管長日記「禅を感じる」解釈20241125

このようなイベントの話は、臨済会の会報みたいなものに記事が載るのだろう。この場合、檀信徒しかそれを知ることはないだろう。この日記のお陰で、人に知られる機会が増えたと思う。尤も、日記を聞いているのが檀信徒ばかりならあまり意味は無いが、そんなこともないだろう。

構成:
1.今回の「禅をきく講演会」
2.松竹老師講演「僧堂の修行について」
3.寸劇
4.大般若法要
5.管長がたのご挨拶の事

考えてみると、管長の一人、自ら日記とはいえ広報しているようなところがあるのかもしれない。
専門用語は勿論多いのだが、平易で自然な語りであるものの、丁度良いくらいのイベントの工夫、禅らしさが入っていて、このような感覚はなかなかできるようなものではないと思う。

■1.今回の「禅をきく講演会」

臨済会「禅をきく講演会」に参加。
今回で第六十一回、臨済会の創立七十五周年記念企画である。
「例年ですと、臨済宗の老師様の講演と、もうひとかた在家の方の講演とが行われているものです。私も、一度講演させてもらったことがありました。」

今回、講演は臨済会会長の松竹寛山老師のご講演、臨済会の和尚方による「寸劇 僧堂の一日」、大般若法要。

■2.松竹老師講演「僧堂の修行について」
松竹寛山老師は、埼玉県の妙心寺派平林寺の住職。現在、臨済会会長。本日記常連。

「老師は昭和六十一年の秋に平林寺の僧堂にお入りになり、私は昭和六十二年の春に僧堂に入りましたので、ほぼ同期なのであります。
最近は、松竹老師が禅文化研究所の理事長であり、私が所長なので、毎月一緒に禅文化研究所の仕事をさせてもらっています。
松竹老師の実直なお人柄にはいつも尊敬申し上げているのであります。今回のご講演も、老師のお人柄がにじみ出ているお話でありました。」

「老師は、修行道場、僧堂とはどういうところなのか、そのあらましをお話になったあとに、ご自身の体験を静かに語ってくださいました。」

「老師は長崎のお生まれで、吃音に悩まれていたそうなのです。その吃音を治すために、腹式呼吸や音読や、メンタルトレーニングなどあらゆる方法を試されたそうです。しかし、そのどれもが効果がなく、意識しすぎてますます悪循環に陥っていたと仰いました。そして何もかもがいやになった頃に、坐禅に出会ったのでした。
『今思えば、なにをやってもうまくゆかなった日々も意味があると感じる』と。」

坐禅修行の実際の話

「しっかり坐禅して禅定が熟してくると、「しっとり、ゆったり、どっしり」とした雰囲気が出ると仰いました。そんな禅定の姿が大事なのだというのです。
そして禅定から出る機転、気働きが智慧なのだと解説してくださいました。禅定から智慧が出てくるのです。
老師のところでは、禅定を練るために、第一にお経の声を鍛え、それから第二に合掌叉手低頭という基本動作の修練、そして第三に坐禅で姿勢と呼吸を調えることを説かれています。」
ここのところは重要。

合掌、叉手、低頭では、実際に会場で実習。一、二、三と声をかけながら丁寧に両手を合わせ、頭をさげ、そして叉手と。
そしてイスで坐禅。
白隠禅師の内観の法、気海丹田腰脚足心と声に出して実際にお腹、腰、足と足の裏を意識してゆく。まずそれぞれを手でさすってみる。お腹をさすり、腰やお尻のあたりをさすり、そして太もも、すね、ふくらはぎをさすり、最後の足の裏は、床に足の裏をこする。このように体を実際に自分でさすって意識を得る。

「そうして老師の先導で、「ムー」と声に出しながら坐ったのでした。お話も聞けて、基本動作も習えて、更に坐禅、内観の実習もできたのです。これが三十分の中に入っているのですから、老師はご準備にかなり工夫を費やされたと感じ入りました。」

■3.寸劇

「僧堂の一日を若手の和尚様方がとても上手に再現してくれていました。
普段は裏方ではたらいてくださっている和尚様方が、こうして舞台で活躍されるのを拝見するのはうれしいものです。
みていますと、私の円覚寺の修行道場で修行した者も三名参加してくださっていまいた。
三人をみていると、まるで我が子の演劇をみている親のような気持ちでありました。」

言いすぎのような気もするが、とはいえ組織や会社といった感じでもないのだろう。

「劇の解説が誰かのナレーションによるのではなく、興慶寺の和尚と月洲寺の和尚が僧堂の暮らしを振り返る形で語り合ってくれていました。」

■4.大般若法要

老師は大般若の法要に参列。

「大般若法要とは、 唐代の玄奘三蔵が訳出した『大般若波羅蜜多経』という全600巻の経典を転読という独特の方法で厳修します。
その儀式は経本を古式に依って繰り出し「降伏一切大魔最勝成就」と全身全霊をかけて声を出し、魔除けと共に、『大般若波羅蜜多経』の教えである 『空』 の教えを全身で顕す御祈祷です。
また五穀豊穣や国家安寧、衆生の幸せをひたすらに御祈祷致します。
臨済宗の法要の中で、 特に迫力があり、普段穏やかな僧侶が真剣かつ、 裂帛の気合を込めて行じる姿をご覧いただきます。」

「その法要の大導師は、臨済会顧問であり、建長寺派管長である吉田正道老師でありました。それに随喜しましたのは、向嶽寺派管長の宮本大峰老師と建長寺専門道場師家の酒井泰玄老師と会長である平林寺の松竹老師、それに私とであります。
各派の管長、僧堂師家が出頭するものです。それに臨済会の和尚様方が出頭されました。」
隨喜ということばは、このように使うのか。なるほど。

■5.管長がたのご挨拶の事

建長寺派管長 吉田正道(導師)
向嶽寺派管長 宮本大峰
建長寺専門道場師家 酒井泰玄
臨済会会長妙心寺派平林寺住職 松竹寛山
円覚寺派管長 横田南嶺

吉田正道老師は、検索すると結構記事があるのに驚く。
酒井泰玄老師は、管長日記「第1228回「警策・考」2024/5/18」で、警策を利用する側のコメントが入っていた。他坐禅指導の記事がやたらと多い。建長寺の師家さんといった感じだろう。

向嶽寺派は山梨県にある。宮本大峰老師のことは、ウェブで拾った。
【宮本大峰老大師】
昭和11年10月、富山県高岡市に生まれる。23歳の時曹洞宗にて得度。昭和36年永平寺本山僧堂に掛塔。その後、臨済宗正眼僧堂を経て国泰僧堂の稲葉心田老師に参じ47年八王子市の広園僧堂に掛塔、三浦一舟老師、京都南禅寺僧堂、勝平宗徹老師に参じる。そして再び八王子市の広園僧堂に転錫し丹羽文圭老師に嗣法。平成元年5月、向嶽寺派管長・僧堂師家に就任。平成25年より広園僧堂も兼任。瑞松軒と号す。

吉田老師のお話の事
「普段ですと仏さまに向かって祈祷し、みなさんに背を向けて法要を勤めますが、今回はなんと舞台の上で、みなさんに向かって法要を行ったのでした。
終わった後に、吉田老師は、ご自身、みんなに向かってお経をあげたのは初めてだと仰っていました。
そしてこれは皆さんが仏であることを表しているのだとお話くださっていました。
銘々一人一人が仏である、そのことを自覚出来れば右往左往、迷うことはないのだと、禅の真髄を説いてくださいました。」

老師は「そのお言葉にも感動しました」と。このとき、老師は舞台の方にいたと思うのだが、そのように見えていたのだろう。老師がよく、和歌山興国寺の目黒絶海老師が、提唱を始める時に、皆さんはみな仏様と拝んだ、といっていたことを思い出す。

老師方それぞれひとこと、南嶺老師は皆さんと一緒に学べたことの感謝だけを伝えたと。

「いつもは「禅をきく講演会」ですが、今回は実にからだで禅を感じる会になったと思ったのでした。」

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