師の曰、不生の佛心でござれ。
八 ある人問て曰、それがしもずいぶんと存て、修行仕り進で退かず存たれども、どふでもしりぞく方がつよふござりまして、退屈仕りまするが、是はいかが致したらば退かぬ様に成りませうぞといふ。
師の曰、不生の佛心でござれ。不生の佛心で居れば、すすむ事もなくしりぞく事も入ませぬわひの。不生で居ますれば、すすまふとしまするが、はや不生な場を退くといふものでござるわひの。不生の人は進退にはあづかりませぬわひの。常に進退を超て居まする事じゃわひの。
(鈴木大拙編校『盤珪禅師語録』「盤珪佛智弘濟禪師御示聞書 上」岩波文庫p.20)
みな人の悟と思うさとりこそ、繪にかく餅をかきや爭ふ
(鈴木大拙編校『盤珪禅師語録』「和歌」岩波文庫p.180)