「山本周五郎『赤ひげ診療譚』、黒澤明『赤ひげ』、産経新聞+日本医師会『赤ひげ大賞』」
山本周五郎については、本ブログでも再々に渡って記してきました。或る意味で周五郎の最も有名な作品は『赤ひげ診療譚』だと思いますが、今日は少しそこを記してみたいと思います。
産経新聞と日本医師会による『赤ひげ大賞』
今日3/25の産経新聞21面に産経新聞と日本医師会で毎年表彰する赤ひげ大賞に関するTV番組の記載がありました。
地域医療の現場で住民の健康を支え続ける医師を顕彰するものですが、平成二十四年から続いている表彰だということです。
『赤ひげ』と冠してこのような表彰が続いていることは、あの気難しい周五郎も泉下で微笑んでいてくれているのではないか、と思います。
『赤ひげ診療譚』
『赤ひげ診療譚』は江戸時代、小石川療養所で貧し人たちの医療救済に尽力したる小川笙船をモデルにしているようです。
周五郎は、しばしば江戸時代の文献を掘り起こし小説にしています。仙台伊達藩の原田甲斐を主人公にした代表作『樅木は残った』もそうですが、この『赤ひげ診療譚』もそうしたもののようです。
わたしの初見は二十代の頃、下記の新潮文庫でした。
シンプルなストーリの中に奥深い人間の真実が胸に迫る周五郎ならではの小説でその後も長く心に留まっています。
本当の優しさとは何かということを根源から考えさせられた記憶があります。そしてこのように生きたいと強く思ったことが記憶の底にあります。
昭和三十三(1958)年、最も脂の乗り切った頃の周五郎の作品ですが、
開高健もいつか言っていたと思いますが、周五郎は中年以降の短いものが最も味わい深い、というまさにそれに該当する作品だと思います。
最近、このようなシンプルさと奥深さが今、日本に失われてきているような気がして心配でならないところがありますが、年寄りの杞憂でしょうか?
『赤ひげ診療譚』と映画『赤ひげ』(黒澤明)
『赤ひげ診療譚』は映画化されています。
これも二十代(いまからほぼ40年前)に銀座かどこかの映画館で観ました。
黒澤明監督、主演三船敏郎で若き医師保本登は加山雄三が演じていますが、モノクロームが迫力と想像を掻き立てる十全な舞台装置になっています。
わたしは映画通ではありませんが、それなりに見てきた映画の中で言うと、小説を原作とする映像作品に碌なものは無いということです。そう断じるのはもちろん僭越なんでしょうが、こと『赤ひげ』に関しては全く別です。
この映画のように、原作に寸分たがわぬごとく寄り添いながら、映画として完璧な出来を魅せてくれているものを、わたしは寡聞にして知りません。
黒澤が、山本周五郎の世界を完璧に理解していた証左だと思います。
反対物をパラドキシカルに定着するものこそが心を打つ
この重厚なドラマの中で、周五郎が繰り返し語っていることは、貧と無知こそがこの世の悪、不幸だということです。
同時に、悪に対するものとしての善、そして不幸に対する仕合せを、深い認識の中で濃厚にこのドラマは語ってくれています。
このように優れた芸術や芸能、文学といったものの中には、一見反対に見えるものや逆相に見えるものを、逆説的(パラドキシカル)に定着するものこそが心を打つ、というような本質が有るように思います。
なぜ、心を打つのか
なぜ、心を打つのか?
そんな大げさなことでもないかもしれませんが、我々一人一人の仕事や生活自身が多くのパラドクスに満ちていることがそのことを何より物語っているいると思います。
昔から言われるように、禍福はあざなえる縄のごとし、であり、本当に重要なことは複雑であり重層的にできている、愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ、といった言葉で表されることなのだと思います。
このことを述べれば短いもので表せるものはありませんので、この辺で終わりにしたいと思います。
『赤ひげ診療譚』、『赤ひげ』、全く旧さは無いと思います。混迷の今にこそ活きる日本の宝のような作品だと思います。