「新刊『ロシア破れたりー日本を呪縛する「坂の上の雲」という過ち』鈴木壮一著毎日ワンズ」/司馬遼太郎史観に騙されないで
新刊『ロシア破れたりー日本を呪縛する「坂の上の雲」という過ち』鈴木壮一著毎日ワンズ、令和五年九月二十三日第一版
鈴木壮一さんが再度、というより再再度、日露戦争に関する「坂の上の雲」の過ちを正すべく、新刊を刊行しました。
鈴木壮一さんの著作については、再三本コラムで取り上げさせていただいています。特にこの日露戦争のいわゆる司馬遼太郎史観の誤りを正したということについては近年の傑作だと私は思っています。
ですのでたびたび引用させていただき、私自身も「坂の上の雲」の司馬遼太郎史観を正すべく記事を出しております(以下がそれに該当します)。
『ロシア破れたりー日本を呪縛する「坂の上の雲」という過ち』の内容
この新刊については、内容的には既刊の、
「日露戦争と日本人」
と
「名将乃木希典と帝国陸軍の陥穽」
の2冊をベースに追改訂したものと見ることができます。
しかし、私はこういう出版も良いものではないかと思います。ネットであれば、追改訂は随時できますが、製本した出版物はなかなかそうはいかず、こういうやり方で改めて再編集プラス内容追加して出版するというのもこの本が扱う内容が日本にとって極めて重要である点から大いに肯定したいと思っています。
司馬遼太郎史観の自己矛盾
「坂の上の雲」における司馬遼太郎史観の誤りは、実は「坂の上の雲」をきちっと読むとわかるという図式になっています。しっかり読んでいれば、そこまで言わなかったとしても、少なくとも論理の矛盾に対する疑問を待たざるを得ない構造になっています。
つまり、司馬遼太郎自身が「坂の上の雲」では自己矛盾をたくさん内蔵させてしまっているということです。
例えば、「ロシア破れたり」では、P126に、
「司馬遼太郎は、
『――敵は機関砲(銃)というものをもっている。
ということが、日本軍の将兵がひとしくもった驚異であった。日本歩兵は、機関銃を知らなかった。火器についての認識が、先天的ににぶい日本陸軍の体質が、ここにも露呈している』(『坂の上の雲)
と述べている。
しかし、奥第二軍は、ロシア軍機関銃十挺に対して、四十八挺の機関銃を持っていた。」
と鈴木さんは書いています。
そして、そもそも奥第二軍には、騎兵第一旅団(秋山好古少将)が属していて、「坂の上の雲」においても黒溝台会戦でロシアの猛攻を防ぎ得た鍵兵器が機関銃だとしており、如何に歩兵であったからと言っても少なくとも尉官クラスであれば、いや下士官であっても全員周知のはずです。
、、、、という具合です。
また、大きな戦局で言うと、奉天会戦の乃木第三軍の戦いに関しては、すぐに気づく自己矛盾です。
奉天会戦は、「坂の上の雲』をどう読んでも、戦線最左翼の乃木第三軍が、驀進とも言える北進をしたことによって露軍を陣地から引き出し実に3倍から5倍の露軍を敵に回して敢闘したことによって、日本軍が勝機をつかんだとしか理解できません。
そのことを、鈴木壮一さんは「名将乃木希典と帝国陸軍の陥穽」とこの「ロシア敗れたり」で詳細に検証してくれています。
奉天会戦の最優秀殊勲者、乃木第三軍
この「ロシア敗れたり」において、奉天会戦の最優秀殊勲者は乃木第三軍であることが明確に書かれています。
詳細は、先にも挙げた、本コラムの、
「日露戦争旅順攻防戦及び奉天会戦について」/俯瞰及び目次|りょうさん (note.com)
をご覧いただければと思いますが、
結論を言えば、
近代戦争である日露戦の満州での野戦においては、大軍同士が要塞にも似た陣地構築をしており、守勢より攻撃の方が数倍の大きな戦力がないと戦線をくずすことができない。
その中で遼陽会戦の黒木第一軍の行ったと同様の敵背面への攻撃を大きな犠牲を払いながらも一歩も引かずに前進を続け露軍に脅威を与え続け、十数万の露軍を陣地外の野戦へ引きずり出してなお一歩も引かなかった乃木第三軍の活躍、敢闘によって、
日本軍は辛うじて勝利を掴んだ。
ということになります。
『坂の上の雲』の誤った司馬遼太郎史観よ、さらば
このほか「ロシア敗れたり」では、司馬遼太郎がよく理解もせず絶賛している”日本陸軍の育ての親”ドイツのメッケル少佐についての理解についてもきちっとその論拠を示してくれています。
また、旅順攻略戦については、まさに誤った司馬史観がまかり通っていることが残念でなりません。是非、
「日露戦争旅順攻防戦及び奉天会戦について」/俯瞰及び目次|りょうさん (note.com)
をお読みください。
歴史としては、鈴木壮一さん或いは桑原嶽さんにより乃木大将及び乃木第三軍の将兵がきちっと評価されたことを嬉しく思いますが、今なお日本社会全体として十分な名誉回復が行われているとは言えません。
私は、これからも乃木希典大将、乃木第三軍の将兵の名誉回復のために、精一杯記事を記していきたいと思っております。