管長日記「姿勢は姿と勢い」解釈20241118
「必然性が感じられないのに、ただ方法論だけでは伝わらないのです」、「よし、やるぞという気迫、立ち向かうという気力が原動力」という姿勢に関する話。坐禅への取り組み、というか坐禅中の、まさに坐禅の態度といったことだが、なんだか生きることも感じさせてくれる話であった。
構成:
1.導入「興味をもって向かってゆく」
2.現代只管打坐の、宮城教育大学の学長であった林竹二先生の話
3.奘堂さんの、中村天風先生と合気道の藤平光一先生の話
4.奘堂さんの、土田國保さんの話
5.藤平光一『中村天風と植芝盛平 氣の確立』にある話
引用で話を構成しているが、現代、昭和の頃だと思うが、坐禅と精神のことが語られる。
伝わる、というのはとても難しい話で、言葉では原理的には不可能なのだろう。禅でも、そもそも「不立文字」、「直指人心」であって、神通力である。
道元『正法眼藏』「神通」にある潙山禅師の話。
大潙禪師ハ。釋迦如來ヨリ。直下三十七世ノ祖ナリ。百丈大智ノ嗣法ナリ。イマノ佛祖。オホク十方ニ出興セル。大潙ノ遠孫 画像ニアラサル。スナハチ大潙ノ遠孫ナリ。
大潙アルトキ臥セルニ。仰山來參ス。大潙スナハチ轉シテ面ヲ向テ壁ニ臥ス。仰山イハク。慧寂コレ和尚ノ弟子ナリ。形迹モチヰサレ。大潙オクル勢ヲナス。仰山スナハチ。イツルニ。大潙召シテ寂子トメス。仰山カヘル。大潙ハク。老僧ユメヲトカンヲキクヘシ。仰山カウベヲタレテ聽勢ヲナス。大潙イハク。ワカタメニ原夢セヨ。ミン。仰山一盆ノ水。一條ノ手巾ヲ。トリテキタル。大潙ツヒニ洗面ス。洗面シヲハリテ。ワツカニ坐スルニ。香嚴キタル。大潙イハク。ワレ適來寂子ト一上ノ神通ヲナス。不ル同ラ小小ニナリ。香嚴イハク。智閑下面ニアリテ。了了ニ得知ス。大潙*イハク。子。38ココロミニ道取スヘシ。香嚴スナハチ一盌ノ茶ヲ點來ス。大潙ホメテイハク。二子ノ神通智慧。ハルカニ鶖子目連ヨリモスクレタリ。
■1.導入「興味をもって向かってゆく」
「赤ん坊がハイハイして進むときには、何か目に触れたものに興味をもって向かってゆくという必然性があります。腰を立てるにしても、ただどっこいしょで腰を立てるのではなく、何か大切なものをいただくのだと思って、手を差し伸べながら腰を立てるのです。」(佐々木奘堂さん)
■2.現代只管打坐の、宮城教育大学の学長であった林竹二先生の話
かつて宮城教育大学の学長であった林竹二先生が神戸の長田区にある定時制の湊川高校で行った授業(『現代只管打坐講義』「一九七七年二月に行われた「人間について」)
「一番前の席でほおづえをついて上半身を机にあずけて「こいつ何をする気やねん?」という顔つきで林先生をぼんやり見あげているのでした。
これではとても良い姿勢になりません。
その少年は、「いつも授業中は不断のおしゃべりと不規則な行動(五分から十五分間隔で授業から抜け出す)で教師たちを翻弄しているという」のだそうです。
それが五月の「開国」の授業の時には、かれの背筋はしゃんと伸びて腰が立ち、「先生と二時間まともに向き合っていた」と記されています。
一照さん「わたしが問題にしたいのは、この青年の姿勢の変化が、誰かにそうするように言われたからではなく、先生の言っていることをちゃんと聞こう、しっかり受けとめたい、深く学びたいという本人自身の内なる促しによって自発的に起きた自然な変化だったということだ。」
林先生は「まるごと変わるーそれはふかいところで何かが解きはなたれて、一つの持続する自己運動がはじまることで、外から加わる力で変わってゆくのではない。自分の中から次々と新しい自分を生み出して変わっていくのだ」」
老子は「話を聞こうという気持ちが、姿を変えてゆくのです。そこには必然性からなる勢いがあります。全身がそちらに向いてゆくのです。坐った姿勢から大事な何かをいただくのだと手を伸ばして腰を持ち上げようとするところに腰が立ってゆくのです。たんなる反復練習をしてできるものとは質の違うものがあります」と坐禅の話に焦点を戻す。
■3.奘堂さんの、中村天風先生と合気道の藤平光一先生の話
「天風先生は、インドでヨガを習得して、クンバハカという技法を教えておられました。肛門を締める、肩をおとす、腹に力を入れる、という三つからなるものです。」
「これを普段から意識しておくと、どんな困難な状況でも動揺しなくなる、不動の心と身体が得られる。」
■4.奘堂さんの、土田國保さんの話
「土田さんは、警視総監や防衛大学校長を勤められた方です。警視庁警務部長時代の1971年(昭和46年)12月に、お歳暮の贈答品に擬装された爆弾が自宅に郵送されました。この爆発により土田さんの奥様はお亡くなりになったのでした。ご子息も重傷を負われました。」
そのころ、「そんな怒りや悲しみの中でも、土田さんは、お尻の穴を締めて、肩の力を抜いて、へその下に力を込めて対処されていた」という話です。
土田さんが防衛大学校の校長の折りに、学生さん達に訓示していたときの学生が、宮城県知事となった村井さんだった。
■5.藤平光一『中村天風と植芝盛平 氣の確立』にある話
「(村井さんの禅、呼吸には)そのように天風先生の教えが生きているといえるのですが、藤平先生は、その方法は間違っていると指摘されたというのです。」
藤平先生「私はある時天風先生に、クンバハカのような、あんな呼吸法はダメですよと言ったことがある」、というが、前後の話の流れもあるが、ちょっと強めの言葉。
老子は「天風先生は、インドでヨガを習ってご自身では不動の心と身体を体得されていたのだと思いますが、言葉にして教えようとすると、十分には伝わらないということかと、私は受け止めていました」と。
「自分が体得したことを言葉で表現して人に伝えようとしても無理があるのです。その言葉を聞いて稽古してみようとしても天風先生のようにはなかなかなれないのです。」
「この辺がとても難しい問題です」として「気を丹田に充たしめると言葉にして伝えようとすると、伝える側は、丹田に気が満ちた状態になっていても、言葉を聞いてならっている方は、無理に力んで腹筋に力をいれているだけであったりします。このあたりが伝えることの難しさです」と、丹田の話を出す。
丹田ほど難しい話は無い。丹田という物は無い。筋肉の結節点、もしくは仙骨と股関節のバランスする位置とか、呼吸を腹のところに落とす位置とかだろうが、どうもイメージで与えられるもので、位置とかその領域とかいったものだろう。
大体は、腰を立てるときに意識する腹の位置。
「そこに必然性が感じられないのに、ただ方法論だけでは伝わらないのです。よし、やるぞという気迫、立ち向かうという気力が原動力なのであります。姿勢はまさに姿と勢いなのであります。」
これは、腰を立てる、という坐禅の姿勢を作ることをいっているのだろう。しかし、呼吸のこととか、困難に向かうときの心身の構成の一般でもあるだろう。