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「脂の乗り切った、ミヤコ蝶々さんの魅力満載の動画:ミヤコ蝶々のビッグショー(NHK) 『面白うてやがて哀しき』」

ミヤコ蝶々さん

関西お笑い界の大御所だったミヤコ蝶々さん。

平成12(2000)年に80歳で亡くなられてもう四半世紀が過ぎようとしています。
私の子どもの頃は、元ご主人の南都雄二さんと、視聴者参加番組の走りだったTV「夫婦善哉」(1955-75朝日放送、織田作之助の同名小説にちなんで命名されたと思われます)で見知っていた、おもろいおばちゃんでした。

ミヤコ蝶々さん57歳の、最も脂の乗り切った時代の動画:ミヤコ蝶々のビッグショー(NHK) 『面白うてやがて哀しき』

NHKのビッグショーで調べると1977年8月14日の放送です。
(NHKのビッグショーというのは、このころ功成り名を遂げた芸能人、特に歌手を中心としたワンマンショー企画)

この動画は、蝶々さん57歳のときの、まさに芸人として脂の乗り切ったときの映像です。
基本漫才師の蝶々さんが、蝶々さんだけにしゃべくりが中心ですが、
珍しく唄を歌っておられます。
「神田川」
「なみだの操」
「わたし祈ってます」
「雪は降る」
聴いてて心がはいっていくような歌い方で非常に上手です。低音など芯のある力強さが蝶々さんのこころと重なるようで感動的ですらあります。すごいもんです。

しゃべくりのほうは、もうこれは名人芸です。「神田川」の歌唱のあとの”つかみ”の部分なんてもうたまりません。これは全編を通じてですが、もうこの話芸は私などがここで解説するなどできるものではありません。とにかく素晴らしい。

そして蝶々さんと言えば「夫婦善哉」「夫婦善哉」と言えば蝶々さんであったわけで、その相方で元亭主の南都雄二さんとのことが話のメインイベントとして出てきます。
このとき、雄二さんが糖尿病で闘病の末に亡くなって4年余りだったようです。雄二さんが浮気をして離婚に至る経緯、でも漫才師の相方であり続け、やはり蝶々さんも雄二さんをどういう形にしろ愛し続けた、、、そういう人間の機微が「おもろく」、また「哀しく」語られます。
「面白うてやがて哀しき」ピッタリの副題です。

私も観ながら、蝶々さんと泪を共にしました。

蝶々さん、ありがとう

蝶々さん、
本当に話しはもうまごうことなき名人、
唄もココロも声量も素晴らしかった。

ラストの蝶々さんの笑顔は菩薩に見えました。
そして可愛い少女のような笑顔にまた魅せられました。

蝶々さん、どうもありがとう。



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