「三十五年越し エピローグ3」/『無法松の一生』至純の恋を貫き通した男の仕合せ
「(5) 自立のいとなみと美智子さんへの恋」 の中で、あの頃出会い、生涯の友だちとなった芸や作品として、いっとう最初に『無法松の一生』(1943年昭和18年、伊丹万作、阪東妻三郎、稲垣浩)を上げさせてもらいました。また(5)の締めの文章中にも書き、(4)の相聞歌として歌いもしました。
その物語は、北九州小倉の車引きの実話をもとにした岩下俊作の『富島松五郎伝』を原作としています。昭和18年というのは私の世代でもリアルタイムでみることができるものではありませんでしたが、当時の大人の世代、例えば私の父などにとっては阪妻こと阪東妻三郎は、田村三兄弟の父というより映画史上の大スターでした。
その大スターの代表作であり、伊丹十三の父である伊丹万作の遺作である『無法松の一生』は知らず知らずのうちに子供心に留まっていました。記憶はありませんがおそらく小さな子供時代にテレビで見ていたかもしれません。
昭和18年当時というのは、もちろん戦争中ですから、軍の検閲がすごいもので、文字通り命がけで作った映画だったそうです。それほど大スターの阪妻、伊丹万作、稲垣浩は入れ込んで映画化したわけです。
内容は、帝国陸軍将校の父を失った少年敏雄の成長を叱咤激励して支えとなる無法松の一生を描いていますが、粉骨砕身する阪妻の無法松の雄々しくも滑稽味のある庶民の男の心意気に、観客は手に汗握り応援歌をおくりたくなります。「よおー!日本一!!」といまにも大向こうから掛け声がかかりそうな映画でもあります。
ただ、それは未亡人(園井恵子)への至純の恋心を秘めたがゆえにこそ、美しい所作、出来事やとびきりの笑顔として魅せられるのです。その隠さねばならない恋心の切なさに胸の奥がそれこそキュンと泣きそうになります。
そして、終盤に訪れる居酒屋での哀しく切なくも心底仕合せな、表現のしようなく絶妙な阪妻の表情、至純の恋を貫き通した男の仕合せ、、、、。このカットは日本映画史上最高の場面なのではないか、と私は思います。
この作品は『寅さん』などの、その後の数多のラブストーリ、ラブコメディの紛れもない源流となっているのはあまりにも有名なことです。
私が、意識して初めて見たのは昭和63年の暮れ頃です。東京は銀座並木座だったと記憶しています。あのデートから1年半、破れた恋心がやさしく癒されたのを覚えています。その後も種々のメディアで繰り返しみましたが、そのたび心の奥の方がやさしく癒され、今に癒され続けています。