本覺思想の形成(3)

草木成仏論は、そもそもインドでは六道輪廻は衆生にのみ悟りがあるとされて、問題にもならなかった。

草木成仏論は中国に仏教が入ってからであって、三論宗の吉藏(549-623)『大乗玄論』と推定される。その後、華厳・天台・禅で広く草木成仏論が解かれ、唐代で広まる。日本に影響が大きかったのは天台六祖の湛然(711-782)『金剛錍』とされる。

論拠は衆生と草木の関連性、「空」からみた両者の同質性にある。衆生の活動とその環境、つまり草木との依正不二の考え方、また三界唯心によれば外界もまた衆生の心であり切り分けられないのである。その衆生と草木の平等性にある。

日本はそれを受け入れ、さらに『草木発心修行成仏記』のような発展を見せる。それは草木の個々のあり方が悟りを実現している、という見方である。この「あるがままのこの具体的な現象世界をそのまま悟りの世界として肯定する」思想は日本の天台宗で大いに発展し、仏教界、文学などに大きな影響を及ぼした。それが本覚思想である。

もともと本覚門、本覚法門という言葉はあったが、本覚思想は島地大等(1875-1927)によって用いられたとされる。最近(1990頃)には『天台本覚論』、『天台本覚思想概説』によって普及したとされる。「本覚」という言葉自体は、『大乗起信論』に始まるものであった。

仏教思想の最も重要な概念に無常、諸行無常があり、縁起が論拠を論拠とする。永遠に存在する実体は無いということであり、大乗仏教では「空」の原理でもある。たとえ悟りを開いたとしても、真理だけが「存在」する世界に在るということではない。現象世界にあって縁起を正しく認識することが悟りなのである。これ自体は、原始仏教であろうと、本覚思想であろうと、異なるテーマではない。

大乗仏教においては、空・真如・諸法實相といって、実体性を否定しつつも、現象世界において体得される対象となったのである。(要は、自分の苦しみから開放されればよい、という話ではなくなってしまった。)生死即涅槃、煩悩即菩提というのは、現象世界を肯定するために、対立だけで捉えられなくなったことを意味する。

参考:末木文美士、日本仏教史、新潮文庫、1996

いいなと思ったら応援しよう!