管長日記「よくはたらく」解釈20241019

10月13日(日)の老師の1日の話。日曜説教についてとりあげる。そのテーマは死。禅というとメンタルや哲学的なことを連想してしまうところがあるのだが、そもそもの問題として心の問題であり、その最たるものが死に関する。
また日曜説教の後で、白駒妃登美先生ご一行と歓談したとある。無學祖元、「怨親平等」とこちらはお寺の紹介のためか、円覚寺固有と思える話。
お天気の話に始まって、一日の出来事を並べる、まさに日記の書き方である。
朝から晩までよく働いた、ということである。

なお、昨日の管長日記は、11日(金)の話題であった。翌日12日はZen2.0の1日目で講演されたと思う。この話は飛ばしたみたいだが、日記で書ききれないのだろう。

構成
1.10月13日に日曜説教開催、季節の事、日曜説教の開始前の出来事(修行道場布薩、来客)
2.日曜説教に集まってきてくれた人々のこと
3.白駒妃登美先生ご一行30名ほどとの歓談
4.午後のZen2.0の英語セミナー

■2.日曜説教に集まってきてくれた人々のこと
「こんなに大勢の方が集まってくださるのは、コロナ禍以来初めてだと思いました」と。サムネイルの写真だと思う。動画でも見たが、確かに混んでいた。
「この頃は、わざわざ円覚寺までお越しいただかなくても、YouTubeでご自宅でも聞くことの出来る時代なのですが、やはりこのお寺という環境がよろしいのだと思います」というが、老師に会いたいとか、生で見たい、といったことだと思う。

「いろんな思いを持っておられるのです。人それぞれ、生まれも育ちも顔も姿も、考え方も異なりますが、ただひとつ共通していることは、死であります。~十月の日曜説教では、死をみつめて生きるというテーマでお話しました」という通りで、定期的(年に1回)に死について法話をされる。またテーマとしなくても、法要やお彼岸、また日本中世の話や明治以降の文化人、特に西田幾多郎や坂村真民の話でも関連する。老師の話の基調は、感情をベースとして、短い言葉を引用する。
禅では、「無」とか「仏心」に落とし込むことが多いと思うが、朝比奈宗源老師のことばは誰にもわかりやすく、感動的なのでよく引用するみたいだ。朝比奈宗源老師はよく「海」という言葉をつかうが、このあたり、どうも浄土真宗、親鸞の感覚が入る。

「わき目をふらず 華をつみ集むる かかる人をば 死はともない去る まこと 睡りにおちたる 村をおし漂(なが)す 暴流(おおみず)のごとく」(法句経四七)

「虚空(そら)にあるも 海にあるも はた 山間(やまはざ)の窟(あな)に入るも およそ この世に 死の力の およびえぬところはあらず」(法句経一二八)

「生は寄なり、死は帰なり」『淮南子』(生寄死帰(せいきしき))
「人は天地の本源から生まれて暫くこの仮の世に身を寄せるに過ぎないが、死はこの仮の世を去ってもとの本源に帰ることである」『広辞苑』

「私たちは仏心という広い心の海に浮かぶ泡の如き存在である。生まれたからといって仏心の大海は増えず、死んだからといって、仏心の大海は減らず。私どもは皆仏心の一滴である。一滴の水を離れて大海はなく、幻の如きはかない命がそのまま永劫不滅の仏心の大生命である。人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引き取る。生まれる前も仏心、生きている間も仏心、死んでからも仏心、仏心とは一秒時も離れていない。」朝比奈宗源老師

■3.白駒妃登美先生ご一行30名ほどとの歓談
「法話を終えたあとは引き続き、白駒妃登美先生のご一行と歓談させてもらいました。
白駒先生にはかつて円覚寺の夏期講座でご講演いただいたこともあります。
白駒先生の『誰も知らない偉人伝』という角川文庫の本には、私が巻末に解説を書かせてもらったこともあります。
三十名ほどの方々としばし懇談させてもらいました。
話題がないと困るかと思って、円覚寺の開山無学祖元禅師の漢詩をいくつか資料として用意しておきました。」

・「怨親平等」について
「戦場などで死んだ敵味方の死者の霊を供養し、恩讐(おんしゅう)を越えて平等に極楽往生させること。」岩波書店の『仏教辞典』

「死者への慈悲に加えて、死霊の御霊(ごりょう)化を恐れ、念仏による慰霊をはかったものと解されている。
さらに文永・弘安の役の蒙古軍撃退ののちに敵味方の霊を弔ったことは、民族や国の対立を超えることを意味し、島原の乱のあとで敵(切支丹(きりしたん))味方の霊を弔ったのは、宗教の相違をも超えることをめざしていたわけである。」岩波『仏教辞典』

「戦争についての日本の伝統的精神は、戦後には敵味方すべての冥福を祈るということであった。これを「怨親平等」(おんしんびょうどう)という。」
「武士は戦場では斬り合いをする。命のやりとりで、逡巡は許されない。しかし戦が終ると、一切の怨みを忘れて敵を弔う。二人の武士が向い会って果たし合いをしたときに、勝者は敗者の屍骸に合掌して立ち去るのが常であった。戦争のあとでも同様であった。武将は味方の将士の亡魂を弔ったばかりでなく、敵軍の将士の冥福をも祈っている。「怨親平等」の精神によるのである。
生きて、敵味方に分れて戦っているときには対立があるが、死んでしまえば対立を超えるのである。元寇のあとの法要では、わが軍の将士の霊を弔うのみならず、元軍の将士の霊の冥福を祈っている。島原の乱のあとでは、殺された切支丹側の人々の冥福をさえも念じて、怨親平等の法要が行われている。
われわれの祖先は、国と国との対立を超え、異なった宗教の間の相克を超えて、敵味方の冥福を祈ったのである。」
中村元「靖国問題と宗教」(ジュリスト一九八五・一一・一〇)

この「元寇のあとの法要では、わが軍の将士の霊を弔うのみならず、元軍の将士の霊の冥福を祈った」のが円覚寺、とうことで北条時宗、無學祖元の名前がでるのだが、昔の花園大学で夢窓国師に関する講演があった。(花園大学公開講座 「禅とこころ」 花園大学 総長 横田 南嶺 2019年10月8日(火))

■4.午後のZen2.0の英語セミナー
午後からはZen2,0の企画、外国の方々の為の英語のセミナー
会の始まりは工藤煉山さんの尺八演奏、老師のイス坐禅指導、長年の円覚寺通のベンジャミンさん及び会場参加者とのパネルディスカッション、独園寺の藤尾聡允和尚による「動禅」指導と写経、としっかりしたイベントだった樣子。

■白駒妃登美(しらこま ひとみ)
「株式会社 ことほぎ」の代表。ホームページに紹介があった。
https://kotohogi2672.com/profile/

1964年、埼玉県生まれ。福岡市在住。
幼い頃より歴史や伝記の本を読み、登場人物を友だちのように感じながら育った。福沢諭吉に憧れ、慶應義塾大学に進学。
卒業後、日本航空の国際線CAとして7年半勤務。1992年には、宮澤喜一首相訪欧特別便に乗務。
その後、企業の接遇研修講師、結婚コンサルタントとして活躍。

などと書かれる。

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