「一技術者が仕事の意義について考えてきた一側面 (4)近代とは、その1/定年講演
さて、近代とは、ということですが、
近代とは、信仰と世俗を厳密に分離した、三十年(宗教)戦争後のウエストファリア条約(1648年)以来の、国家主権の確立、個人の自由と独立、法治主義、世俗主義です。
現代はこのコンセプトに支配されていると言っていい。(東アジアに2,3例外的に振る舞う前近代の横柄な国があるのは真に遺憾とするところです。)
建前上は、信仰から世俗を分離し、人間の欲望(自由)を肯定し、合理主義の名の基に、社会の繁栄、発展を目指すもので、結果として「近代」が世界に豊饒な繁栄を齎したことは疑いの無い事実です。一方で重要と思うのは、一人の人間の中では世俗と信仰は不可分であることです。
⇒分離はあくまで建前であるとともに、西欧に発したものである以上「近代の背景にキリスト教有り」もまた疑いようのない事実です。だからこそ日本人にとって「近代」が厄介な面を持つということになります。
ということで、信仰を語らざるを得ません/日本人の信仰と西欧キリスト教/
キリスト教という一神教は、日本文明とは矛盾し、明治以来徐々に日本文明が消化しつつある途上で、今は、仏教受容に数百年をかけたと同様の過程とみてもいいし、儒教ドグマと同様に跳ね返す(儒学は受け入れた)途上なのかもしれません。
さて、その西欧の一神教であるキリスト教ですが、造物主としての神=GOD、中でも特に新約の慈愛の神はわからぬでもありません。浄土宗、浄土真宗の(南無)阿弥陀仏との共通性が結構あります。イエスの信じたものと法然、親鸞が信じたものはかなり重なるのではないか、と思います。事実、同じだと言った戦前の人(山中峰太郎)もいます。
また、法然、親鸞が日本仏教の宗教改革をし、仏教を近代化したと言える面は濃厚にあると思います。
しかのみならず、素朴祖霊信仰である、アニミズムといえるところの、天照大御神や、さらに遡った先の、古事記の創造主である天御中主神という原始神、との共通性もあります。
日本と「近代」は比較的親和性が高かったとは言えると思います。だからこそ、日本は東洋でいち早く近代社会の仲間入りを果たし、この豊かさを実現できたと、私は思っています。
(5)に続く