管長日記「大詩人を想う」解釈20241127

谷川俊太郎(1931-2024)、つい先ごろ11月13日にお亡くなりになった詩人。イベントがいそがしく、日記のストックも多いのか、今日の話題になった。ただ、少し落ち着いてきたたいみんぐかもしれない。

wikipediaを参照する。
谷川 俊太郎は、日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。東京府(現:東京都)出身。東京都立豊多摩高等学校を卒業。愛称は「タニシュン」。
哲学者で法政大学総長の谷川徹三を父、衆議院議員の長田桃蔵の娘である多喜子を母として、東京府豊多摩郡杉並町(現:東京都杉並区)に生まれ育つ。元愛知県常滑市長の庭瀬健太郎は従弟である[3][4]。
1950年には、父の知人であった三好達治の紹介によって『文学界』に「ネロ他五編」が掲載される。1952年には処女詩集『二十億光年の孤独』を刊行する。 まもなく、詩作と並行して歌の作詞、脚本やエッセイの執筆、評論活動などを行うようになる。 また、石原慎太郎、江藤淳、大江健三郎、寺山修司、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保に反対した。
1962年に「月火水木金土日のうた」で第4回日本レコード大賞作詞賞を受賞した。
1964年からは映画製作(記録映画「東京オリンピック」の製作に脚本家として)に、1965年からは絵本の世界に進出した。映画においては、自ら“市川崑監督の弟子”と称して、もっぱら同監督の作品の脚本を手がけた。1973年の『股旅』などは特に評価が高い。1978年の『火の鳥』も、映画自体は遊びが過ぎて酷評されたものの、脚本(キネマ旬報に掲載)は、手塚治虫による原作に忠実で詩人としての本領を発揮した雄渾な作品である。
詩人を生業とすることを自負し、日本ビジュアル著作権協会の会員として、著作権擁護に熱心に取り組んでいる。
1日1食を実践し、夜はセブンイレブンの玄米ご飯のレトルトパックを中心とした食事をする毎日。

構成:
1.谷川俊太郎さんとの出会いのこと
2.『二十億光年の孤独』
3.出会いについて、坂村真民の詩
4.谷川俊太郎さんの詩
5.おくやみ

今日の話、目的はお悔やみなのだが、内容的には法話のようでもあり、詩の本質といったことなのだろう。

■1.谷川俊太郎さんとの出会いのこと
「谷川俊太郎さんというと、日本を代表する詩人であります。私なども中学高校の頃から、その詩を学んだものです。後に自分がそんな詩人に直接会うことになろうとは夢にも思ってはいませんでした。自分などとは全く別世界の方だと思っていたのでした。」
そうかもしれない。文学系であるが、有名過ぎるといったことでもないとも思うが、芸能界の人といった印象もある。とはいえ、芸能関係の人が僧侶になることもありはする。
文學と仏教を分けるところは何かと考えてみるとおもしろいかもしれない。

「現代詩というと、鮎川信夫、田村隆一という名を思います。谷川俊太郎さんも、大岡信さんと共に現代詩を代表する方でありました。」

■2.『二十億光年の孤独』
「『二十億光年の孤独』というのを読んだ記憶があります。しかし、この詩集は、谷川俊太郎さんがまだまだ二十一歳の時、1952年に出版されたものです。私などが生まれる前の詩集であります。
「二十億光年の孤独に僕は思わずくしゃみをした」
という言葉が印象に残っています。印象に残っていますが、自分などはとても想像もできない世界だと思ったのでありました。私には現代詩という世界はとても分かるものではないと思って過ごしてきました。」

「『二十億光年の孤独』とは、1952年6月に刊行された谷川俊太郎の処女詩集。タイトルは収録された同名の作品からとられている」とwikiにある。

合唱曲としてネット上で見た。最後のところが次であった。

人類はちいさな 球のうえで
二十億光年の 孤独に
僕はおもわず くしゃみを した
ネリリし キルルし ハララしているか

「広漠たる宇宙の中の地球という小天体の上で、生きている人類の孤独の姿を、清潔で無造作な心でうたった詩集」と老師だが、もう現代でもないような気もする。

■3.出会いについて、坂村真民の詩
「それが、高校生の頃に、松原泰道先生とのご縁から、坂村真民先生の詩を知ることになりました。

二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでいこう

というように、真民先生の詩は、とても平易でわかりやすく、言葉も美しく、私はこの真民先生の詩に親しむようになっていったのでした。
またこんな真民先生の詩をもとにして松原泰道先生が法話なされたのもとても新鮮でありました。」

松原泰道老師といえば、私は『般若心経入門』が出てくる。綿たる、精神、生き方、人情といったことを、仏教として平易に書いていたように思う。一気に読んだ。禅の老師あるあるだが、仏教に博識で、説明好きなようだ。Youtubeで法話も聞けるが、明るい印象がある。

「今から七年前の円覚寺の夏期講座に谷川俊太郎さんにお越しいただいたのでした。とても緊張して出迎えたことを覚えています。当時もう八十を超えていらっしゃいましたが、とてもお元気で、Tシャツ姿でお一人で電車に乗ってこられたのでした。飾らぬお姿に感動したものでした。
あらかじめ、坂村真民記念館の西澤孝一館長から、できれば、谷川俊太郎さんが、坂村真民のことを知っているか聞いてみてほしいと頼まれていました。
~谷川さんは、「ああ、知っている」と答えてくれました。どうしてご存じなのですかとうかがうと、「いつもあなたの話で聞いている」と仰ったのでした。
私が驚いて、「ええ、先生は私の話を聞いたことがあるのですか」と聞くと、毎年東慶寺で聞いているよということでした。谷川さんは東慶寺のお檀家で、私はその頃毎年東慶寺の施餓鬼で法話をしていたのでした。
毎回のように坂村真民先生の詩を紹介しているので、それでご存じだったというのです。~
現代詩を代表する詩人が、真民先生のことを知ってくれていたというのはうれしいことでありました。」

これはこれで、ひとつのエピソード。初めての対話は、2010年代中ごろ、老師が役職についていたころ。
東慶寺は北鎌倉の円覚寺派のお寺ということでよいだろうか。谷川家は臨濟宗であったようだ。

■4.谷川俊太郎さんの詩
「私もそう多くはありませんが、谷川俊太郎さんの詩を引用させてもらうことがあります。たとえば無常ということを説明するときに、谷川さんの「鋏」という詩から、引用しています。

「鋏」より、
けれどこれはまた、
錆びつつあるものである、
鈍りつつあるものである、
古くさくなりつつあるものである。

「まさに目の前にある鋏が、今錆びつつあり、鈍りつつあると見る詩人の感性には心打たれます。
しばらく使っているうちに、錆びてきたり、切れ味が悪くなるのを感じるのが普通だと思いますが、詩人は今錆びつつ、鈍りつつあるというのです。
これこそが無常であることをよく言い表しています。」

「急ぐ」の一節
こんなに急いでいいのだろうか
田植えする人々の上を
時速二百キロで通り過ぎ
私には彼らの手が見えない
心を思いやる暇がない

「新幹線を詠った詩であります。今や二百キロどころではないのです。「彼らの手が見えない」などという暇もないのです。」

「国境なき医師団に寄せる」の最後
国境は傷
大地を切り裂く傷
ヒトを手当てし
世界を手当てし
明日を望む人々がいる

「チベットのダライ・ラマ猊下が『愛と信念の言葉』という本の中で、
砂に一本の線を
引いたとたんに
私たちの頭には
「こちら」と
「あちら」の
感覚が生まれます。
この感覚が育っていくと
本当の姿が
見えにくくなります。
と仰せになっています。
実にもとは一本の線に過ぎなかったのが、争いのもとになっていくのであります。空の世界は、この線引きをしない、区別のない、分け隔てのない世界であります。」

■5.おくやみ
「谷川俊太郎さんとお話していたときに、どういうことからか、私は真民先生の詩の一節を紹介したのでした。」

「鳥になります」より
こんど生れたら
鳥になります
なぜなら
鳥には
国境が
ないからです
人間では
とてもできないから
鳥になります

「谷川さんは、「良い詩だ」と言ってくださったのを覚えています。
円覚寺の大方丈で、ご自身の詩を朗読されていた在りし日のお姿を思い起こします。大詩人に会うことができたというのは、私の人生の喜びであります。また谷川俊太郎さんの詩集を読んでみたいと思います。
谷川俊太郎さんのご冥福をお祈りします。」

いいなと思ったら応援しよう!