見出し画像

ガチ素人廃線・廃道探訪録〈西武安比奈線②〉

【追記:2022/11/21】続き公開しました。

 前回までの記事を読んでくださった方はありがとうございます。そうでない方ははじめまして。今回も筆者が廃線・廃道に魅せられたきっかけともいえる,埼玉県川越市に存在する廃線跡を2018年ごろの様子と比較しながらご紹介いたします。前回は起点となる西武新宿線の南大塚駅から大袋新田の水田地帯手前までを辿りました。今回は第2回目ということで,大袋新田の田園風景,および雑木林の中を走る線路敷を辿ります。

 前回はこちら。もし興味がありましたらこちらもお読みください。

1.大迂回を強いられる水田地帯

①水田地帯手前

 時刻は12:40分過ぎ。大袋新田手前の道路との交差部から再開です。南大塚駅前からここまで直線距離ではおよそ700mほど,安比奈線廃線敷自体も800mほどしか進んでいませんが,南大塚駅を発ってからすでに40分ほど経過しています。写真や動画をとったり団子食ったりしながらのノロノロ進行だったためですね。普段休日に遠征するときは予定を詰め込んでチャリで爆走するような感じなのですが,目的地を一つに定めて徒歩でブラブラ歩き回るのもいいものです。
 線路跡に話を戻すと,安比奈線はそのまま直進して水田地帯へ突っ込んでいきます。交差部から出てすぐの場所に鉄道柵を用いた仕切りがあり,その先には安比奈線跡の中でも貴重なレール以外の鉄道遺構が現存しています。

わかりづらいが,鉄道柵の向こう側にさらに柵で挟まれた区間が存在。
google mapより拝借。

 上の航空写真の①,②の位置に,それぞれ小川を超えるための橋梁があるのがわかりますでしょうか。それぞれ①が赤間川橋梁,②が葛川橋梁という名前だそう¹⁾。当時からそのような名前なのかは定かではありませんが,いずれも赤間川およびその分流をまたぐ橋梁のためそのような名称(もしくは愛称?)なのでしょう。架線も架柱も枕木も撤去された今,安比奈線に残されたレール以外の貴重な遺構です。安比奈線開業が1925年であるので竣工から約95年が経っているはずです²⁾が,両者ともにまだなんとか橋梁としての体裁は保っているようですね。

地理院地図より引用

 さてそんな貴重な遺構,ぜひとも間近で拝みたいわけですが…これがなかなか難しい。上の図は地理院地図で2橋梁付近を見たときの図であり,赤丸が橋梁のだいたいの位置を表しております。見てわかる通り,周辺に接近できる道がほとんどありません。唯一橋梁へのアクセス路っぽい伸び方をしている赤間川に沿って続いていそうな道は実際には田畑に出入りするための農道っぽいし…。結局橋梁に近づいて写真を撮ることはできませんでした。

②唯一車道部分からズームして撮れた赤間川橋梁
うーん木が邪魔…このカメラマニュアルモードがない(⁉)ので細かい調節が効かないんですよね… 

 葛川橋梁と赤間川橋梁の近年の様子についてはこちらのサイト様にて全体像が確認できますのでぜひご覧ください³⁾。どちらも鋼桁のシンプルな橋梁で,赤間川橋梁は1径間,葛川橋梁は2径間です。特に葛川橋梁は安比奈線中で現存する最長の橋梁になります(2径間で超えるほどの川か?という疑問はありますが…)。放置され藪が茂りさび付いていますが,それでも桁の部分はしっかりと架かっていました。橋梁上にはかなり限界状態ですが枕木も残っており,当時の様子が思い起こされます。各橋梁はその前後を簡易的な柵でさらに仕切られていましたが,これは廃線決定後の措置のようです¹⁾。ネット上に廃線決定前からレポが数多くあげられていることからもわかる通り橋梁上に侵入する人は数多くいたようですので,そのような線路敷,特に強度に不安があり危険な橋梁上への侵入対策なのかもしれません。
 さてこれまでも沿線の道路がなく迂回を強いられてきたわけですが,ここからは水田地帯に突入するため,さらに大きく迂回を強いられます。具体的には,次に安比奈線が一般道と合流するのは370mほど先ですが,そこに行くまでに700mほど歩く必要があります…。

A地点が写真①地点,B地点が次の交差部。
赤ラインは廃線跡,青ラインは実際に歩いたルート。
初見だと若干迷いやすいので注意。
安比奈線は水田地帯のど真ん中を築提で突き抜けていく。
冬季特有の枯草の淡い色合いと背の低い建物がまばらに散らばった田園風景が合わさり,なんとも言えない哀愁と郷愁がただよう…
①地点の2018年ごろの様子。
このあたりはまだ架線柱が残っており,今にも貨物列車が走ってきそうな雰囲気があった。
安比奈線の遺構の移り変わりを見ると,レールだけが線路敷の構成要因というわけではないことを痛感できる…。

 周囲の田園風景と築提がめちゃくちゃマッチしていて,もしまだ安比奈線が現役だったらこの辺は良い撮影スポットだったのかな…とか考えながらトボトボ歩いていくと,

③再び道路との交差部。ここも踏切だったのだろうか?
※この画像はgoogle mapより拝借

 ようやく再びの安比奈線との邂逅。例のごとく車道部にもレールが残っています。

元来た方向を振り返る。唯一の遺構であるレールも土に埋もれつつある。
脇には枕木を再利用したらしい柵のような何かが。
こうしてみると,レール自体もところどころ歪みがあったりして,かなりきている状態。
遠くに見える藪のあたりは葛川橋梁があるところ。
立ち入り禁止の立て札以外に特筆すべき封鎖がないのにツッコミたくなるが,
もう封鎖する必要性すら感じられないのかもしれない…
振り返って進行方向を撮影。先ほどまでの区間に比べ盛り土は低くなっているようだ。
相も変わらず線路だけはそこにいて,これからの行く先を示してくれる。
少し回り込んでみると…れ,レールが浮いてる…。
田んぼの小さな用水路をレールと枕木だけで超えていたようだ。現在枕木は撤去され,レールだけが宙ぶらりんな状態になってしまっている。
先ほどの場所はほぼ民家の庭先みたいになっている。明確な線路跡との仕切りは見られない。

 このあたりは,安比奈線の中でも特に柵による線路敷のガードが甘い場所でした。3年ほど前に来たときは近くの農家らしいおっちゃんが廃線跡上をブラブラ歩いている風景も見れたりしました。うらやましい…。

2018年ごろの③地点南大塚駅方面の様子。今より藪が少なく,向こう側がハッキリ見える。
まだ架線柱も残っていた。
右側の民家はまだ工事中だった。立ち入り禁止の看板もない。
2018年の③地点進行方向の様子。ここからしばらくは,4年間での目立った変化は見られない。

 それにしても2018年ごろの写真と比較してみると,架線柱のあるなしって結構視覚的な印象に与える影響って大きいんだなぁと思いました。レールが残っているだけでもだいぶ貴重なのはそうなんですが,やっぱり線路はレールだけじゃ完成しないんだなぁとか思ったり…。

2.田園を抜け雑木林へ

 この後廃線跡はすぐにまた一般道と交差するので,そこに向かいます。

④そこそこ交通量の多い道と交差する。
※画像はgoogle ストリートビューより拝借
元来た方を撮影。少し先の木が生えているところが先ほど居たところ。
上の写真で陰になっているところには,ちんまい用水路を超えるための,これまたちんまい橋梁を発見。上には枕木も残っていたがこれは…残っているというか,残骸というか…
振り返って進行方向を撮影。道路部にもレールが残る。
もう国道など大通り以外の道路部のレールは放置することになっているのか?
この後も田畑の中をしばし進んでいく。

 ちなみにこの地点,先ほどの場所に比べてだいぶ封鎖が厳しめになっています。鉄パイプ柵はもちろん南大塚駅側には内側にさらに柵が追加されています。単純に交通量が多いからかっと思いましたが,どうやらそれだけではない様子。

google ストリートビューより拝借。
廃線・廃道跡に付き物の不法投棄問題がここにも。

 まあ,現状何にも使われていない場所なら,不法投棄には絶好の場所なのかもしれませんねぇ…。当然近隣住民の方には迷惑がかかりますし,全く許されるものではありませんが。

交差する道路はそこそこの交通量があるが,誰も廃線跡には一瞥もくれずに通り過ぎていく。
ここだけ外界から見えない何かで隔絶され異なる時間が流れている(正確には止まっている)ような錯覚に陥り,妙な安心感を覚える。

 少し先には,入り口が線路を横切るようになっている民家がありました。

google ストリートビューより拝借。これ現役時代からこうだったの…?
アスファルトで埋められているもののレールは存在。
この入口は後からできたのかもしれない。
人んちの前であんまりパシャパシャやっていてもアレなので,
手早く元来た方向と進行方向の写真だけ撮って退散。
上の写真は進行方向。
同地点から振り返って進行方向を撮影。

 ちなみに,このあたりをgoogleストリートビューで見ると,世にも珍しい埼玉県平野部の残雪が見れます。水田など他の部分には残っていませんが,ちょうど廃線敷の部分だけ白くなっているのが面白く印象的ですね。
 この後,道は少しだけ迂回して再び廃線跡と交差します。

⑤三度googleストリートビューより拝借。
元来た方向を撮影。
ここまで来ると盛り土もほとんどなく,レールが確認できないほど遠目から見ると廃線跡の存在を感知できないかもしれない。
振り返って進行方向を撮影。右手には近年造成されたっぽい住宅街と公園が見える。

 この近辺からはぽつぽつと新しめの民家が見えたり上の写真右側のような小さな住宅街が見えたりしてきます。おそらくもと田畑だった場所がどんどん宅地化されて行っているようです。うちの近辺も昔は一面畑だらけだったんですが,この20年でほとんど民家に変わりましたね(自分語り)。安比奈線は100年前からずっと,沿線の土地の移り変わりを見守ってきたのでしょうか。
 さて,ここから少しの間だけ左側に沿道が出現しますので,そこを進みます。

廃線跡を横目に寒空の下,田んぼの中を歩く。
三度用水路(小)を超えるレール。超限界状態の枕木が一つだけ,かろうじてレールを支えている姿が愛おしい。
もう一つ用水路っぽい溝を超えるレール。こちらには簡易的な小さい橋梁が渡されていた。
枕木の骸達がレールと橋桁に挟まれ苦しそうにしている。
これもおそらく現役当時の境界杭。
赤く塗られているのと塗られていないので何か違いはあるのだろうか?
またまたストリートビューより拝借。

 少し進むと道は突き当りに。真正面にはやや唐突に雑木林が現れます。廃線跡はというと,そのまま林の中に突っ込んでいきます。

⑥突き当りで再び廃線跡と交差。周囲は霊園と閑静な民家と雑木林があるだけ。雑木林や住宅の影ができているせいか,③~⑤地点と比べても薄暗い雰囲気。
道路部に残るレールの形状から,ここはもともと踏切だったようだ。
⑥地点よりもと来た方向を撮影。
左右が開けた田園風景の中の安比奈線はこれで見納めかもしれない。
振り返って進行方向を撮影。緑のトンネル…というには若干時期が悪い気がしなくもないが,
廃線跡巡りを夏に行うと蚊がすごい上に遺構が草藪に隠れてしまう(n敗)

 廃線跡はこの小さい雑木林の中を駆け抜けていきます。この光景はよく安比奈線の象徴的な風景として挙げられているので,見たことがある方も多いかもしれません。以前来た時は手前の藪がすごく,あまり線路敷が見通せませんでした。現在はきれいに刈りはらわれて,手前から奥まで見通すことができます。

3.雑木林の小さな道先案内人

 さてここから先ですが,一度雑木林を迂回した後,工場敷地のわきにある細い道から再び接近し,つかずはなれずな状態で大通りまで向かいます。地図上ではかなり近づけるように見えますが,実際は雑木林が邪魔をして線路敷はほとんど見えません。

A地点は⑥画像地点,B地点は⑦画像(後述)地点,C地点は大通りとの交差部。
実際の航空写真で見るとこんな感じ。
特にA~B地点にかけては道が細い上に一見工場の敷地に入るように見えるので,
初見ではスルーしがちな要注意ポイント。

 ブラブラと工場の脇道に歩を向けると…

お?
おお…ぬこ様が…
ぬこ様「ほら,右を見てみな」
⑦B地点より撮影。おお,廃線跡が見える!
ありがとう…ぬこ様…

 と,雑にネコ成分を取り入れたところで,上にあげた地図のB地点からは少しだけ廃線跡が見えます。以前はこの場所に架線柱があったのですが,撤去されてしまったようです。ちなみにここから線路敷に出て撮影された写真がネット上に多く出回っていますが,おそらく侵入禁止の場所ですのでここは我慢です。

 その後道なりに進めば間もなく車通りの多い大通りに出ます。そしてその先には ―――

 ――― 安比奈線の顔とも言える遺構が待ち構えていました。

 といったところで,キリもよいので次回に続きます。結局前回の予告のところまでいけませんでしたが…おそらく次回で出てきます。ご了承ください…

4.今回の探訪ルート

 今回の探訪ルートはこんな感じ。

赤ラインが廃線跡,青ラインが探訪ルート
①~⑦が各写真の撮影ポイント

 全線のうち約3分の1にあたる1.2kmほどを探訪しました。実際に歩いたルートは1.8kmほど。廃線跡自体はずっとまっすぐ入間川を目指しているのですが,沿道がないため大きく迂回を強いられ,印象としてはかなり歩かされるなぁという感じ。距離にしたらそこまでじゃないですけどね。傾斜もないですし,楽に辿れます。事故防止のため徒歩で探訪していますが,距離が気になる方は自転車で巡ってもよいと思います。その場合撮影する際の自転車の止め方など注意したほうがいいですが。

5.次回予告

 次回,安比奈線編最終回(予定)
 廃止されても,忘れられても,



 時の流れには逆らえない…

〇参考にしたサイト様

1)「西武鉄道・安比奈線(廃止後)」時空浪漫

最終閲覧日:2022/11/06
2)「西武安比奈線」wikipedia

最終閲覧日:2022/11/06
3)「「日本の近代化を支えた砂利鉄道」西武安比奈線廃線跡の散策・その1(川越)」近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝

最終閲覧日:2022/11/06

〇蛇足

 長時間の閲覧お疲れさまでした。めちゃくちゃ投稿が遅くなってしまいましたが,最近また自分の中での「廃もの熱」が高まってきて執筆意欲がわいてきたので,少しずつこちらも更新していこうと思います。もし興味がありましたら,次回も読んでいただけると幸いです。

 それでは,またどこかで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?