管長日記「禅文化研究所六十周年」解釈20241015

禅文化研究所、季刊『禅文化』やしっかりした禅籍を出版している公益財団法人である。またセミナーなども開催する。老師は現在所長である。その創立60周年の式典開催の話。受賞者について紹介する、といった内容である。
主に臨済系だが禅の書籍、論文でよく目にする名前の方々の名前が挙がる。

X(旧twitter)に、創立60周年記念式典の式次第の写真が上がっていた。
冊子「禅文化研究所六〇年の歩み」がある。
開催は令和6年10月9日(水)午後2時 京都ブライトンホテルBF「英(はなぶさ)の間」である。

1.禅文化研究所創立功労者追悼法要
2.理事長挨拶 松竹寛山
3.所長挨拶  横田南嶺
4.「第5回禅文化賞」授賞式
  受賞者 功労賞 西村恵信先生(花園大学名誉教授)
      功労賞 石井修道先生(駒澤大学名誉教授)
5.受賞者あいさつ
6.研究所現況報告
   (休憩)
7.記念講演
 「白隠禅師に学ぶ」
 花園大学国際禅学研究所顧問 芳沢勝弘先生
   (閉式)

祝賀会は5:30から1Fの「慶祥の間」

日記の構成は式次第に対応する。
1.式の概要
2.功労賞授与、50周年記念のこと
3.理事長、所長挨拶のこと
4.芳沢勝弘先生の記念講演のこと、
5.祝辞、花園学園学園長栗原正雄、駒澤大学教授小川隆

日記全文を通して、老師が参加者に謝意を表していることがよくわかる。

■2.功労賞授与、50周年記念のこと
「思えば十年前の五十周年記念の時には、私は研究所の理事として参加していました。
その時には、方広寺派管長の大井際断老師と、気仙沼地福寺の片山秀光和尚に禅文化賞を差し上げたのでした。
その折りに所長は西村恵信先生であり、理事長は佐々木道一老師でありました。」

大井際断(おおい さいだん、1915-2018)
兵庫県西宮市出身。室号は大隠窟、道号は際断。法諱は令碩、俗姓は大井。
6歳のとき、西宮市の臨済宗東福寺派茂松寺和尚、かつ実父の大井洞雲について得度した。京都帝国大学文学部哲学科を卒業後、家永一道のいる京都の東福僧堂に掛搭。第二次世界大戦の兵役、戦後1948年に茂松寺住職、その頃から再び京都東福僧堂の家永に参禅。
家永が妙心寺派瑞泉寺閑栖になると、瑞泉僧堂に転錫。家永一道の法嗣となる。
花園大学教授として禅哲学を教える。1960年、大分の妙心寺派萬壽僧堂(万寿僧堂)師家就任。その後、妙心寺山内にある四派の一つ東海庵住職となる。
1990年方広寺派管長・方広僧堂師家に就任。座禅指導でドイツ各地に訪れる。

佐々木道一
(岩手県)奥州市前沢の出身、三井造船に勤務後、大分市の萬壽寺で出家、禅堂を開く。
2012年禅文化研究所第4代理事長に就任
2018年禅文化研究所理事の任期満了(埼玉・平林僧堂の松竹寛山老師就任)

今回、追悼法要の導師は理事長の松竹寛山老師が行った、とある。

禅文化賞は、西村恵信先生と駒澤大学の石井修道先生。
西村恵信先生についての著作は何冊か持っている。
石井修道先生については、確か道元関係の論文をいくつか読んだような気がする。

■3.理事長、所長挨拶のこと
理事長の松竹寛山が研究所の経緯など先に述べたので、話を追加した、という。

このたび皆様にお配りした「禅文化研究所六〇年の歩み」という冊子に、西村先生は公益財団法人となるにあたって、すでに「研究所の台所はまさに火の海であり、運用資金は底をついている」と書かれています。
この六十周年までよく持ちこたえたというのが、私の実感なのです。
改めてこの法人の目的を見ますと、約款には、
「この法人は、禅を思想・歴史・文化及び実践の各方面から総合的に研究して、禅及び禅文化の本質とその現代的意義を究明し、その成果を普及して世界の精神文化に貢献することを目的とする。」と書かれています。
この崇高な目的を今一度かみしめたいと思います。
そしてその事業は「禅及び禅文化並びに日本文化の学問的研究 禅及び禅文化並びに日本文化の研究者並びに実践者の養成」なのです。
この目的と事業を一歩一歩進めるべく、六十周年から新たに歩んで参ります。

■4.芳沢勝弘先生の記念講演のこと、
「白隠禅師に学ぶ」と題して九十分のご講演でした、と。
白隠禅師のことを調べようと、本を探すと、まず芳沢勝弘先生の著作がでてくるので、よく知っている。特に、白隠禅画の解釈について、特徴的な取り組みをされていると思う。

はじめに芳澤先生は、学生の頃に達磨寺こと法輪寺に下宿されていて禅文化研究所の夏季講座に参加された話をなされました。
講師は建仁寺の竹田益州老師と、梅原猛先生だったそうです。
まだ梅原先生もお若かった頃とのことです。
該博な知識をもって語られた梅原先生の話は、今は記憶にないそうですが、竹田益州老師の臨済録提唱が心に残っている、と芳澤先生は話していました。
益州老師は、臨済録の序文を読まれたそうなのですが、その漢文を素読される様子と、ご自身の生い立ちなどをお話されたことが深く心に残っていると仰っていました。

竹田 益州(たけだ えきじゅう、1896-1989)は、瑞祥寺住職、建仁僧堂師家、臨済宗建仁寺派管長を務めた。
小池心叟の師匠であって、つまり南嶺老師とも縁があることになる。老師は学生時代に白山道場で修行し、卒業後に建仁寺に行っている。老師の日記を聞いていると、円覚寺と建仁寺は関係が近いという印象をもつのだが、おそらくこのあたりの関係なのだろう。

梅原猛先生は出版物が多い。

白隠禅師の話を終えて芳澤先生は、横山文綱和尚の話をしてくださいました。
研究所の設立は昭和三十九年なのですが、その設立時に季刊『禅文化』はすでに30号と31号の合併号が出されているのです。
設立の九年前に、禅文化研究会が作られていたというのです。
横山文綱和尚が中心となっておられたという話でした。
枯淡で如法綿密な暮らしをしながら参禅も続けられていたそうなのですが、四十九歳、胃がんでお亡くなりになったのでした。
亡くなるときには坐禅をして坐脱なさったという話でした。

横山文綱和尚については、知らなかったので、検索した。論文は3報で、他は『禅文化』の記事が多数であった。和尚とついているので、僧籍は持っているものと思うがよくわからなかった。ひたすら禅文化研究会に携わっていたのかもしれない。

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