五夜の示衆も長いので一部ずつ読みながら解説してゆきます。」

とりあえず、原文を示す。確かに、すこし長めである。
東嶺圓慈『五家參祥要路門』
第五夜示衆曰。所謂接心長期百二十日。中期九十日。下期八十日也。剋期決定欲明大事。故一衆不出戸外。況雜談乎。參禪只但勇猛一機而已。汝等不聞乎。近頃菴原有平四郎者。彫刻不動尊石像。以安置吉原山中瀑布處。忽覽瀑水漲落。水泡跳珠前泡後泡。或流一尺消去。或二尺三尺消去。乃至二間三間消盡。宿縁所感。竟覺知世間無常都如水泡。殆逼一身不堪安處。偶聽人讀澤水法語曰。爲勇猛衆生成佛在一念。爲懈怠衆生亙涅槃三祇。因忽發大憤志。獨入浴室。堅鎻戸牖。竪起脊梁骨。握兩拳。瞪雙眼。純一坐禪。妄想魔境蜂午紛起。法戰一場。終得斷命根。深入無相定。及天明聞鳥雀繞舍啼。自求全身。終不可得。唯看兩眼脱出在地上。須臾忽覺爪際痛。而兩眼歸位。四支獲起。如是三夜。坐起一如前。及第三日朝。洗面而視庭樹。大異於平日所見。甚爲奇異。仍問隣僧。總不辨。因欲見鵠林。舁轎踰薩埵嶺。眺望子浦風景。始知先所得草木國土悉皆成佛底端的。徑見鵠林。屢入爐韛。透過數段因縁。彼是一箇凡夫。未曾知參學事。然纔兩三夜而證如是事。唯勇猛一機與妄想相戰得勝者也。汝等何不發起勇猛憤志乎

「臘八示衆第五夜 第五夜示衆曰。所謂接心は長期百二十日。中期九十日。下期八十日也。剋期決定して大事を明らめんと欲す。故に一衆、戸外に出ず。況んや雜談をや。參禪は只だ但だ勇猛一機のみ。」
(第五夜示衆曰。所謂接心長期百二十日。中期九十日。下期八十日也。剋期決定欲明大事。故一衆不出戸外。況雜談乎。參禪只但勇猛一機而已。)

「摂心という修行は長いと百二十日、中期が九十日、短期が八十日とあります。これは今の安居に相当するのではないかと思います。元来は、安居の期間は、禁則で外にも出ることはなかったのでした。今では、安居の間でも、托鉢に出たり、外に出ることもあるようになっています。かつては、戸外に出ることなく、中で雑談することもなかったというのです。」

さて、このあと平四郎の話となります。

■3.第五夜示衆、平四郎の略歴
「汝等聞かずや、近頃菴原に平四郎という者有り。不動尊の石像を彫刻して、以って吉原山中瀑布(ばくふ)の處に安置す。忽ち瀑水(ばくすい)漲落(ちょうらく)するを覧る。」
(汝等不聞乎。近頃菴原有平四郎者。彫刻不動尊石像。以安置吉原山中瀑布處。忽覽瀑水漲落。)

「山梨平四郎は、了徹居士とも申します。宝永四年一七〇七年のお生まれであります。寛保三年一七四三年家督を継いで平四郎と名乗ります。四女二男に恵まれましたものの、長男が夭逝してしまいます。父は、延享三年に七十四歳で亡くなっています。白隠禅師のもとに参じるのは、その二年後の延享五年一七四八年であります。この父が七十四歳という、江戸時代においては長生きされていて、そして自分の長男が早く亡くなるという体験が、平四郎の参禅の機縁となっています。」

41歳で参禅という。遅いのだろうか。しかし、現在、禅寺に通って、参禅というのとも違うのだろう。子供のころから禅、坐禅には親しんでいたのではないだろうか。今では、もともとお家の縁がなければ、文學的なところから入って坐禅もできるようになったか、ヨガやメンタル方面のマインドフルネスから入ってくるのではなかろうか。

「平四郎は、不動尊の石像を彫刻して吉原山中の滝のところに安置しました。そこで滝から水が流れ落ちるのを見ていました。すると水の泡が次々と浮かんでは消えてゆく様子が目に入ります。」

■4.第五夜示衆、滝の水泡と澤水法語
「水泡、珠を跳して、前泡後泡、或流るること一尺にして消え去り、或いは二尺三尺にして消え去り、乃至二間三間にして消え盡くす。宿縁の感ずる所、竟に世間の無常、都て水泡の如くなるを覺知す。」
(水泡跳珠前泡後泡。或流一尺消去。或二尺三尺消去。乃至二間三間消盡。宿縁所感。竟覺知世間無常都如水泡。)

「泡を見ていると、浮かんだと思うとすぐに消えてしまうものもあれば、一メートル二メートルと流れてから消えるものもあるのです。その泡の浮かんで消える様子を見て、この世の中が無常であることは、この水の泡のようなものだと悟ります。」

「殆んど一身に逼って安處するに堪えず。偶、人の澤水法語を読むを聴く。」
(殆逼一身不堪安處。偶聽人讀澤水法語)

「もういたたまれない思いに駆られました。たまたまある人が沢水法語を読んでいるのを耳にしました。」

「沢水法語というのは、沢水長茂(ちょうも)禅師という方の法語です。生年ははっきりしないのですが、一七四〇年にお亡くなりになっています。『禅学大辞典』によると、世寿百八十ばかり(一説に延享年中(一七四四、一七四七)示寂、世寿百六十余)とあります。」

「(沢水法語に)曰く。勇猛の衆生の為には成佛、一念に在り。懈怠の衆生の為には涅槃、三祇に亘ると。」
(曰。爲勇猛衆生成佛在一念。爲懈怠衆生亙涅槃三祇。)

「勇猛に修行する者にとっては、成仏は一念にあるし、怠けている者には、涅槃は三阿僧祇劫もかかってしまうというのです。」

■4.第五夜示衆、大憤志を発す
「因て忽ち大憤志を発して、獨り浴室に入り、堅く戸牖(こゆう)を鎖(とざ)ず。脊梁骨を竪起し、兩拳を握り、雙眼を瞪(とう)し、純一に坐禪す。」
(因忽發大憤志。獨入浴室。堅鎻戸牖。竪起脊梁骨。握兩拳。瞪雙眼。純一坐禪。)

「そこで大憤志を起こして、一人で浴室に入って中から戸を閉めて、自分なりに坐禅したのでした。その坐禅のやり方が、背骨を立てて両手の拳を握り、両方の眼を見開いて純一に坐禅したのです。「瞪」という字は、音読みが「トウ」で、「みつめる。黒目を上にあげてみつめる」という意味です。仁王禅のような独自の坐禅です。

「そうして坐っていると、「妄想魔境、蜂午紛起す(妄想魔境蜂午紛起。)」とあります。様々な雑念妄想などが、次から次へと湧いてきました。そこで「法戰一場して斷命根(だんみょうこん)を得て、深く無相定(むそうじょう)に入る。(法戰一場。終得斷命根。深入無相定。)」と書かれています。その雑念妄想と戦って勝って、煩悩妄想の根を断ち切って深い坐禅三昧に入ったのでした。」

■5.第五夜示衆、三夜の坐禅
「天明に及んで鳥雀(ちょうじゃく)の舍を繞(めぐ)って啼くを聞いて、自ら全身を求むるに竟に得べからず。唯、兩眼脱出して地上に在るを看る。須臾(しゅゆ)にして忽ち爪際の痛むを覚ゆ。而して兩眼位(い)に帰る。四支起つことを獲る。」
(及天明聞鳥雀繞舍啼。自求全身。終不可得。唯看兩眼脱出在地上。須臾忽覺爪際痛。而兩眼歸位。四支獲起。)

「明け方になって雀の鳴くのを聞いて、気がついたのですが、両方の眼が抜け出て地上に落ちていると感じました。しばらくして爪の生え際が痛いと感じました。両目はもとに戻り、手も足も立つことができるようになりました。

「是の如く三夜。坐起すれば一えに前の如し。」
(如是三夜。坐起一如前。)

「そのようにして三晩坐りました。坐って立とうすると、以前のように立ち上がることでできるようになっていました。

■6.第五夜示衆、白隠禅師に見えて公案を透過、發起勇猛憤志!
「第三日の朝に及んで、面を洗って庭樹を視るに、大いに平日の所見と異なり。甚だ奇異と為す。仍って隣僧に問うも總に弁ぜず。」
(及第三日朝。洗面而視庭樹。大異於平日所見。甚爲奇異。仍問隣僧。總不辨。)

「三日目になって、顔を洗って庭の木を眺めてみると、いつものと大きく異なっていました。これは珍しいことだと思って、近くの和尚さんに聞いても分かってくれませんでした。」

「因って鵠林(こくりん)に見(まみ)えんと欲す。轎(かご)を舁(か)いで、薩埵嶺(さったれい)を踰え、眺かに子浦(こうら)の風景を眺望して、始めて知る、先に得る所は草木國土悉皆成佛底の端的なることを。」
(因欲見鵠林。舁轎踰薩埵嶺。眺望子浦風景。始知先所得草木國土悉皆成佛底端的。)

「そこで白隠禅師にお目にかかろうと駕籠に乗って薩埵峠を越えました。はるかに田子の浦の風景を見ると、今までみたのとは違って見えたのです。今得たところは、経典にある「草も木も国土も皆悉く成仏する」という端的だと気づいたのでした。」

「徑ちに鵠林に見えて、爐鞴に入る。數段の因縁を透過す。」
(徑見鵠林。屢入爐韛。透過數段因縁。)

「白隠禅師にお目にかかり、その室内に入って問答して、いくつかの公案を透過することができたのです。」

「(白隠禅師は)彼は是れ一介の凡夫なり。未だ曾て參學の事を知らず。然るに纔かに兩三夜にして是の如き事を証す。」
(彼是一箇凡夫。未曾知參學事。然纔兩三夜而證如是事。)

「平四郎は、まだ参禅ということも知らない凡夫であるが、わずか三日三晩で、このような悟りの体験を得ることができたのです。」

「唯だ、勇猛一機、妄想と相戰って勝を得たる者なり。汝等何んぞ勇猛の憤志を発起せざるや。」
(唯勇猛一機與妄想相戰得勝者也。汝等何不發起勇猛憤志乎)

「ただ勇猛果敢に修行に挑む志が、妄想と戦って勝ちを得たのだというのです。白隠禅師は、修行僧たちに向かって、あなたがたも奮起しなさいと激励されたのです。」

玄峰老師(『無門関提唱』p.72-73)も『然れども纔に両三夜にして』たつた三晩にして『是の如きの事を証す。唯々勇猛の一機、妄想と戦って勝つ事を得たる者なり』ここなんじゃ。皆こうして坐っておっても妄想かいておる者がある。戦いどころじゃない。妄想に叩きまわされてブラツとしている。わずかに三夜にしてかくのごとく勇猛の一機じや。だから勇猛精進、これがなければいかん。懈怠の者はやはりいつまでも
  あすありと思う心にひかされて
    今日も空しく入合のの鐘
で今日を失う。ただ妄想と戦って勝つのみじゃ」

南嶺老師も「平四郎の話を聞いて奮起しないといけません」という。

確かに7日間のコースで、5日目は一番キツイかもしれない。特に精神的にテンションを作りにくいのだろう。白隠禅師は予めわかってそのように話を組み立てたのか、その時の空気感がそのようにさせたのか、興味深い。

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