「三十五年越し エピローグ8」/『バラ色の人生』『聖者の行進』(ルイアームストロング)と焦がれて実らぬ恋
志ん生の落語とともにあの頃子守唄代わりに聞いて寝たのが、サッチモ、ルイアームストロングです。ことに『バラ色の人生』を聴くといつどんな時でも、哀しく切ない恋心が癒され深い喜びで満たされる。
トランペットの独奏は、すさび泣くという言葉はこういうことを言うんだなあ、としみじみ心がささやく。一見、忘我の喜びを謳うようなこの曲の中に深く悲しい慟哭を聴いてしまうのは私だけだろうか。
オリジンを同じうするエディットピアフの『愛の賛歌』が最愛の恋人の死という絶望から生まれたように、エディットピアフの中ではきっと『バラ色の人生』にも同じ由来があるに違いない。そして原曲を消化して、それを越えた高みにサッチモがこの曲を昇華させたと思う。
それはピアフとサッチモの二重の悲しみが定着され重なった中に転化された喜びが垣間見えてくるがゆえであろう。それらが心憎いほどに重層して胸の奥を震わせる。
良質の芸やドラマが、いや物事というものは、喜びと悲しみというような反対物を絶妙にあるいはきっちりと対置することにより成立し明瞭に認識できる、ということをこの曲は見事に体現している。
このような曲を、恋に満たされた仕合せな人は決して聴かないものだ。
楽しいばかりに聴こえる『聖者の行進』にも同種の深みがある。あの頃、スナックでしたたかに酔って、生きている孤独と悲しみに耐えられなくなりそうになり『聖者の行進』をカラオケで唄ったところ、おそらくこの著名な曲を中学校の運動会か何かで演奏したことがあるだろう先輩から「なに中学生が歌うような曲、唄ってるの?」と揶揄されたことがある。それほど超越したスタンダードナンバーということなのだろうが、世の中はなんと一知半解な人間が多いことだろう、この男とは長く付き合えないな、と興覚めした記憶がある。
『When The Saints Go Marching in』を『聖者の行進』としたのは名訳と言ってよいが、亡き人との告別を唄う、黒人の霊歌をベースとしている由来から推して、聖霊来たりなば、といったほうが良いかもしれないとも思う。
昭和62年の暮れから63年の正月にかけて、神経過敏症が恋心を踏み潰してしまった頃、2度目の米国一人旅に出かけた。
年末の最終日の仕事を夜遅くまでしたあと翌早朝伊丹に向かいそこからソウル、ロサンゼルスとトランジットしジャズの生誕地ニューオリンズに着いたのは一昼夜を越え夜に近かった。往時を偲ぶための観光資源でもあるプリザベーションホールという有名なホールがあり、ホテルで旅装を解く間もなくそこに行って老年のジャズマンの演奏を聴いた。
長旅で疲れてもいたためか、焦がれて実らぬ恋の孤独によるものか、喉を突き上げ嗚咽が込み上げてきた。