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先生と、その作品を愛するファンに配慮したコメントが必要だった
高校生のころ、『Piece』というマンガに出会った。それからそのマンガは人生で大切な作品のひとつになった。
最近になって、木南晴夏さんに興味をもち、木南さんが主演をされている『セクシー田中さん』というドラマを知る。
視聴者からの評判がよいと聞いて原作を調べたら、芦原さんのお名前が。ますます気になって、絶対に観てみようと心の中で思っていた。そんな矢先。スマホをつけると例の騒動の記事が目に入る。最初は芦原さんのブログのリンクが貼ってあって、ドラマの9話10話の脚本を執筆することになった経緯だと転載先の記事タイトルに書かれていた。この時はまだ、この記事がドラマ制作でのトラブルに関する釈明だと理解しておらず、読むことはしなかった。Xを開いて同じ記事の投稿やあふれんばかりのコメント数が目に入り、ようやく記事を読んでみようと思い立つ。
毎回脚本が原作者の意向に沿わない内容で書かれ、その度に修正をして何とか原作通りの脚本に変えていたこと。
実写化にあたる約束は、連載中の『セクシー田中さん』に影響を与えないために原作に忠実に作品作りをお願いしたはずだったのに、それが守られず納得できる説明もなかったとのこと。
記事にはそんなことが綴られていた。
マンガ作品の実写化って成功しているイメージがほとんどなかったけれど、『セクシー田中さん』が好評だったのは、芦原さんの苦労があってこそだったのかなと、この時思った。
マンガだからこそ伝わる表現、映像だからこそ伝わる表現、どちらもあるのはみんなわかっていることだと思う。
だからこそ、ドラマ仕様に手直しが必要なのもわかるし、原作の魅力をより伝わりやすくするために時にはアレンジだってアリだということも。
ファンとしては、大好きな作品が人気になっていくのは嬉しいし、実写化に否定的なわけじゃないけれど。作品を一番楽しみにしているのは原作者とファンなので、原作者とファンが大事にしてきた作品に対する気持ちを、同じような熱量で大事にしてくれる方に実写化してもらいたい。
日テレの追悼コメントを読んだけれど、追悼文の次には現在のトラブルの釈明が書かれているのみで、これじゃあ炎上するのも無理はない。
このトラブルに関心を持っているのは原作ファンで。彼ら彼女らが真っ先にコメントを読むのに、芦原さんの投稿への言及が一切なく、トラブルなどなかったかのようにまとめられているところが感情を逆撫でてしまう。
こういうコメントで一番必要なのは、すでに物申すことができない原作者への配慮と、もう続編を読むことが叶わなくなったファンへの配慮だと思う。
原作者がもう何も言えないことを幸いに都合の良い書き方をするのではなく、苦悩を投稿され思い悩まれていたことは事実なので、悩ませてしまったことへのお詫びや無念さに言及してもよいのではないか。
絶対に一方的な発信にならないように。
また芦原さんは投稿によってテレビ局側に不信感があったことを明らかにした。ファンはその投稿を読み、テレビ局が原作者へのリスペクトが欠けていると判断を下した。
であれば、ファンへの配慮とは、テレビ局側がいかに実写化に熱い思いを込めていたか、作品を蔑ろにする気は決してなかったんだということを伝えることだと思う。
火に油を注ぎ続けないために、悲しみや怒りで気持ちの荒れている層へ言い訳をするのではなく、その悲しみや怒りを掬い取ってケアすることなしに、この問題は燃え続けると思う。
そして、今後同じような問題が発生しないために、どう原作者側とコミュニケーションをとっていくかの表明や、実写化”してやる”じゃなくて”させてもらう”って認識の変化がないと、これからの実写化はどんどん厳しくなっていくんじゃないだろうか。