「三十五年越し (本編2) 一回きりのデート」/遠い昔の二十代の頃、恋焦がれ続けた美しい女性、美智子さんへの心からのオマージュ、三十五年越しのラブレター
『三十五年越し』
佐藤 遼道
(1)「プロローグ」に続いて、(https://note.com/super_clover369/n/n204a917074b2)
(2)一回きりのデート
もう三十五年も前のことになる昭和六十二年四月の暖かい春の日、大阪。
三年の間、思いを寄せていた女性に意を決してデートを申し込み、なぜかそれが叶い、今は梅田の大阪ステイションシティサウスゲーティングと言われるビルの眺めの良い喫茶店でひと時を過ごした。ただそれだけのことに終わったのは、気持ちを伝える勇気がなかったからである。まことに情けない。
立ち現われた時の眩しさは今も胸を離れない。府立の進学高を卒業し神戸の女子大の四年生だった田中美智子さん(仮名)の輝くばかりのときと思われた。
そのほんのひと時をまみえたにすぎないのだが、初めて会った三年前、高校を出たばかりで初々しく少し幼なさが残る頃から比べて、豊かな内面が年齢に応じて過不足なく形作られ、さらにしっかりしたものへ成長していく予感に満ちているように見えた。
外見は、ほんの少し平均より肉づきがよくぽっちゃりとして、愛らしく優しい顔つきが賢さの嫌味を消しており、160センチ有るか無いかの背丈が実際より高く見えるのは立ち居振る舞いがすっきりしているためだろう。ほのかに立ち始めた色香がそこはかと好ましく、肌の白さとほがらかな内面とが相まって健康的な清潔感が溢れており、アイボリーの白地に黒の水玉模様のワンピースを着た姿は大人の美しさと清楚な可愛らしさの素敵なバランスを存分に表現していた。そして男前なものを程よく含んだ女性らしい性格は男女問わず誰にも好かれており、文字通りマドンナ、そんな娘だった。
この時の彼女の姿は本当に忘れがたく、いつまでも胸の奥に佇んで消えない。季節的には少し早いのかもしれない七分袖のワンピースが暖かい四月の春の日にいっそう爽やかさを醸して彼女を優しく包んでいた。
今、冷静に振り返ると若い私はこのデートのとき、神経過敏症状を呈していたのだと思う。ちょうど「いざというときの寅さん」に近いある意味で悲劇的な状態だった。
三年の間に膨らんだ恋心が高じ過ぎたものになって、四歳も年の差が有ったにも関わらずどう見ても二人の間には精神のバランスが取れていなかった。出来るだけ落ち着いて、という暗示は全く功を奏していないようだった。恋愛はこういう場合やはり機能しないものらしい。
窓から見える阪神、阪急の文字を眺めながら一時間ほどは取り留めのない話をしたろうか、好きな人のいそうなこと、姉妹二人の長女であり親御さんのことをとても大切に思っていることなどが感じられた。
いつの間にか、そういうことが心に重なってきて、とてもこの女性を時間をかけて素直に、正確に気持ちを伝え、心をこちらに振り向かせることなどできまいと思い込んでいった。
水玉のワンピースが魅せた目の前の彼女の美しさが眩しすぎて目がつぶれてしまったのかもしれなかった。
そしてどういうわけだろうか、今のいまそんなことを考える必要などあるはずもないのに、自分にこのひとを幸せにできるのかとの問いが脳に明滅しだして、その方法が思いつかない無力感に心は責められていった。
さぞかし醜い顔をしていたに違いないと思う。
最後まで何も伝えることができなかった。ピアノがなかった、奏でる腕もなかった(『もしもピアノが弾けたなら』阿久悠)、本当に未熟で拙劣だった。
(3)に続く。