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「家庭の運営という概念 その23」/中学受験詳報、小四2月(一年遅れ)からの参戦の我が家の場合

中学受験について、我が家の次男の例を取って少し詳しく述べてみたいと思います。
最近は中学受験は非常にはやくから始める例が多くなっているようです。それはそれで子どもの発達に合わせてバランスを取って教育するなら良いことだと思います。

1.のんびり構えたスタートの中学受験

しかし、我が家の場合は中学受験塾がバスで25分かかるところにしかなく、中学高校の6年間は所詮大学受験の通過点だから、ということで開成だとか麻布だとかのトップ校を狙うことは特にないだろうともしていましたので、自然環境の良いところを住まいとしていました関係で小学生のうちに精一杯豊かな自然環境の中で遊んで過ごさせてやりたい、ということもあり、のんびり構えていました。

通常それでも小学校3年生の年明け2月から3年間の受験生活というのが普通だと思います。
そうした中で小学4年生の年明け2月から入塾としたので、次男は少し焦り気味ではありました。
ただそういう中で志望校は親が決めていました。一応頑張ればどこの大学、医学部でもいける中学ということで開成麻布のすぐ下のいわゆる2番手校に決めて、塾にもそう宣言して入塾しました。

2.7クラス中、下から3番目のクラスからスタート

入塾テストして、7クラス中、下から3番目のクラスからスタート。
志望校へはやはり一番上のクラスに行かなければならないようでした。

結構、次男は真剣でそれなりにプレッシャーがあったようです。帰りはいつも21時に私が仕事帰りに車で迎えに行きましたが、そこで運転しながらいつも「大丈夫、必ず合格するから、安心して頑張りなさい」と言い続けました。

当初、算数と国語は、志望校偏差値60に対して、53とか55とかでしたが、理科社会は偏差値30台とかざらにありました。
それでも算数と国語の勉強を中心に、理科社会は妻がカードを作ったり工夫して勉強し続けました。大学入試もそうですが、理科社会は直前の頑張りで何とかなります。

まあ、頑張ったのでしょう、一年のうちに上から3番目のクラスになっていました。それでも4科目偏差値目標60に対し、53~55でした。
ただ、算数は私も良く教えましたが、ときどき偏差値60超えを取っていましたので大丈夫かな、という感じはしていました。
この年、
前半の偏差値が、53.3、後半が54.7でした。

遅く入塾しましたがスタートダッシュのまま、2年間突っ走り続けられたという点は良い点だったかもしれません。

3.6年(小五の2月)から最上位クラスへ

小五の2月になると、塾も最終学年となりクラス編成を志望校に合わせていくことになります。
次男も志望校を忖度されたのか、最上位クラスにクラス替えとなりました。

しかし、これは次男は結構つらかったようです。毎週カリキュラム理解テストが行われ、そのたびに席順が成績順で並び替えになりますが、いつもいつも後ろから三番以内という感じでした。

それでも帰りの車の中では、「大丈夫、必ず合格するから、安心して頑張りなさい」と言い続けました。そして算数はわからないところは出来るだけその場で私が理解するまで教えました。

このころ本当に集中して勉強していたなあと思います。実は長男も同時に高校受験だったものですから、家ではそういう雰囲気ができていました。

2月からは、算数の偏差値がだいたい60を超えるようになり、悪くても57を下回ることがなくなってきたのは、算数に力をいれていたことによりますが、なにより希望が持てました。
前半の4科目偏差値は、58.1 となりました。1年前より5上がりました。

4.夏休みから直前期まで

夏休みは本当に書き入れ時です。一日受験勉強ができますのでここまで伸びてきている実感がありましたので次男も集中していました。
ところが一つアクシデントがあり、左肩を骨折してしまったのです。これは右肩でなくて不幸中の幸いでした。鉛筆で書く自由には問題がありませんでした。

そういうものがありながらではありましたが、夏休みの集中勉強で理科社会が安定してきました。
そして夏休み明けに、志望校偏差値の60を初めて超えました。
そして、ときどき、まあほんの時々ですが、席順も前から10番以内になることが出てきました。

このころから過去問に取り掛かります。もちろん秋口はまだできません。
第一志望、第二志望の15年分くらいのうち少しやらせることで、まだまだ力をつけなければという感覚を持ったと思います。

もう、このころは周りもムチが入りますので、集中力のための睡眠時間はしっかり取らせ(家族一緒に遅くとも12時には寝ます)、あとは勉強一本になります。
ここでも算数は、その場でわかるように私が教え続けました。

体調もしっかりと維持しながら、12月初めまで突っ走る感じでできました。
そして、12月の模試(月一回ある模試)では、運もありましたが偏差値が65を越えました。この時、席順が最高の3番になり本人も喜んでいました。
こういうこともありますが、良い偏差値を取ったからと言って、この時点で上位校への志望変更は禁物です。過去問実施日程上も無理が生じます。

5.いよいよ入試本番

いよいよ入試へ向かいます。もう過去問中心の学習です。
この辺まで来るとさすがに算数の問題も難しく、私も即答できなくなりました。しかし、解答をみればわかりますので、相変わらずその場でわかるようにして効率もよく、不安にもさせずにやり通すことができました。

そして1月になると、気を付けなければならない事態が発生します。本人がものすごくプレッシャーを抱えます。
1月上旬、次男がそれまでなったことの無いくらい不機嫌でわがままになり、私も相当カッカして「もう受験はやめだ!」という言葉が喉まで出かかりました。事実妻にだけはやめようと言いました。

これは通過儀礼です。親は冷静に時間の過ぎるのを待ちましょう。

のど元過ぎれば元に戻ります、というか、もう1月からは試し入試を受験しますのでもう目の前のことであまり余計なことを考えることは無くなります。

あとは直前まで受験校の過去問を集中させて取り組ませます。
このころには、ある程度コンスタントに合格点を取れるようになってきました。
ただ油断は禁物です。練習と本番は違います。
最後まで気を抜くことなく、取り組みましょう。

6.2/1に本命受験。その後

2/1本命第一回受験。2/2滑り止め受験、2/3本命第二回受験、
2/5第二志望受験
以上の日程で、2/1を両親がついていき、受験させました。
出て来たところ変な表情もしていなかったので、ようよう訊いてみると算数は難しく最初全然わからなかったが時間後半で7、8割出来たということでしたので大丈夫かな、と思いました。
2/2朝、私が本命合格発表を見に行き、次男と妻は滑り止め受験へ。
9時の合格発表で番号があることを確認できました。
滑り止め校の待合いに10時半ころ着き、妻に報告しました。
次男は、登校途中妻に「僕、本命落ちたらこの学校に入学しなきゃいけない?」と不満そうに、ここには来たくないということを言ったそうです。
入試終了して出てきた次男に合格を知らせると本当に喜びました。あの笑顔は忘れることができません。

また、これはやはりそういうものかなと思ったのは、WEBでの滑り止め校の合格発表を次の日にみると、不合格でした。

なんでも、やる気が一番大切です。











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