「三十五年越し (本編4) 偶然が齎したトドメと相聞歌」/遠い昔の二十代の頃、恋焦がれ続けた美しい女性、美智子さんへの心からのオマージュ、三十五年越しのラブレター
(1)プロローグ
(2)一回きりのデート
(3)口説き落としておけば に続いて
(4)「偶然が齎したトドメと相聞歌」
その後、自分でも大きな失敗を犯したと思い、取り返すことを思わないではなかったけれど、自業自得の重さと神経過敏症状の中でその方法は思いつかなかった。
やはり諦めるよりほかになく、彼女の仕合せを祈る以外の選択肢はありそうになかった。そして仕合せを祈ることだけが続いた。
二年くらいはその後遺症を引きづっていたのだと思う。
しかし、トドメは偶然が齎してくれた。
二年半後平成元年十月に一度、阪急曽根駅で偶然会ったことがある。
学生時代の親友がその年結婚して曽根の社宅を住まいとしており出張の折で泊まらせてもらっていた。
翌朝、彼の社宅から阪大豊中キャンパスでの学会に向かうため、良く晴れた秋の朝八時頃だったと思う。阪急曽根の下りホームでゆったりとした気持ちで待っていたとき、不意に彼女が同じ下りホームに現れた。
彼女が曽根駅の近くに住んでいたはずとは知っていたので、万が一会うこともあるかもしれないとは思っていたけれど、気持ちにけじめはつけたつもりだったので意表を突かれたような恰好だった。
そのときそのひとは落ち着いた赤と紺系のビジネスカジュアルのツーピースを着ていて、いっそうしっとりと女性らしくなって相変わらず美しかった。
私が「あ~」と表情を崩しかけ彼女も気づいたと思った次の瞬間、ほんの一瞬だったけれど、彼女の目元に声にならない「ええっー?」という暗い影が差したのを私の視線が捉えてしまった。
おそらく「ええっー」の先に、ネガティブなものがあるのだろうという気がした。それはそうだろう、あんな格好で失礼なことをしでかしていたのだから。良く思われているはずはなかった。
残り火は奥の方で燃えていたけれど「終わったことだ、男らしくないじゃないか、蒸し返すのか、」という、こういうときだけしっかりと出で来る強い言葉が心を抑え、結局今度も話はそっけなく、「勤め先がある」と言っていた豊中駅で彼女は降りていった。
彼女はこれまでもそうであったように丁寧に会釈をして勤め先に向かっていったのだが、その後ろ姿に心で手を合わせ、ただただ仕合せを祈っていた。
ただそうであれば人間としてもっと優しく温かい言葉を掛けてあげればよかった。心残りはそれだけだった。
しかし、結果的にこれで五年余りにもなる気持ちに区切りをつけることにもなった。言葉にならない思いや熱はあり過ぎるほどあったのに結局は自分の力不足であり未熟だった、それによってこうなったのだ、それこそが心底認識しなければならない現実なのだということを深く胸に刻み込んだものだった。
三十年(みそとせ)の彼方にときめくかのひとは眩しいばかりに美しきかな
水玉のワンピースにつつまれし君 眩しいばかりに美しきかな
十八の 君は三年(みとせ)で斯くなりぬ 匂うがばかりに美しきかな
叶わぬと知りてもまどう恋心 ピアノの弾けぬ哀れ神経過敏症
二年(ふたとせ)ののちにまみえし時のありうずきしあれどただ幸祈る
無法松 君の気持ちは良くわかる ただ幸祈る おとこのまごころ
(5)に続く。