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「読書生活とそのきっかけをもらったこと (2)」/高校時代

 読書生活や作家批評などの話もよく聞かせてくれたように思う。当時、旬の作家として、自分でも読み始めていた司馬遼太郎の面白さを率直に話してくれたことはその後の読書の太い線を形成することに繋がった。

 歴史を学ぶことの処世上、いや男の人生における大切さはほかに比肩するものがないが、この練達の作家の語る歴史物語を通して知る野望、情熱、嫉妬、処世術、恋、不倫、純情、生と死そして何よりこころざしは、人間及び人間社会の複雑で重層的な構造を認識する土台となるものを教えてくれたように思う。受験勉強の中で高校生の時さほど多くを読むことはできなかったが、大学生となり今に至る長い読書生活の端緒が司馬遼太郎によって開かれたことは幸いだった。

 『竜馬がゆく』、『播磨灘物語』、『坂の上の雲』などは、二十代のうちに十回以上読み重ねた。特に坂の上の雲によって自分自身の近現代史の扉が開かれ戦後教育のマインドコントロールを脱することに繋がったことは、その後家庭を持ち、二人の男の子を持ち育て上げる上でどれほど大きな果実を齎してくれたか、計り知れない。

 さらに鮮烈だったのは、時間一杯を使って『裏の木戸はあいている』という山本周五郎の小説を読み上げた授業だった。貧しい庶民に活きる、生真面目さと誇りが浮かび上がる味わいのある小説がすうーっと胸に入ってきたのが昨日のことのように思い出される。

 大学生になり自分を捉え直す心の作業が度重なるころからこの作家に引き付けられ、両親の生き様が思い浮かべられたり、自分の痛点を突かれ励まされるような小説にとりわけ強く引き付けられた。昨年本当に十年ぶりくらいでそれらの小説を手に取ったが、かつてと変わらぬ瑞々しい感動と新たな深い味わいは静かな驚きととも胸に染み込んでいった。このような喜びは他の形では得ることができないものである。


 これらに始まった読書生活をここに述べるには紙幅が足りないが、人並みに人生の危機に見舞われたとき幾度書物に助けられたか、そしてこの読書生活が途切れることなく四十年以上になりさらに死ぬまで続くことを考えれば、その豊饒さに感慨を覚えるとともに、やはりT先生に深切の感謝を捧げなければならない。


 齢四十を超えたころからその思いは日に日に深まるばかりである。


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