本覺思想の形成(1)
比叡山の天台宗で院政期頃(1100年頃)にはじまり、中世に発展した特徴的な思想を本覚思想という。「本覚」というのは、もともと『大乗起信論』に見える語で、衆生に内在する悟りの本性を意味する。仏性、如来蔵と類似するが、不覚から悟っていく始覚もある点が特徴である。
院政期以前に、如来蔵思想や仏性思想というインド大乗仏教の中期に主張される思想を、日本では最澄が南部法相宗の五性各別思想に対抗して主張し、源信僧都も如来蔵思想に依る。院政期になると「仏性」にかわって「本覚」という語が多用されるようになり、そこで内容も変わってしまった。「本覚」が単なる内在的な可能性ではなく、現実に悟りを開いている、ちう意味に転化しているのである。つまり、悟りは求める対象ではなく、衆生のありのままの現実がそのまま悟りの現れである、という。よって悟りを求めて修行する必要はなく、修行による悟りを求める立場は始覚門とよばれ、低い立場とされる。
衆生のあるがままを肯定することは「法爾自然」や「草木成仏説」と関係する。天台本覚論を述べる『三十四箇事書』(源信?皇覚?)には次のように書かれているという。
一家の意,依正不二の故に,草木成仏の事,疑いなし。ただし,異議無尽なり。常の義のごとし,云々。今の意は,実に草木不成仏と習ふ事,深義なり。所以はいかん。草木は依報,衆生は正報なり。依報は依報ながら,十界の徳を施し,正法(ママ)は正報ながら,正報の徳を施す。もし草木成仏せば,依報減じて,三千世間の器世間に減少あらん。故に,草木成仏は巧に似るとも,返つて浅に似たり。余も,これに例す。地獄の成仏,餓鬼の成仏,乃至菩薩の成仏,皆しかりなり。その体を捨てずして己心所具の法を施設
する故に,法界に施すなり。もし,当体を改めば,ただ仏界なり。常住の十界全く改むるなく,草木も常住なり,衆生も常住なり,五陰も常住なり。よくよく,これを思ふべし。
大乗仏教にはもともと「煩惱即菩提」や「生死即涅槃」という考えがあるが、本覺思想はそれらを最も極端にしたものだろう。自然のままを尊ぶ考えは日本人に好まれたようであり、文学、芸術や各思想に影響を及ぼした。現在でも却って自然を尊ぶのであり、普遍的な思想だろう。
他方で、修行は不要、凡夫は凡夫のままでよい、というのは安易な現実肯定に陥る、仏教的に危険な思想であった。最澄『末法灯明記』はそのような本覚思想の解釈を反映したと見られ、乱れた教団の現状に肯定的であるが、鎌倉時代の新仏経は、本覚思想を踏まえて、態度を批判する形で展開した。
参考:
末木文美士、日本仏教史、新潮文庫、1996
菅原謙、「本覚思想」および「如来蔵思想」の史的展開、情報と社会 (21), 307-319, 2011-03-11、江戸川大学