ガチ素人廃線・廃道探訪録〈西武安比奈線①〉
【追記(2022/11/06)】続き公開しました。
前回までの記事を読んでくださった方はありがとうございます。そうでない方は初めまして。今回は筆者が廃線・廃道に魅せられたきっかけともいえる,埼玉県川越市に存在する廃線跡を2018年ごろの様子と比較しながらご紹介いたします。こんな趣味を持っていながら土木技術だったり鉄道関連だったりのの知識はまるでゼロに等しいにわかの書く文章でありますので,この記事から得られる知見は相当少ないでしょうが,こんな場所があるんだなぁということを知っていただき,あわよくばちょっと行ってみようかな?という風に思っていただけるのであれば幸いであります。
さて2022年2月某日,チャリをわっせわっせと漕いでやってきましたのは南大塚駅。相対式ホーム2面2線で橋上駅舎を有する西武新宿線の駅です。この駅から新狭山駅側には川越市と狭山市に跨る川越狭山工業団地が線路の両側に広がっており,この駅もそこへのアクセス手段として利用する方が多いようですね。駅舎の屋根の赤茶色が映えていい感じですね。
現在は2面2線で使われているホームですが,ホームの外側にはいかにもかつて線路があったようなスペースが鉄道柵に囲まれて存在します。この駅,かつては2面4線の島式ホームであったそうで,新狭山側へ向かう電車が発着する2番ホームの外側は側線として利用され,現在も保線機器が留置されています。一方,1番ホームの外側にかつて存在した線路が,今回辿る廃線跡「西武安比奈線」になります。
1.南大塚駅から国道16号へ
西武安比奈線について簡単に概略を述べますと,入間川での砂利採取を目的として1925年(大正15年)2月15日に開業した,河川敷から南大塚駅までの3.2㎞を結ぶ砂利鉄道です。関東大震災の復興砂利需要の減少,砂利採取規制強化などを受け1963年(昭和38年)以降長らく休止状態が続いており,路線図にも時刻表にも存在しないが現存はしている「幻の貨物線」として(その手のものが好きな人でなくても)一時期注目を集めました。休止期間中は一時期西武鉄道の貨車の解体・留置に使われたり,何度か西武新宿線の車両基地として利用する計画が浮上したりしました(1987年西武新宿線の需要増加に対応するための複々線化に伴い,新たな車両基地として朝比奈線を利用する計画があった。のちに南入曽に新しい車両基地ができこの計画の必要性がなくなり中止に)。沿線住民からは旅客路線化・通勤路線化まで計画されていたようです。しかし,周囲の道路の橋脚が建築限界を超えて侵食して食していたり,線路寸断箇所が何か所もあったりと,休止期間中も実質的には廃線状態のようでした。結局車両基地計画も入曽に新たな基地が建設されたことでその必要性を失い,通勤路線化も利益が見込めないことなどから採用にはいたらず,2017年5月31日付で廃止。半世紀以上休止状態だった幻の貨物線は,ついに再びの日の目を見ることはなかったわけです。
※なおこの概略については歩鉄の達人様の西武安比奈線ページ(https://www.hotetu.net/haisen/Kanto/071216seibuaina.html)をもとにしております。こちらのほうが詳しく見どころも丁寧に抑えており面白いので,まだご覧になっていない方はぜひご覧ください。じゃあこの記事は何のためにあるかって?…まあ最新の様子ぐらいはわかるのではないでしょうか(適当)。逆にそれくらいしか差別化できるものがないのが悲しいところ…
話を戻しまして,つまり本日は南大塚駅からかつて砂利採取が行われていた終点・安比奈駅までの3.2㎞,こちらの西武安比奈線を辿っていくわけです。沿線は前半が住宅街,後半からは田畑の真ん中を突っ切り最後は河川敷へ伸びていきます。途中住宅街の中の細く交通量の多い道を通ったり,国道や県道など大通りを横切る必要があります。従って自転車では事故の危険がある場所もいくつか存在するわけで…
というわけで自転車には駐輪場で休んでいてもらい,さっそく廃線跡を辿っていきましょう。
南大塚駅沿道を本川越側へ進むと,ホームの途中で安比奈線は緩やかなカーブを描きながら左へ逸れていきます。つい最近までここぐらいから線路が残っていたような気がしますが,現在は撤去されています。ここはまだ沿道がありますが,少し進んだ先で突き当りになります。突き当りを右に折れると道は安比奈線と交差します。
道路との交差部には線路がのこっていました。交差部の前後は現在,柵と住宅に囲まれた異様に広々とした空き地が広がるのみですが,緩いカーブを描きながら住宅地の中へ入っていく線形がここが廃線跡であることをはっきりと物語っていますね。写真だとわかりにくいですが,道路との交差部の直前は複線分のスペースがあるため,特に広さを感じます。この辺りで待機線なんかが分岐していたんでしょうか。
写真を見るともとは道路部の線路につながっていたように見えるかもしれませんが,少なくとも私が最初に訪れた2017年には既に,道路部に残る線路の先はありませんでした。2018年に訪れた際はレールはまだまとめられずそのままにしてあり,それ以前は架柱や架線も残っていましたね。廃止が決まった2017年から段階的に撤去作業が進んでいたはずですが,しばらくの間この状態で放置されているようです。
④の写真の通り,ここから両側は住宅地に囲まれ少しの間近づけないので,駅前へ続く沿道に入り再び近づける部分まで少し回り道をします。
この間もずっと,廃線跡は一つにまとめられたレールと空き地,時々鉄道柵という感じで住宅地の中を進んでいき,⑤地点から少し進んだ先で国道16号とぶつかります。
朝早くから途切れることなく車が流れていく国道16号。車の走行に問題があると判断されたのか,先ほどと異なりここでは道路部の線路は完全に撤去されています。よく見ると道路にそれっぽいヒビが残っていますが,それが安比奈線の痕跡なのかはよくわかりません。
16号を爆速で走り抜ける車の流れは,時の流れに取り残された我々を気に留めることはなさそうです。
廃線跡の上に立ち元来たほうを見ると,架柱も架線も枕木もないのに今にも電車が走ってきそうな錯覚を覚え,なんとも不思議な不安感を感じます。当時の線形がほぼそのままの形で残っているからでしょうか?
2.16号を超え住宅地をひた走る
先ほどの地点は横断禁止地点ですので,すぐそばの交差点から横断して道路の向こう側へ渡りましょう。
先ほどの地点まで戻ってきました。ここからはレールがそのままの状態で残り,より往時の姿を連想できます。廃線跡は緩いカーブを描きつつ,再び住宅地の中へと入っていきます。廃線跡の左側には路地があり少しだけ沿線を辿れます。
少し進んだところで路地は終わり,廃線跡は細い道路と交差します。交差地点から先はカーブが終わり,しばらくの間廃線跡はまっすぐに入間川を目指します。廃線敷には鉄道関連のものかどうかもわからない物体が脇に置かれていたりしますね。
ここから先は再び両側に住宅が立ち並び沿線には近づけません。そのため次に一般道と交差する地点まで大きく迂回を強いられます。
こちらが住宅地を回り込む間も廃線跡は住宅地を直進し,再び一般道と廃線跡が交差するのは200mほど先。交差する一般道は現在入間川街道の愛称で知られる,新狭山駅付近から分岐して川越市街地までを結ぶ市道です。現国道16号の旧道にあたる道で,かなり細い道ですが交通量はそれなりです。
廃線跡の敷地は鉄道柵に覆われており,狭山側からなら遠目に見ても存在を確認できます。街道自体もそれなりに交通量はあったので,脇に退避しつつ車通りがなくなったタイミングで急いで撮影。前後を見回すと,どちらへもまっすぐに伸びるレールと空き地を確認できます。先ほどまでと同様,他の設備は軒並み撤去されレールのみが雑草に埋もれつつ残っていました。冬であることを考慮しても雑草は少なく下草もほどほどに刈りはらわれており,整然とした印象を受けます。道路部にもレールは残っていました。
この⑨地点は,以前訪れた時よりもずいぶんと様相が変わっていたように感じた場所でしたね。といっても直接史跡関連で変化した部分は少ないのですが。以前は木材やら設備の残骸やらが脇に積まれたり,沿線住民が(許可の有無はわかりません)設置したであろう植木鉢で花が栽培されていたり,なんというかこう,よく言うと華やか,悪く言うとカオスな感じでした。さらに当時は設備の撤去作業中だったのか重機が線路上に搬入されていたりして,なんとも奇妙な光景が広がっていたのをなんとなく覚えています。現在は重機もなくなり,植木鉢やら資材やらも撤去されたのか確認できず,ずいぶんと整然とした感じです。着々と撤去作業が進んでいるようで,なんとも言えない寂寥感が…。
しかしこの地点にも変わらず存在し続けるものがありました。「和菓子処 川野屋」さんです。
以前にも何回か安比奈線を訪れているのですが,いつもここでおだんごを買わせていただいてます。看板からして焼き団子を推しだしており,実際口コミでも焼き団子は人気商品のようですね。しかし私のオススメはみたらし団子!!まあ私がみたらしが好きで,それ以外をまだ買ったことがないだけですが…。次行ったときは酒まんじゅうとか買ってみようかな。
横の駐車場入り口にベンチがあるので使わせていただき腹ごしらえ。この時はまだ2月でだいぶ体も冷えていたので,ついでに自販機であったかいほうじ茶を購入し体をあっためました。なおゴミ箱はないので,ごみはしっかり持ち帰ります。
ここから先も廃線跡は直進し,住宅地を抜け水田区間へ入っていきます。沿線にちょくちょく近づける場所はありますが,200mほど先の再び一般道と交差する地点まで向かってしまいます。
再びの一般道との交差地点。こちらも道路部までレールが残っています。振り返って元来たほうを見ると,相変わらず架柱や枕木は撤去されレールのみが残り,住宅街の中へまっすぐ伸びる廃線敷の様子が見て取れます。
ここも⑨地点同様,以前訪れた時とはだいぶ様相が変化していた場所ですね。2018年ごろ訪れたときは,先ほども述べたように近隣住民の庭の植物が侵食していたり,植木鉢がおかれていたり,果てには家庭菜園らしきものが行われていたりと,まるで沿線住宅の裏庭のような感じになっていました。撤去作業用の重機なんかも入っていたりして,なんとも摩訶不思議な空間になっていて,でもそれがなんとなくお気に入りなスポットだったんですよね。
おそらく撤去作業の進行に伴う変化だと思いますが,現在それらの菜園の痕跡はきれいさっぱり消え,現存するレールがなければただの空き地のような没個性的な空間になっていました。休止期間中も定期的に敷地内の整備は行われていたようで,これまで沿線住民による廃線跡の利用はおそらく黙認されていたようですが,撤去工事に伴う安全確保のための措置なのですかね?見比べてみると周囲の住宅も結構建て替えられたりしていて,わずか4年の間にいろんな変化があったんだなぁと…。
と感傷に浸るのはまだ早いですね。まだ廃線跡は半分以上残っています。ここから廃線跡周囲の風景は住宅街から水田地帯へと大きく変化し,廃線跡はその中を築堤で抜けていくことになります。
ということで今回は2022年2月某日の安比奈線探訪の前半部をお届けしました。拙い文章で申し訳ありません。もし興味を持って行ってみようという風に思ってくださったならば幸いです。
※訪問の際は近隣住民の方のご迷惑にならないようお気をつけください。今回の写真はすべて廃線敷地外から撮影したものになります。廃線敷地内は侵入禁止ですので,立ち入ることの無いようお願いします。
次回予告
安比奈線の前に突如現れる―――
―――「壁」
それでは,またどこかで。