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「智子、そして昭和 (2)」/智子との結婚

(2)
 昭和二十九年(1954)、新司は三十八歳になっていた。
 梅雨にしては珍しく晴れた朝、昨年長谷屋の嫁に来た芙美枝が信子に、
「お母さん、私今気がついたんですけど、お習字を教えてくれていた智子さんいるでしょ、新司さんのお嫁さんにいいんじゃないか、と思うんですけど、どうでしょうか?」
「そうかしら、、、、芙美枝さん、でもどうしてそう思ったの?」
「ええ、智子さんは私の母ともお付き合いがあったんですけど、これまでも戦争前から母が嫁入り先を心配していたりしたんです。
お父様と妹さんの面倒を見なけりゃいけないとかで、いつもお話にならなかったんですけど、たしか終戦の年、お父様がなくなって、、、。終戦後しばらくして妹さんが日暮里にお嫁に行き、お一人でお過ごしだと聞いていました。
そしたら私、こちらに来たらそばにお住まいだったので挨拶をするようになったんですけど、いつまでもお若いのに本当にびっくりして、、、、。
明るくさっぱりした気性だし頭もいいし、いろいろあった新司さんともうまくやってゆけるのじゃないかしら、と思って、、、。」
「智子さん、年はたしか三十五歳くらいだったわねえ。」
「ええ、ちょうどいい歳関係だと思うんですよ、でも三十五には見えないでしょう。二十代と言ってもおかしくないと思うんですけど。」

 智子というのは、昭和十二年(1937)くらいであったか、大久保のほうから家族で近所に引っ越してきた父親と姉妹の三人家族の姉のほうで、引っ越してきた当時から姉は銀行勤めをしており、妹の良枝もその後別の銀行に勤めに出ていた。姉妹ともお堅い勤め先であったのと、開放的な反面どこか近所付き合いが一線以上は遠慮がちなところから、清吉の家のような職人の家族からみて不思議な感じのする家族だった。しかし、いつも明るくこだわりなく話しをするし、そう思って戦争中からよくお醤油やみそなどを貸し借りするようになり、家族ぐるみで仲良くなっていた。よく聞くと書道が上手でそれがもとで銀行勤めなどもするようになったとのことで息子や娘にときどき教えてもらったり、なにか特別なところへのお納めものの送り状などの時、気安さから智子にお願いするようになってもいた。戦時中防空壕なども一緒にしていて、そういうときなどは不思議に度胸が据わっていて、明るい呆けたようなことを言って皆を笑わせたりしていた。
 ただ付き合い上の一線はなにか持っているようで、とてもお見合いを薦めるような雰囲気にはならなかった。どこか、隠し事があるような、家の中になにかを抱えているような感じもし、一方である意味で毅然としたところがあり、たまにお酒などを一緒に飲んだりすることがあってもなれなれしくなる、ということは決してなかった。
 そしていつもそんなふうに思わないのであるが、時は時だからだったからだろうが、一度だけそうと違う姿を見たことが信子にはあった。新司に召集令状が来たとき、出征前夜のお祝いの会に智子が手伝いに来ていたおり、珍しく遅くまで残り、配膳やら後片付けをしたあと、お燗した徳利を抱えて一人で新司の前に行き、
「立派なお勤めをお祈り、、、しており、、、ます。」
と嗚咽でのどが閊えて、鼻にくぐもった声が続かず涙ぐんでいるように見えた。
「ああ、どうもありがとう、頑張ってきます。」
 新司が快活に笑ったので、智子も瞬間態度が変わり笑顔で応えたようだった。信子は長い付き合いだったが智子の涙を見たのはその時がはじめてで後にも先にもこの時だけだった。 
 しかし、三十五にもなるのに気が若いせいもあるのだろうが、見直してみて改めてきれいなのに驚いた。どちらかというとふっくらとしたしもぶくれの丸顔で、笑顔がかわいらしく、背などはさほど高くないが、姿勢がいいせいであろう、すらっと高く見える。色は抜けるように白く、すべすべした肌などはとてもその年には見えない。
 お化粧をしているふうでないときのほうがはっきりとわかり、ほおなどは見るからにすべすべとしており、笑うとさすがに目じりにしわなどが見えるが今どき普通の二十代でもそのくらいの娘はいるであろう。少し肉が付きすぎたかもしれない。が、体格好は女性らしく丸みを帯びているが減り張りがあり、挙措動作がすっきりとしているせいか、ちっとも年を感じさせない。そして性格がさっぱりとして明るいのには驚くほどだ。結構な年まで独身でいて三十五にもなるのに少しも悪びれたり、擦れたりした感じのないところが本当に不思議だった。
 そうして清吉と信子が話し合い、新司には無理やりにでも決めて結婚させることにしようという話になった。とはいえ、智子のほうで不承知であれば新司に話の持って行きようもないので、芙美枝と信子で智子の家に遊びに行ったときそれとなく話をしてみようということになった。信子もこれまでのいきさつから一人で話す自信がなく、嫁の芙美枝に付き合ってもらうことにしたのだった。
 智子の家に行き、お茶を飲んでひとしきり話をした後、信子がタイミングを見計らって、
「ねえ、智子さん、あなたお嫁に行く気はなあーい?」
「あらあ、やあだ、私みたいなとんまで、おまけにこんなおばさん、もうお嫁になんか行けないわよ、いやだわあ。」
「そんなことないわよ、あなたまだ若いし、よく気が利くし、ねえ考えてみない?」
「信子さん、よく言うわ、だってもらってくれる人なんかいないわよ、こんな三十五にもなるおばさん、そうでしょ。」
芙美枝が、
「そのなことないですよ、智子さん。そりゃ年の釣り合いもあるし、若くて年下のとかってわけにはいかないでしょうけれど、それなりの釣り合いの人ならいいんじゃないかしら。」
信子が間髪を入れずに
「ねえ、実はね、うちの新さん、もう年は三十八歳だわよ、うちに来てから二十年以上で、私たちにとっては性根も何も全部わかった人だから、、、、。智子さんも全く知らない人でもないでしょ。もう本当に腕はしっかりしているし、真面目という意味ではまじめすぎるくらいな人だから、もう本当に少しでいいから考えてみてもらえないかしら、、、、。
それはね、戦争から帰ってきて少しお酒を過ごすようになったりしてるのを時々智子さんも見てるかもしれないけど、根は本当にいい人なのよ。」
続いて芙美枝が
「そういうのがどうしても智子さんが嫌だっていうんなら言ってくださいね。もうそれはしょうがないことなので、、、。
でも少しでもこの人なら考えてもいいという場合は、少しお付き合いをしていただいてからっていうのでもいいんじゃないかと思うんです。
今は、そういうの多くなったって言うし、それでまとまる、まとまらないはどっちだってあることだって言いますよ。だから気楽に考えていただいていいんじゃないかしら。ええ、全然大丈夫ですよ。」
「本当、そうよ、是非少しでもいいから考えてみてくれない、私の心からの頼み事よ」
 ここまで二人で一気に話したのであるが、どこの話の辺からか、智子は下を向いたまま、ええ、とか、はい、とか小さい声でいうだけでさっきまでの明るい、さばさばした調子から全く変わってしまっていた。
 そして、か細い声で
「少し、、時間を、、、。 、、、お返事、、は、、それから、、、で、いいでしょうか?」
と言った。信子は、
「ええ、全然かまわないのよ、こちらは考えてくれるだけでうれしいんだから、、。」
 それからは話が続かず、信子はこれは脈はないか、とも感じて、気を落として玄関を出た。芙美枝と一緒に歩いて来て、しばらくすると彼女が、
「お母さん、どう思いました?」
と訊いた。
「あれじゃ、脈はないかもしれないわねえ。」
「お母さん、逆ですよ、きっと。あれは脈あり、大有りじゃないかしら。
だって、新さんのことを持ち出したときからですよ、態度が変わったのは。そして私よく見ていたんですけど、新さんの話を持ち出した途端、耳のほうまで赤くなってましたわ。
あれは、ひょっとして好きな証拠だと思うんですけど、、、、。」
 信子は話を回すのに必死で気付かなかったが、若い人はそう感じることもありがちだと思った半面、芙美枝のいうことも一理あるような気もした。
「じゃあ、どうしようかしらねえ?少し考えると言っていたけど、、、」
「ちょっと、私に考えがあります。少し待ってもらえますか?」
と言って芙美枝は次の日に智子の妹の良枝を訪ねた。
 良枝の話を聞いてみるとどうやら芙美枝のカンは当たっていたらしく、かなり前から智子は新司に好意を持っていたらしい。良枝は間違いなく承知です、と言い切ったらしい。
 良枝は、私が例え姉がだめと言っても必ず説得する、明日姉を訪ねて話をするからこの話は是非進めてほしいと言ったということだった。
 翌日、良枝が信子のところに来て、取るものもとりあえずといった調子で、
「おばさん、私、本当にうれしい、是非姉を新さんのお嫁さんにもらってください。さっき本人を問い詰めて話を聞いてきました。突然言われたのでどうしたらよいかわからない、って言ってたんですけど、
あたしが、そんなのどうして?、姉さん、受けなきゃだめよ、もうあなたにはこれ以上の良縁はありません、あたしが保証するから承知しなさい、って言ったら、
小さな声で、わかったわ、あの人と結婚します、って、、、
顔はうそをつかないわ、本当に嬉しそうな顔して、喜んでいるのがはっきりわかったの、だからおばさん、是非お願いします。」
「本当なのね、良枝さん、よかったわ、私ちょっと心配しちゃったのよ、話をしてもぜんぜん反応がないんですもの。でも、よくわかりました。
それでは話を進めますから少し待っていて頂戴ね。」

 それから今度は信子は新司を説得にかかった。
 新司はその時二日前からいつものように旅に出ていた。前の晩に飲みすぎて帰ってきて、ひどい二日酔いのようで生気がなかった。その日、清吉は信子から話す方がよいということで席には出ず、隣の部屋で襖越しにもしもの時のために備える形で話を聞いていた。  
 信子が、
「いいかい、新さん、お前もいい年だ、なんのかんの言っても所帯を持って一人前だ、
戦争で大変な目にあったことや家族を亡くしたことも気の毒だとは思うが、それでもきちっと世間並みに一人前に結婚をして暮らしていかなくてはいけない、ついてはお父さんと私とで相手は決めてきた、私たちも
本当によく知っているひとで優しい心持の素敵な女性だ、
堅い職業の人ですぐ近くに住んでいるが、お前も全く知らない人ではない、
智子さんだ。
相手はもちろんお前でいいと承知している、だが、もうお互いに年だし派手な式はしない方がよいだろう。
ただ最低限の人は呼んで式だけはあげないと相手は女性だけに智子さんに失礼だ、ついては九月にうちで内々の式を挙げる。」
いいかい、と一気にまくし立てた。
 新司は意外にも
「、、、、、はい、わかりました。面倒をかけて相済まない。
本当にすみません。」
と言って、しばらくうつむいて黙っていたが、そのあと隣の自分の家に帰っていった。
「どうでしょうねえ、わかりましたとは言ったんですが」
「いや、そう言った以上、つまらねえ考えをおこすようなやつじゃねえ。
俺は大丈夫だと思う。」
と清吉は言ったが、信子は多少不安が残った。

 亡くなった戦友たちを思えば、自分のことなど考えるわけにはいかない、また母と妹という養わなければならない肉親も失ってもはやこの世にいない。ひとり、仕事にのめり込みながら暮らしていければよい。日本の復興のために、、、。ただそこにわかりかねるところがあるのも事実だった。では日本の復興とは何か?仕事をすることは本当に復興につながるのか?明確な答えを探しあぐねていた。以前のように仕事にのめり込みはしたが、世間の様子への違和感だけでなく、この日本の復興のためということが胸に一つ心に引っ掛かるものとなっていた。
 新司はふと収容所で世話になった種村に会いたくなった。母と妹の死を知り自暴自棄になり死刑を渇望していた自分を懇々と諭し、祖国の復興のため尽くすよう繰り返し説いてくれた人だった。
 最近新聞で、ラバウルからジャワ、マヌスと”戦犯”収容所をめぐり一昨年巣鴨刑務所に移され、つい半年前くらいに出獄し自宅で生活している、との記事を目にしていた。ただ、種村は軍司令官で大将だった人でもあり、いくら収容所で一緒だったからと言って容易に会ってもらえるかわからなかったし、そんな偉い人に覚えていてもらえているのかも、わからなかった。
 一応あらかじめ手紙で、相談したいことがあるのだが、と尋ねたところ、意外にも思い出してくれたらしく、すぐに返事が来て、いつでも来なさい、と言ってくれたのは有難かった。
「やあ、古岳君、よく来てくれたね。さあ、入ってください。久しぶりだね、元気そうでよかった、、、、。 さあ、さあ、こっちへ来てくれたまえ。」
 しばしの間をおいて、
「ときに相談というのは何だい?」
緊張していった手前、あの時と全く変わらずあまりに気安く、また優しい笑顔で接してくれたのにかえって戸惑ったが、新司は話の上手な方でないのですぐに相談を持ち掛けてみた。
「閣下、私は、いま出征前にしていた仕事をしています。かばんや財布などを作っています。自分としては収容所から帰って四年余り、この仕事に関しては以前よりさらに腕があがり良いものを作れていると思っています。
また事実一人で暮らす分にはさほど不自由無く食えてもいます。
ただ、このままこの仕事を続けることで、閣下のおっしゃった日本の復興に尽くせましょうか?」
「君の手先の器用さから推してそのような仕事をしている職人だったのだろうとは思っていたよ。
そうか、立派に仕事を続けているか。それは良かった。
君がこのままで日本の復興に尽くせるか、と訊く、それはわからないでもない。
自由主義経済の中で一人一人の国に尽くす意味というのは、私のような軍人がしろうととして学んだ限りだが、経済的な意味を直接に計量することは難しい。
また、本当は私こそその問いを強く自分自身に発さなければならない人間だ。君たちの司令官として、日本の軍司令官としてその栄誉に見合う働きをしたのか、そして今どうしてそれを果たしているのか、と。
しかし私の見る限り、君は出征中、下士官として立派に国に尽くしてくれたと断言する。それは終戦直前に亡くなったが君が従兵として仕えた百武君からも十分聴いていることだ。そしてどうだ、君は復員後、元に戻り経済的に自立して仕事を続けているばかりでなく、さらに職人として腕を上げているというじゃないか。つまり買っていただいたお客さんに以前以上に喜んでもらっているということだろ。それは間違いなく日本の復興につながっていることだよ。こんな素晴らしいことはないじゃないか。
なにを悩んでいるのだね。私は君のそういう姿をとてもうれしく思うよ。」
「ありがとうございます。しかし自分は仕事に対しては誇りも意欲も人さまよりあるつもりですが、閣下にそんなお褒めをいただくような人間ではないのです。
でも閣下のお話でまた改めて仕事の意味を教えていただいたような気がいたします。しっかり続けていきたいと思います。」
「うん、私がなにかを教えているなどとは思わないが、君が自分の中で気持ちが整理できたのならそれは幸いなことだ、、、、、。
でもそれだけのことで来たのかい、私にはほかに何かあるように見えるが、、、」
「すみません、実は、、、。
私も今年で三十九歳になるのですが職場の親方から結婚を薦められております。
私としては亡くなった戦友たちの手前、自分のことは考えないようにしてきました。申し訳ないのです。
また、もうこの年ですし子供を授かることもあるまいとも思い、相手の人にも申し訳ない気がしております。
こんなことを閣下にお話しするつもりはございませんでした。つい暖かいお言葉に甘えて申し上げてしまいました。
しかし亡くなった母と妹が戦時中世話になった親方ですし、再三のすすめを今度はそうすげなく断るわけにも、と思い、つい暖かい言葉に甘えて、
閣下にお断りの言い訳でもお示しいただければと思いまして、、、。」
「君は若くしてお父さんを亡くしていると言っていたね。そのせいかも知れないが、私は、君はもっと自分のことを大事に考えた方がよいと思う。
そしてもう少し素直になったらどうだね。
本当にそれが必要ならもちろん言い訳を考えてあげてもいいが、そうではないんじゃないか。
それで君は今薦められている相手の人をどう思っているんだね?」
「はい、その人自身は以前から知らない人ではなく、と言って特別親しくしてきたわけではありませんが、こんな私から見てもとても良い人だと思っています。
それだけに申し訳ないような気もするのです。」
「君は肉親を皆失ってしまい、それくらいのことも私のようなものに相談しなければならないということだからあえて言うが、
君は前に進むべきだ。
――――何を逡巡しているのかね。
もう三十九歳と言ったが私のような老人から見ればまだ三十九歳だ。
これから子宝に恵まれることだって十分ある。
それに万が一子宝に恵まれなくたって、その人と思いを寄せ合って夫婦として長く暮らしていくことこそ、何より人間らしい仕合せなことだよ。
そしてそれは亡くなった戦友たちがなにより喜んでくれることだ。
私には南太平洋から、戦友たちの、君を祝う声が聞こえるようだよ。
是非結婚しなさい。
そして仕合せになることが戦友たちへの何よりの弔いであり、恩返しだ。
君は良い仕事を続け、その人と良い家庭を築き給え。そのことが取りも直さず、日本の復興を果たしていくことだ。
私はそう思う、、、、、、、、
いいかい、、、、、」
「、、、、、はい、、、、、ありがとうございます、、、、。
まだはっきりとしないところもありますが、わかったような気がします。
お示しのようにいたしたいと思います。ありがとうございます。」
「そうか、わかってくれたんなら良かった、、、、。そのひとと一生懸命に良い家庭を築いていくんだよ。
、、、、、なにかあったらまた遠慮なく私のところに来るんだよ、いいね。」
「はい、ありがとうございます。」
 新司は、ああ、話に来てよかった、と思った。ラバウルの収容所でも感じたことだが、この人と話をすると、どうしてこんなにも穏やかな落ち着いた心持ちになるのだろうと思った。軍司令官大将という職にあった人のはずだが、どこか学校の恩師と話をするような気安さと安堵を感じることができた。
 ―――――見送りに玄関を出た種村は、新司の後姿に向けて心で手を合わせ、新家庭の仕合せを祈っていた。

 次の日、新司は家探しを始めた。これを機に独立しようと思ったからで、作業場のある、また夫婦で住める二間以上のある借家を探すためだった。その日は、捜し歩いて帰ってきて、清吉の家に寄り晩飯を一緒に食べていった。
 祐天寺のほうを見てきたが、仕事場には不十分だった、とか、馬込のほうも見てきたが二間の部屋は少し小さかった、というような話をして帰った。しかしすっぱりと決めるのが早い性格で翌日には池上のほうにもう新居を決めて来ていた。
 信子は、勝手で仕事をする芙美枝に言った。
「芙美枝さん、ありがとう、新さん、あなたのおかげで仕合せになれるわ、本当にありがとうね。」
「いいえ、お母さん、もともとあの二人は一緒になる運命だったんじゃないかしら、私、そう思うんですけど、、、」
「そうかもしれない、本当、、、。」
 清吉が
「だから俺の言ったとおりだろ、あいつはそういう男さ。」

 祝言は九月のお彼岸に近い大安吉日に取り行われた。清吉の家に親族とごく近しい人たちだけを呼び、清吉が無理やりだったが“高砂や~”を形ばかりに唄い、式を終えた。印象的だったのは式の最中に智子の妹の良枝が静かにハンカチで目をぬぐっていたことだった。あとはお酒を飲んでおしゃべりをするという簡単な祝言だった。朝から雲一つなくよく晴れた日だったが、にぎやかだったのはそればかりが理由ではなかろう。清吉は新司の結婚を心底喜んでくれて珍しく飲みすぎて騒いだ。信子もしまいにはそれにつられて酔っぱらってしまい、最後のほうはただただ喧しい宴会のようなものになってしまった。
 二人は最後までいて帰宅したが既に夜遅く、新司は疲れたからもう寝ようと智子に声掛けし、そそくさと寝支度をした。すると突然、智子が正座をし、
「ふつつかものですがどうぞ末永くよろしくお願いいたします。」
「?、、、あ、そうだったね、こちらこそよろしくお願いします。」
と新司は少しびっくりした拍子に瞬間笑顔になって答えた。
「ふ、ふ、ふ、、、。本当に今日は親方、ずいぶんおかしかったわ。あんなに愉快に酔っぱらっちゃっておかみさんまでもあんなにお目出度くなって、私、もう、おかしくておかしくてひくひくしちゃった、、、。
あなたはおかしくなかった?」
「そうかい?」
「だって、芙美枝さんなんか、私が笑いをこらえているのがわかって、目配せして余計に笑わそうとするんですもの、本当につらかったわ。あなたがおかしくないかと思ってちらっと横を見てもちっとも反応がなくて黙って下を向いたきりだし、、、。
どうにもこうにもおなかが痛くなっちゃった。」
「僕はあういう席は苦手でねえ、明日の仕事のことをずっと考えてたんだよ、そもそも昔から僕は絵にかいたような不愛想でね。」
「あら、そうかしら。私、前から思ってたんだけど、あなたの笑顔、とっても愛嬌があって素敵よ。もっと笑えばいいのにって本当に思ったわ、、。
今日なんかでもあなたが親方に合わせて笑っていただけたら、私もこんな我慢をしなくて済んでよ、ふ、ふ、ふ、、、、。」
 他の人が言えば嫌味に聞こえるのようなことをずけっと言ったりするが智子が言うとてらいなくあっさり言ってのけるからこちらも素直に聞ける、そんな明るさが心地よく感じられた。新司は、智子を嫁にもらって良かったと思った。
「そうかなあ?、、、、、。さあ、もう遅い、寝よう。」
「はい。」
―――新司は床にはいると静かに智子を抱き寄せた。

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