やりがいのある仕事の定義
塀の工事が始まった。
我が家の塀は父が手作りした。なかなかいいモノを作って、ご近所の評判になったりした。
それが、10年も経つとボロが出てきて、張り替える必要がある。
今度は半永久の金属製の塀にすると言う。材料から工具から全て準備してもらって、こちらはそれらを積んだ軽トラを取りに行くだけ。
とんぼ返りで材料と父と、父とはセットの母を連れてきて、作業開始。
私は金属製の網を取り付ける柱のペンキ塗り担当だった。
もちろんペンキも父が選んで持参したもの。
ダンナは日頃はデスクワークだし、日曜大工的なものには興味がない人なので、あてにはならないとあきらめていたら、意外にもポイント高い働きぶり。
父もすっかり頼って絶妙なコンビネーションをかもしだす。
充実度が素晴らしい一日だった。
地元の海鮮を買って帰り、大満足な初日の打ち上げを終了して、寝床に着こうとしている。
今日は、いつになくダンナを褒めてあげたい。
父は、大工工事、電気工事、水道工事などの設備工事のスペシャリストなのだ。
その父に、施工のアイデアを提案して、採用された!
古い塀を撤去する際に、頭を使った経験が活かされた。ダンナの株も上がるし、施工も効率良く進んだし、いいことずくめで、超忙しかった土曜日が終わった。
みんながご機嫌で初日の祝杯をあげた。夕食が終わって、しばらく泊まっていく両親の布団を準備している間に、ダンナは食器の片付けをしていてくれていた。
両親の寝床の準備が終わり、キッチンに戻って片付け作業を進めていると、母がやってきて「これはあんまりだ」と言う。そこまでダンナにやらせるのは申し訳ないと。というよりありえないと。
戦後生まれの母にとっては、身の置き所のない状況なのだろう。
決してダンナに頼み込んでやらせているわけではない。自らが、片付けはマイジョブとばかりに、率先してやってくれるのだ。
こんなダンナ、貴重ですかね?
実の母は、父にこんな娘になったのはお前のせいだ、という趣旨のことを言われたらしい。
あんたのせいでお母さんが怒られた、と怒られる。
なんだかなあ。
親父よ、ダンナは喜んで食器の片付けをやっているのだよ。娘が夫を屈服させていると勘違いするのはやめてくれ。
専業主婦の私が、ダンナに家事をやらせるのはもってのほか、という父の考え方も分かる。
うちのダンナが家事分担を厭わずにやってくれるはなぜか?
私は、アテンションだと思う。人から認められたいと心理。人の役に立ちたいという欲望。
そもそも、働く人を突き動かす原理はアテンションだと思っている。
明日もアテンションを求めて働いていく。誰に褒めてもらえなくても構わない。私の価値はアテンションの先にある。