短歌の団体で活動するということ
結社を含め、あらゆる短歌の団体に所属していると、正直短歌とは全く関係ない雑務が当番として廻ってくることがあります。それが同人誌くらいの小さな組織であっても自分の都合だけで仕事の重要度や優先度を変えることはなかなか出来ません。
だから所属なしで活動する人が特に若い人には多いようなのですが、大きな賞でも取らない限り、自分の作品を広く読んで貰うことは出来ないし、ネットにひたすら短歌を投げているだけだと、だれからも「歌集はいつお出しになるんですか?」などと声を掛けて貰うことは出来ないものです。またそのような環境で歌集を出してもなかなか認知されません。というか、出した歌集を歌壇に認知されること自体が難しいのです。
あらゆる短歌の団体はこれらをどうにかするため、情報の流通機関として機能しています。これらの団体の総会に行けばそこにいるのはみんな歌人です。全国規模の会なら出版社や新聞社なども参加します。
ところが、です。全てとは言いませんが、そのボリュームゾーンは高齢者です。若い人たちがこれらの会合に出たときに感じるアウェイ感と、ベテラン圧迫感はよく分かります。ここで自分の歌が理解されるかどうかという不信感も持つかもしれません。ぶっちゃけ語彙レベルの断絶感も予想されます。
また、団体の維持に関わるイベント活動も多く、これはイベントの性質上文フリ出店のように、各人で完結するものではありません。ひょっとしたら親子ほど、時には孫ほど年の離れた相方と意見のすりあわせをしながら作業することもあります。(もっとも文フリ自体は一般社団法人文学フリマ事務局という公益性の高い団体が、多くのボランティアスタッフの調整を行って実現しているイベントです。多くの文フリ体験者の中のどれくらいがスタッフ活動をしたことがあるかはちょっと興味があります。)
文フリと言えば、いま公式サイトを見たら、「スタッフとしてご参加いただけない方」という部分があって、
スマートフォンを使った業務連絡を送受信できない
Google MeetやDiscordなどを使った音声通話/ビデオ通話によるコミュニケーションができない
・・・が挙がっていました。しかし、高齢者との共同作業では、この条件を取り下げなくてはなりません。どうでしょう、腰が引けた人は多いかもしれませんね。
無理もありません。若い野心的な歌人は自分の力を短歌団体の維持に振り分けたくはないでしょうから。私は教員経験上、大人数が関わるイベントの下準備に関わることに慣れていてそれほど苦に思うことはありませんが(だからいろいろな仕事が回ってくると言うこともありますが・・・)若手として(笑)それなりに野心がありますんで、そこに時間割くのもなーと、実は思ったりします。
ただ、そういう活動の中で得たものも多く、そのつながりの中で歌集を読んで貰ったり、他の人に勧めて貰ったりもしたのです。それが私個人のつながりでは決して届かない層の読者であれば、それは私の財産です。実際にそうやって自分の知らないところで読書会が行われ、それが歌会記に載っている他所の結社誌が送られてきたときもありました。
そうやって歌人として認知されてゆくという経験で、決して直接的ではないけれど、長くこの世界でやっていくためには大事だと知ったわけです。
また、誰かの歌集批評会などに行ったとき、あっ!と思うような歌人を見つけて名刺を渡しに行くと、「ああ、ふたを開ける人ですね」などと言われるという嬉しいこともありました。短歌の世界には年齢や結社、地域を越えた横のつながりがあって、それはとても広く強いのです。
もちろん、だからといって団体も高齢化の成り行きだけに任せていては持続しません。そのためには今よりもっと誰にでも直感的に分かるIT化が必要だし、若い人は、今あるお金のかからないテクノロジーを使って、せめて70歳以下の人には理解を得る努力がいると思います。
私が70歳になったとき、80歳の人にある程度のスキルがあれば30歳の人に安心して業務を預けられるのではないでしょうか。団体に育てて貰った以上、団体を持続させるための努力はしなくちゃなと思います。ま、出来るか分かんないけど。
今日はこれで終わりです。