訓読比較 無門関 一 趙州狗子
趙州狗子
趙州和尚因僧問。狗子還有佛性。也無。州云無。
無門曰。參禪須透祖師關。妙悟要窮心路絕。祖關不透。心路不絕。盡是依草附木精靈。且道。如何是祖師關。只者一箇無字。乃宗門一關也。遂目之曰禪宗無門關。透得過者。非但親見趙州。便可與歷代祖師。把手共行。眉毛廝結。同一眼見。同一耳聞。豈不慶快。莫有要透關底。麼將三百六十骨節八萬四千毫竅。通身起箇疑團。參箇無字。晝夜提撕。莫作虛無會。莫作有無會。如吞了箇熱鐵丸。相似吐又吐不出。蕩盡從前惡知惡覺。久久純熟。自然內外打成。一片如啞子得夢。只許自知。驀然打發。驚天動地。如奪得關將軍大刀入手。逢佛殺佛。逢祖殺祖。於生死岸頭得大自在。向六道四生中。遊戲三昧。且作麼生提撕。盡平生氣力。舉箇無字。若不間斷好。似法燭一點便著。
頌曰。
狗子佛性 全提正令 纔涉有無
喪身失命
西村『無門関』岩波1994
無門関 一
趙州(じょうしゅう)の狗子(くす)
趙州和尚、因みに僧問う、「狗子、還た佛性有り也無(や)」。州云く、「無」。
無門曰く、「參禪は須らく祖師の關を透るべし。妙悟は心路を窮めて絕せんことを要す。祖關透らず、心路絕せずんば、盡く是れ依草附木(えそうふぼく)の精靈ならん。且らく道え、如何が是れ祖師の關。只だ者(こ)の一箇の無字、乃ち宗門の一關なり(也)。遂に之を目(なず)けて禪宗無門關と曰う。透得過(か)する者は、但だ親しく趙州に見(まみ)えるのみに非ず、便ち歷代の祖師と手を把って共に行き、眉毛(びもう)廝(あ)い結んで同一眼(げん)に見、同一耳(に)に聞く可し。豈に慶快ならざらんや。透關を要する底有ること莫しや(麼)。三百六十の骨節、八萬四千の毫竅(ごうきょう)を將って、通身に箇の疑團を起こして箇の無の字に參ぜよ。晝(昼)夜提撕(ていぜい)して、虛無の會を作すこと莫かれ、有無の會を作すこと莫かれ。箇の熱鐵丸(ねつてんがん)を吞了(どんりょう)するが如くに相い似て、吐けども又た吐き出せず。從前の惡知惡覺を蕩盡(とうじん)して、久久に純熟して自然に內外(ないげ)打成一片ならば、啞子(あし)の夢を得るが如く、只だ自知することを許す。驀然(まくねん)として打發せば、天を驚かし地を動ぜん。關將軍の大刀を奪い得て手に入るるが如く、佛に逢うては佛を殺し。祖に逢うては祖を殺し、生死岸頭(しょうじがんとう)に於いて大自在を得、六道四生(ろくどうししょう)の中に向って遊戲三昧(ゆげざんまい)ならん。且らく作麼生か提撕せん。平生の氣力を盡くして、箇の無の字を舉(こ)せよ。若し間斷(けんだん)せずんば、好だ法燭の一點すれば便ち著くに似ん」。
頌に曰く、
狗子佛性、全提正令(ぜんていしょうれい)。
纔(わずか)に有無に涉(わた)れば、喪身失命せん。
秋月『禅宗語録漢文の読み方』春秋社1993
趙州の無字
趙州和尚、僧の「狗子にも還た佛性あ(有)りや(也無)」と問うに因って、州云く「無」。
無門曰く・・
參禪は須らく祖師の關を透べし、妙悟は心路の絕することを窮めんことを要す。祖關透らず、心路絕せずば、盡く是れ依草附木(えそうふぼく)の精靈ならん。且く道え、如何なるか是れ祖師の關。只だ者の一箇の「無」の字、乃ち宗門の一關なり(也)。遂に之を目(なづ)けて「禪宗無門關」と曰う。透得過する者は、但だに親しく趙州に見ゆるのみにあら(非)ず、便ち歷代の祖師と(與)手を把って共に行き、眉毛廝(あい)結んで、同一眼(げん)に見、同一耳(に)に聞くべ(可)し。豈に慶快ならざ(不)らんや。
透關せんと要する底(もの)あ(有)ること莫しや(麼)。三百六十の骨節、八萬四千の毫竅(ごうきょう)を將t、通身に箇の疑團を起こして、箇の「無」の字に參じ、晝夜に提撕せよ。虛無の會を作すこと莫かれ、有無の會を作すこと莫かれ。箇の熱鐵丸を吞了するが如くに相似て、吐けども又た吐き出さず、從前の惡知惡覺を蕩盡し、久久に純熟して、自然に內外打成一片なり。啞子の夢を得るが如く、只だ自知することを許す。驀然として打發せば、天を驚かし地を動じて、關將軍の大刀を奪い得て手に入るるが如く、佛に逢うては佛を殺し、祖に逢うては祖を殺し、生死岸頭に於いて大自在を得、六道四生の中に向いて、遊戲三昧ならん。
且ぃ作麼生か提撕せん。平生の氣力を盡くして、箇の「無」の字を舉せよ。若し間斷せずんば、好(はなは)だ法燭の一點すれば便ち著くに似ん。
頌に曰く・・
狗子佛性(くしぶっしょう)、
全提正令(しょうれい)。
纔に有無に涉るや、
喪身失命せん。