「小説 雨と水玉(仮題)(55)」/美智子さんの近代 ”T先生へのあいさつ”
(55)T先生へのあいさつ
美智子はその週、英子とともにK大学のT先生のところを訪問する予定だった。長くお付き合いさせてもらうつもりで、可能ならば英子の後を引き継ぎたいとも思っていたのに事情でそうもいかなくなり、既に六月末で転勤となりもうこの仕事はできない、せめてあいさつだけはしっかりしておきたいと思っていた。
こちらの思い過ごしかもしれないが、帰りの阪急電車でT先生には「男性は不器用でも少しくらい変わっていても誠実な人を選びなさい」とまで言ってもらえたことは美智子の胸に響き、もしかしたら今ある自分と何か繋がりがあるような気がしていた。
少しづつ美智子も仕事の用事を言いつかるようになり、英子のお荷物だけではなくなってきていて、一時間ばかりT先生との話をしたあと、しばし雑談になった。英子が口火を切ってくれて、
「あの、先生、この子なんですけど、しばらく私と一緒に来させてもらって先生へのお使いはいずれ任そうと思ってたんですけど、ちょっとダメになりましてん。すみません。
あの、この田中さん、七月に東京へ転勤になることになりましてんわ」
「あの、ずいぶんお世話になりながらもうすぐ転勤ということになり、申し訳ありません。」
と美智子が言うと、
「ほう、そうかいな。珍しいな、女の子が転勤やなんて。どうして東京へ行くんや?」
「あのお、わたし、実は東京の人と結婚することになりまして、さいわい、うちの会社、夏に東京に支店を新しく出すことになって配置転換の募集があってそれに当ててもらいまいして、そういうことになりました。」
「ほうほう、ちょっと聞いてええか?
どんな男と結婚するんや?」
「はい、大学の時に知り合って、先生おっしゃるように少し不器用な理系の技術の人で最近結婚することになりました。」
「うん、誠実な男やろうな、前にワシ言うたやろ、不器用な理系の技術屋言うのんはええ、あんたの仕事への理解はあるのか?」
英子が、
「先生、えらいこのコに関心ありまんねんなあ、わたしの若い頃と違うてませんか?」
「まあ、ええがな、英ちゃんは別格や。田中さんはKJ大の高坂さんに鍛えられてて、話も珍しく通じると思てて、前に帰りの電車で会うたとき、恰好だけの変な男につかまらんように注意したったんや。なあ、田中さん」
「はい先生、ありがとうございました、あの時は」
「うん、それで誠実な男なんか、どうなんや?」
「わたしが聞いてるところでは、どうも少し変な人らしいんですよ、このコも少しどんくさいんやけど、ちょっと寅さんに似た不器用な男の人らしいんですよ、先生」
と英子が言うと、
「ほうほう、寅さんのような男か、うん、それは女の子とうまくしゃべれんような奴やけど、このコにべたぼれということか?」
「はいはい、そうかもしれません、先生、は、は、は(笑)」
「うん、うん、それは合格かもしれんな、ハ、ハ、ハ(笑)、
ところで東京へ転勤は七月からと言うとったなあ?」
「はい、渋谷支店が八月開店ですのでそこで準備から含めて七月から行くことになってます。」
「うん、うん、実はワシも最近、東京のJ大学のW先生のところに仕事に行くことになったんや、これからたびたび行くことになるやろ、そうかあ、渋谷に支店を作るんやな。
そしたら、邪魔しに行ってもええな、覚悟しといてや、またいくさかいに」
「先生に来ていただいたら、ほんまに嬉しいです、是非お時間あるときにお越しください、お待ちしております」
「うん、わかった」
思いもよらず和やかな話になり、美智子は心から有難かった。帰りの阪急電車でアドバイスしてくれたことも、今日のことも、何か不思議なご縁なのではないかと思った。
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