又一日云、身どもも若い時分にには
鈴木大拙編校『盤珪禅師語録』岩波文庫p.88
盤珪佛智弘濟禪師御示聞書 下 三二
又一日云、身どもも若い時分にには、ひたと問答商量をしても見ましたが、しかしながら、日本人に似合たやうに、平話で道を問がよふござる。日本人は漢語につたなふでござつて、漢語の問答では、思ふやうに道がつくされぬ者でござる。平話で問ばどのやうにも、問れぬといふ事はござらぬ。すれば問にくひ漢語で、精はつて問まばらふより、問やすひ辞で精はらず、自由に問たがよふござる。それも又漢語で問わねば道成就せぬと云ば、漢語で問ふがよふござれども、日本の平話で結句よふ自由に問れて相すむに、問にくひ語で問ふは、下手な事でござる。した程に皆そふ心得て、いかやうなことでござらふとままよ、遠慮せず、自由な平話で問ふて、埒明さつしやれい。埒さへ明ば心やすひ平話程、重實な事でござらぬか。